ひよこマーク  
 

その3
 
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 その頃青は、なんだか妙なことになったな、と思っていた。
 最初に「禁句」を口にした男とその二人の連れは、既に口が利けない状態になっていた。本来なら、捨て台詞の一つも吐いて、颯爽と退場、しているはずだ。
 だが何故か、青の前にはファイティングポーズを取ったキツネ顔の細身の男がいて、青もそれを迎え撃つべく攻撃の姿勢をとっている。
 焦茶色ハイネックのセーターに黒いズボン、黒いブーツと全体的に地味な色の服装で身をかためたその男は、青が三人の男を叩きのめしたのを見て、突然、勝負を挑んできたのだ。
 勝負を挑まれたら受けるしかない。
 という法はないのだが、青の信念が、挑戦を避けて逃げることを許さなかった。
 男の右足が、ジリッと間合いを詰める。青の左足がわずかに開く。
 と、突然、男が左足を蹴って、一気に間合いを詰めた。
 青は、同時に床を蹴り、至近距離に飛び込んだ。
 男が放ってきた手刀を、首を竦めてかわし、右の拳を男の腹部に向けて繰りだす。だが、男の膝が手首を弾き、続けざまに膝から下が跳ね上がって、青の顔を狙う。
 青は思わず仰け反り、そのままバク転で男の間合いから逃れた。
 間合いを取り、攻撃態勢を整え直しながら、
(こいつ、強ェ)
 青は、軽い驚きと興奮を覚えていた。
 もしかしたら、負けるかもしれない。だが、強い相手とやりあえるのは、楽しかった。
 と、その時、今までの殴り合いの喧嘩とはまるで異なる奇妙な音が、店内に響き渡った。
 思わず横目で音のした方を一瞥した青は、自分の目を疑った。
 真っ赤な物体が、進路を遮るものなにもかもを薙ぎ倒し、吹き飛ばしながら、まっしぐらに自分の方に向かってくる。
 キュゥウウウウウウ!
 赤い物体からあがる高い機械音は、鳴き声なのか壊れているのか微妙なところだ。
(なんだ、あれ!?)
 迫りくる物体に青が気を取られていると、目の端に素早く動く影があった。反射的に身を屈めようとした瞬間、ガツッと音がして、目の前がスパークした。
 衝撃に膝を折った青は、男のハイキックが自分の右頬を捉えたことを、その時ようやく悟った。
(しまった……!)
 たて続けに繰りだされる攻撃を予想して、朦朧としながらも防御の構えをとった青は、いつまでたっても次の衝撃がこないのに、不審そうに眉をひそめながら男の方に目をやった。
 そこには、背後から羽交い絞めにされている男の姿があった。足で相手を蹴りつけたり、色々もがいているが、男の腰ぐらいしかないその相手は、ビクともしないようだった。
「な?」
 男をガッチリと掴んでいるのは、赤い物体。
 その行く手を遮った者全ては、床やテーブル、ソファ、あるいは壁に叩きつけられて、今も呻いている。鉢植えなどは見る影もなく、かなり可哀相なことになっていた。
 そこまできて、青はやっと気づいた。
(ア、アレクサンダー?)
 赤い物体、それは碧玉がずっと持ち歩いていたあの赤いクマのぬいぐるみ、アレクサンダーだった。
 二本の脚でしっかりと立ち、長い腕で自分より大きな人間を締め付けている。
 と、アレクサンダーが両腕を動かし、いともたやすく男を放り投げた。
 男は大きな放物線を描いて、もう既になにがなんだかわからなくなっている店内に消えた。
「……」
 青が呆然とそれを眺めていると、アレクサンダーはずいっと青に近づき、ひょい、と青の腰を掴んで持ち上げた。
「わ、な、なにすんだよっ」
 ひょっとして自分も投げ捨てられるのだろうか。
 焦ってジタバタと暴れる青を頭の上に掲げ、アレクサンダーはくるりと踵を返すと、自ら切り開いた一本の道を辿って、走りだした。
「な、な、なぁっ!?」
 半ばパニック状態のまま、青は店の外まで運び去られていった。
 店の中では、アレクサンダーの登場によって我に返った人々が、呆然と立ち尽くし、痛みと疲労にへたり込んでいた。
 ようやく収まった騒ぎに、ずっとカウンターの下に隠れていたバーテンも顔をだし、店の有様を見回して、呻き声をあげた。





