翡翠は今にも泣きだしそうだ。瑪瑙は、苦い表情で翡翠に首を振った。
青は、そんな翡翠と瑪瑙のやり取りを見ながら、まだ心を決めかねていた。
(えみちがあいつらに持ってかれるのは止めてェ。今回の仕事はえみちがいなくちゃダメだってこともあるけど、けどやっぱ、色々苦労もあるけど、やっぱ、えみちは……かわいいっつーか、なんていうか。とにかく、今更、こんな形で奪われてくなんて冗談じゃねェ。けど、どんなにそれっぽく見えなくても、こいつらは海賊だし、さっきの口調じゃ、いざとなったら平気で俺ら全員殺してでも、えみちだけ奪ってきそうだ。それじゃ元も子もねェよな。けど……)
「えみちを連れてくなんて、絶対ダメだよ」
瑪瑙の制止も聞かず、翡翠は頑なに繰り返す。
と、テスが顔をあげ、PDAを閉じた。
「あんまり煩いんなら、そっちの人も一緒に連れてけば?」
「こんなの連れてったって、鬱陶しいだけだろ?」
確かに、ちょっと鬱陶しいなぁ、と思うことがあるのは同感だが、翡翠までも連れ去られるなんて冗談じゃない。思わず足を踏みだしかけた青を、瑪瑙は、右の手で制した。両手を広げ、瑪瑙は二人を同時に抑えようとしているが、翡翠も青も、そんな瑪瑙を珍しがる余裕もないようだ。
「そうでもないよ」
必要な情報は、全て得たのだろうか。テスは、コネクターを抜き、PDAを仕舞って、取り外したパネルを元通りにする作業に着手した。
シャウラは、テスの意図を汲みかねるように少し首を傾げた。
「どういうことだ?」
「どっかで見たことあるなぁって、最初から思ってたんだよね。そいつ、EGFの社長息子だよ。次男だったと思うけど」
「EGF? あのハイファミリー企業か」
「うん。連れてけば、それなりに使い途ありそうじゃない?」
「なるほど。それもアリかもな」
このままでは本当に、翡翠まで連れて行かれる。
そう思った瞬間、青は瑪瑙の制止も聞かず、声を張り上げた。
「ちょっと待てよ!」
「よせ」
「この上、こいつまで連れてこうなんて、ふざけんなよっ」
「タマ、やめろ」
「タマじゃねェ。なんで止めるんだよ! えみちや翡翠が連れてかれんの、ただ黙って見てろってのかよっ」
怒りを込めて、青は瑪瑙を睨みつけた。だが、瑪瑙は見た事もないような真剣な顔で、青の怒りを受け止め、頷いた。
「そうだ」
瑪瑙の夜のような瞳の深さに、一瞬、怒りを忘れ、青は困惑に眉をひそめた。
「そうだって、お前」
と、床のパネルを完全に元通りにしたテスが、立ち上がりながら笑った。
「そっちの人はよくわかってるね。そこのちっちゃい人は、全然わかってないみたいだけど」
「ちっちゃ……! お前に他人のことが言えんのか!?」
確かに大きいとは言えないが、自分と大差ない身長の奴にまで馬鹿にされる謂れなんかない。
別の怒りでカッとなった青の肩を、瑪瑙がきつく掴んだ。
その痛みに瑪瑙を睨みあげると、瑪瑙は、ニコリともせずに首を振った。
「やめておけ」
「なっ、けどっ」
「命あっての物種って言葉、知らない? それ以上邪魔するなら、絶対大人しくなる方法とるよ?」
「くっ」
(畜生! こんな奴、あの武器構えた奴らさえいなかったら、瞬殺してやんのに!)
そこまで思って、青は微動だにしない装甲宇宙服の二人を窺い見た。
(そう、問題は、あいつらなんだ。あんなの、何発殴ろうが、全然堪えやしねェだろうし、あっさり返り討ちだよな、普通。
けど、このままじゃマジでヤバイし、一か八かでこいつらぶっ倒してみるか……?)
そんな内心の葛藤を見透かしたように、シャウラが青を見て、少し笑った。
「一か八で、俺たちを倒そうとか思ってるんだろ」
「なっ」
驚いて目を丸くする青に、シャウラが更に続ける。
「図星だろ? お前みたいのって、そういうタイプだよな。ま、そういうの嫌いじゃないよ」
「僕は嫌いだけどな」
どこか楽しそうなシャウラの傍らに戻ったテスが呟き、シャウラはまた少し笑った。
「ま、そう言うなって。とりあえず、お前みたいな馬鹿は嫌いじゃないから、今回は見逃してやるよ」
青は、
(誰が馬鹿だ、てめェ。次に会ったら、ぜってェぶっ殺す!)