(畜生、まだちょっと痛ェな)
 あの騒ぎがあった次の日の朝、青はホテルのレストランにいた。
 今日は、青の嫌いな黄色い制服も、白いAラインのコートも着ていない。昨夜の内に、制服姿では目立つからと、今日から私服で過ごすことに決めて、青は、ファスナーだらけの黒いシャツの上に、どう見ても無駄なベルクロやポケットだらけのグレイのカジュアルジャケットを着て、黒のカーゴパンツを履いていた。足元は脛の半ばまであるごついブーツ。三本のベルトが多分装飾的な意味合いだけでつけられたそのブーツは、少し底が厚くて、青はいつもより数センチの身長割り増しに成功していた。
 入口のユニットで朝食を注文し、思いっきり蹴られて痣になった右頬を押さえながらレストラン内を見渡した青の目に、壁際に座った三人連れがとまった。
 その内二人は見覚えがある。だが、残りの一人には、まるで覚えがなかった。
 と、壁を背にして座っていた一人が青に気付き、手を上げて青を手招いた。青は一瞬ためらったが、結局見知らぬ一人に対する好奇心に負けて、三人の座るテーブルの方に歩いていった。
 青を手招いたのは、黒いシャツに黒いパンツスーツ姿の瑪瑙だった。全身黒づくめが、妙に似合う。まるで悪魔か死神のようだ。
 瑪瑙の横には、小さい体からは想像もつかない食欲で、朝から大盛りのオムライスを一心不乱に食べている碧玉の姿があった。碧玉は、フリルとギャザーがたっぷりの白いワンピースに、若草色のカーディガンを着ている。
 その隣には、当然のように赤いクマ、アレクサンダーが置いてあった。今はもう、ただのぬいぐるみに戻っている。
 昨日、店から出ると、店の外で待っていた瑪瑙と碧玉に急かされて、青は途中までアレクサンダーに抱えられたまま、すぐに上の階層に戻った。それからホテルに入って、青はそこでようやく碧玉から事情を聞くことができたのだ。
 アレクサンダーは、実はぬいぐるみ型のロボットで、その名前、アレクサンダー・フレドリク・G・ベアのGは、「ガーディアン」を意味するという。まだうんと小さい頃、碧玉が誘拐されそうになり、それを機に父親からアレクサンダーを与えられたらしい。
 碧玉の声とキーワードに反応して、ぬいぐるみから戦闘ガードロボットに変わるアレクサンダーには、実はレーザーだのロケットだのも内蔵されていると聞いた時、青は、昨日それを使われなくて、本当によかったと思った。
 そして瑪瑙の前の椅子にいたのは、昨日青は見ていなかったが、瑪瑙と話していた情報屋、アルだった。
「おはよう」
 近づいてきた青に瑪瑙が笑顔で挨拶し、碧玉の前、青の知らない人物の隣の席に座るよう、手で促した。
 そろそろ完食寸前の碧玉も顔をあげ、青に笑いかける。
「あ、おはよう、青。怪我の具合はどうですか?」
「……はよ。大丈夫だよ」
 青は、瑪瑙が指示した席に腰をおろすと同時に、自分の隣にいる人物を横目でチラッと一瞥すると、瑪瑙に首を傾げてみせた。
「ああ、紹介するよ。彼は、アル。昨日会ってた相手だよ」
「はじめまして」
 暗い色の服と髪に埋もれたまま、アルがかるく頭を下げる。青は、どこかぎこちなく頷き返した。
「あ、ども。はじめまして」
「それから、アル、こいつが……タマだ」
「俺はタマじゃねェっ」
 途端、青は勢いよく瑪瑙を振り返り、思い切り睨みつける。これ以上、自分のことを「タマ」呼ばわりする人口を増やしたくはない。
「ああ、そうだったね。正式な通り名は青玉、本人は青と呼ばれたいらしいが、巷の愛称はタマだ」
「やっぱりタマなんだ?」
「ちがっ」
「正式には違うよ。ただ、愛称だとかあだ名は、本人がいくら否定しても、いつの間にか定着するものだから」
 困るよねぇ、と白々しく首を振る。青は思わずカッとなって、瑪瑙に人差し指を突きつけた。
「ふざけんなっ だったら、俺もお前のこと鬼畜マスターって呼ぶからなっ!」
「鬼畜マスター?」
 と、首を傾げて瑪瑙を見やったアルは、ちょっと瞬きして、やがて声を忍ばせて笑いだした。
「どうぞ。呼びたければ呼べばいいだろう? 私は別に困らないよ」
「ホントだな、ホントにそう呼んでいいんだな」
「お前にその覚悟があるならな」
「か、覚悟ってなんだよっ」
 瑪瑙の口調と顔つきの不穏さに、思わず動揺する青を庇ったのだろうか、すっかり朝食を平らげた碧玉が、ためらいがちに口を挟んだ。
「あの、それで、さっきの話、青にしなくていいの?」
「話?」
 自分のいない間になにか重要な進展でもあったのだろうか。
 そういえば、アルという名の瑪瑙の知り合いは、何故こんな朝っぱらからここにいるのだろう。
 瑪瑙は、毎日の日課である青のおちょくりはそこまでにして、ふいに真顔に戻った。さっきまでのからかい半分の真顔より、本当の真顔の方がよっぽど怖いな、と青は思った。
「アルが、オークションのカタログを手に入れた」
「カタログ?」
 そう、と頷き、瑪瑙は椅子の上に置いてあった、半透明のファイルを取りだした。
「今日、地下で行われるオークションのものだ。本来は、入場の時にもらうもので、事前には、得意先にしか出回らないんだけどね」
 テーブルの上にファイルを広げると、ズラッと品目の一覧が表示されているのがわかった。ロット番号と商品名、コンディションなどの簡単な説明、エスティメート(落札予想価格)などが記載されている。商品名の横には四角い小さな印があって、それを押すと商品の映像がホログラムで浮かびあがるようになっている。
「問題は、これだ」
 と、瑪瑙が指差したのは、ロット番号17、商品名『えみち』
「えみち!?」
 青は、その文字をたっぷり数秒間凝視した後、
「これ……あの、えみちか?」
 顔を上げて、瑪瑙に尋ねた。
「それはわからない。映像を見ても、ちょっと区別がつかないね」
 言いながら、瑪瑙は商品名の横の印を押して、ホログラム映像を表示させた。
 そこには、見紛うことのない、あのピンク色の物体が、ちょっと困った顔で映しだされていた。一日かそこらしか離れていないのに、もう随分見ていないような気がして、青は目の奥にかすかな痛みを覚えた。





 
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