という怒りを込めて、シャウラの黒いバイザーを睨みつけた。
シャウラは、青の暗黙のメッセージをわかってはいるのだろう。だが、それには触れず、装甲宇宙服の一人に手で合図を送った。
「そこの金髪を連れてけ。撤収する」
三人にピタリと銃口を合わせたまま、身じろぎ一つしなかった装甲宇宙服の一人が、銃口を翡翠一人に合わせて、こっちに来るように身ぶりで示した。だが、翡翠はその合図には気づかないのか、シャウラの手の中で切なそうに鳴くえみちを、ハラハラと見つめていた。
動こうとしない翡翠に、シャウラに命じられた一人が、重そうな足を踏みだし、翡翠の胸に銃口をつきつける。
胸に硬い感触を覚えて、翡翠はようやく、えみちから目の前の深緑の装甲宇宙服の相手に視線を移した。
戸惑いにゆっくり瞬きして、傍らの青と瑪瑙を見やると、チラッとえみちに視線を戻し、それからまた瑪瑙と青を見て、ゆっくりと微笑んだ。
「ごめんね、僕、えみちと行くよ」
「翡翠、お前なに言ってんだよ!」
「これは仕方ないよ。行かないわけには、いきそうにないしね。僕のことなら大丈夫だから」
「大丈夫って、なにが大丈夫なんだよっ」
「大丈夫だよ」
翡翠は、泣きだしそうな顔で怒っている青に笑いかけると、落ち着いた足取りで、シャウラたちの方に歩きだした。
青と瑪瑙は、それをただ見ていることしかできなかった。
(できねェのか? ほんとに、なにもできねェのか? 俺は……)
無力感に打ちのめされている青と、怖いくらいの無表情で立っている瑪瑙を残し、翡翠は、装甲宇宙服に背中に銃口をつきつけられながら、静かにブリッジを出ていった。
「翡翠っ」
反射的に足を踏みだしかけた青を、シャウラが鋭く制する。
「動くな」
それから、口調を緩めて言った。
「妙な真似したら、まずお前の仲間が死ぬぞ。ここはおとなしく、俺たちを見送っておくんだな」
「くそったれ」
青は口の中で呟いたが、動くことはできなかった。
「……畜生!」
現れた時よりも比較的小さい余波を残して、暗灰色の海賊船がリープするのをスクリーンで確認すると、青は操縦席の背もたれを思いっきり拳で殴りつけた。
「落ち着け」
瑪瑙に声をかけられて、青は、更に怒りを露わにして瑪瑙を振り仰いだ。
「落ち着けって、よくそんなことが言えんな。翡翠とえみちを海賊なんかに連れ去られちまったんだぞ? どうすんだよっ」
「とにかく、まずは会社に連絡するんだね」
「会社に言って、どうにかなるのかよ」
「このままじゃ、期日までに仕事を終えれないだろ。その連絡と」
「てめェ! 仕事とあいつらとどっちが大事なんだよ!」
カッとなって、青は思わず瑪瑙に掴みかかった。今まで、どんなに頭にくることを言われても、後の仕返しが怖くて、絶対に直接手をだせなかったが、今度ばかりはそんなことも言っていられないらしい。
だが、瑪瑙は制服の胸元を掴む青の手を抑え、淡々と言った。
「あいつらを取り戻しにいく許可と協力を得るんだね」
「え」
予想もしてなかったセリフに、青の拳が緩む。瑪瑙はその手をそっと外して、揶揄するように薄く笑った。
「それとも、このまま諦めるか?」
「諦めねェよ! けど、どうやって」
相手は海賊で、しかもリーパー船に乗っている。今頃どこの星系にいるのかさえわからないのに。
「どうやってでもだよ。いいから、まずは会社に連絡を入れなよ。そうしないと始まらない」
「わ、わかった」
青はゴクリと息を呑んで、メインスクリーンに向き直った。
「アンバー、本社に繋いでくれ」
『はい、すぐに』
テスに脅され、ずっと沈黙を守っていたアンバーは、撃てば響くように応えた。
そして幾許もなく、メインスクリーンに馴染みの顔が映しだされた。
『海賊? 嘘でしょ!?』
それが、青が事の成り行きを話し、これから探しに行く許しを求めた時の、本社の業務課長瑠璃の第一声だった。
大きな目を益々大きく見開く瑠璃に、青は声を張り上げた。
「こんな嘘つくかよっ」
『だって、ほんとに? 翡翠とえみちを、そんな、どうしよう……』
と、呟いて、片手で口元を押さえる瑠璃の映像が左上に移動し、突然、中央の格子ににこやかな笑顔が現れた。
『お話中、失礼しますよ』
「真珠!?」
同時通信で強制的にスクリーンに現れたのは、社長秘書の真珠だった。驚いて目を見開いている青と、平然と会釈した瑪瑙に微笑み、真珠が言った。
『失礼ですが、聞かせていただきました。この件は少々特殊ですので、瑠璃さん、申し訳ないんですが、この件に関しての担当責任者から外れていただきますね』
『えっ、でも』
瑠璃は戸惑ったように目をしばたたかせ、有無を言わせない真珠の笑顔に、やがて諦めたように頷いた。
『わかりました。あの、よろしくお願いします。絶対……』
『絶対に連れ戻しますよ』
『お願いします。それじゃ、青、瑪瑙、また、ね。がんばって。あたし、応援してるからね』
瑠璃はちょっと泣きそうな顔でそう言って、通信から外れた。
「おい、担当責任者ってまさか……」
嫌な予感に顔を曇らせる青に、真珠がにこやかに告げた、
『ええ、私です。というか、この件に関しては社長直属という形ですね』
「それって、行っていいってことか?」
『そうですね。ただし、お二人だけでというわけにはいきませんが』
あっさりと翡翠とえみちの救出に向かう許可を得たことを安堵しつつ、青は真珠の言葉に首を傾げた。
「二人だけじゃないって、どーゆーことだ?」
『応援を考えてるんですよ、もちろん。でもその前に確認しておきたいんですけど、その海賊たちの映像は残っていますか?』
「え、アンバーが記録しておいてくれたはずだけど。なぁ、アンバー?」
青の呼びかけに答えたアンバーの声は、戸惑いと不安に満ちていた。
『それが、最初に捉えた瞬間から消えるまでの映像記録が、すっぽり抜けているんです』
「なんでそんな……あ、あいつがなんかしたのか?」
ブリッジの床にしゃがみこんで作業する、白い宇宙服姿が蘇る。
『はい、おそらく』
『あいつというのは、例の海賊ですか?』
「そう、すげェムカつく奴。メインコンピュータのコンポートネントいじって、情報を……」
と、何故そんなことをしたのか報告していないことを思い出し、青は不安げな顔を真珠に向けた。
「そうだ、あいつら、紅のこと探してるらしいんだよ」
『そう言ってたんですか?』
「最初、あいつの船と間違えたみてェ。で、俺らの船にあいつの船の情報がないか調べてったんだよ。なにが見つかったのかは言わなかったから、わからねェけど」
『そうですか……』
と真珠はちょっと考えこみ、やがて、にっこりと笑った。
『わかりました、ありがとうございます。その件についてはこちらで対応します』
「あいつの船、リーパー船の中で見たけど、すげェボロボロだったぜ」
『そのようですね。他の海賊船と戦闘があったようですから』
「それって、ほんとに大丈夫なのか?」
『まぁ彼なら大丈夫だと思いますよ。それより、記録が残っていないのは痛いですね。お二人が覚えていることはなにかないですか?』
「覚えてること?」
覚えている。鮮明に。
あの暗い色をした船がリープしてきた瞬間のことも、最初に聞いた男の声もセリフも、その姿を映したスクリーンの暗さも、ドッキングチューブの青さも、エアロックから姿を現した深緑の装甲宇宙服姿に対する恐怖も、その後のこともなにもかも。
記憶の波に言葉を失った青に代わって、瑪瑙が静かに言った。
「シャウラとテスという名前だったよ。偽名だとは思うけどね」
『シャウラにテス? そのシャウラという方は、サングラスをしていませんでしたか?』
「してた。してたぜ」
乗り込んできてから宇宙服は脱がなかったが、二度目の通告の時に見た男は、確かにサングラスをしていた。青が強く頷きながら言うと、真珠は珍しく、わずかに表情を曇らせた。
だが、再び口を開いた時には、穏やかな微笑みを浮かべていた。
『なら彼は、別名「イブル・アイ」ですね。船の名前は確かサダルメリクだったと思いますよ』
「いぶるあい?」
『イブル・アイ、邪眼です。その目を見た者で、無事に生き延びた者はいないと言われてますね』
「なんだ、それ」
青は、随分大袈裟な言い方だと眉をひそめた。
『ちょっと厄介かもしれませんね。詳しい情報を集めてから改めてお送りしますが、今私が知っているだけの情報でも、できれば関わらない方がよさそうな相手だってことはわかりますよ』
「関わらない方がいいたって、そうしなきゃあいつらは取り戻せねェんだろ。だったら、そんなこと言ってられるかよ」
決然と言い切る青に、真珠は目を細めて笑った。
『頼もしいですね』
だが青は、そんな真珠の言葉も殆ど耳に入っていなかった。
眩暈のするような記憶と、なにもできなかった憤りと、絶対に取り戻してみせるという強い決意が自分中に赤い色をして渦巻いている。
赤は、血の色。
例えそれが自分自身の血の色だったとしても、絶対に諦めるつもりはなかった。
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