ひよこマーク  
 

その3
 
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 アンバーの処方した薬で落ち着きを取り戻したペットとレネゲイ氏を置いて、彼の客室から出ると、青は一旦飲み込んだ疑問を翡翠にぶつけた。
「お前、えみちだけじゃなかったのかよ。どうなってんだ? なんであのフェルキの言ってることがわかるんだよ」
「えー? だって、翻訳機があるし」
「翻訳機!?」
 考えてみれば、他に方法はない。だが、えみちはえみち自体が不思議でなにをするかわからない動物だったから、それが理由だと思っていた。瑪瑙も同じように思っていたのかどうかはわからないが、少し考えこむような間をあけ、瑪瑙が興味深げに言った。
「なら、お前の翻訳機は、えみちの種族にも対応してるってことか。翻訳機が作られるほど既知の生き物だったとは驚きだよ」
「あ、そういや、アンバーは知らないって言ってたよな?」
『私のデータベースには詳しい情報はありませんでした。現在調査中ということで』
 アンバーの声は、ちょっと悔しそうだった。
「うん。だからね、僕のは試作品なんだよ。これでうまく話せるか、実験中なの。ついでに、新しい言葉もえみちから教えてもらって、完成品に近づけるんだって」
「だって、って、誰がそんなもん」
「うん、兄さんが」
「兄貴? お前、兄貴いたんだ」
「うん。あと妹も一人いるよぉ。かわいいんだ~」
「へ~…… って、そんなのはどうだっていいんだよ。なんでお前の兄貴は、そんな翻訳機なんか持ってんだよ」
 思わず普通に感心してしまってから、青は更なる疑問に首を傾げた。翡翠は、意外そうに目をしばたたかせ、あれ? と言った。
「言ってなかったっけ? 僕の父親の会社で作ってるんだよ。兄さんもそこで働いてて、僕が面白い動物を集めるのが好きだって言ったらくれたの。ただし、時々集まったデータを転送しなくちゃいけないんだけどね」
「ああ、そういえばお前の実家ってEGF(エバーグリーンフォーリッジ)だったな」
「うん」
「ええっ!? EGFっつったら、すげー大企業じゃねェか」
「まぁそれなら、まだ市場に出回ってない最先端の翻訳機を持ってるのも不思議じゃないね」
「不思議じゃないって……あーまぁ、翻訳ソフトメーカーとしても有名だもんな。いやでも、そっか、確かにお前の別荘とかってのもでかかったよな。アクィナス社の「アステリア」まで持ってたもんなぁ。言われてみりゃ確かになぁ」  
 言われてみれば。
 言われてみれば、翻訳機のことだって、翡翠の実家のことだって納得いくが、言われるまで、まるで思いつかなかった。そんな自分の鈍さが恥ずかしくて、青は殊更に激しく納得してみせた。  


  それからは特に問題もなく、一日半の後には、レネゲイ氏と彼の荷物、そしてもうすっかり体調も戻った彼のペットをエウロパで降ろすことができた。  
 オレンジ色の回転ローダーが、貨物室から荷役ロボットによって運び出された荷物を、宙港で待っていた会社の輸送用シャトルに積み込んでいる間に、青はエウロパでの輸送担当者に積荷明細を渡した。  
 濃紺の制服を着た焦げ茶の髪のおとなしそうな青年は、青の肩越しに、一応見送りには出ているものの、相変わらずなにもしようとはせずにシャフト近くに立っている瑪瑙を、チラチラと何度も窺い見ていた。それに気づいた青の訝しげな表情を見ると、ちょっと照れ臭そうに笑って、それから、とっておきの秘密を教えるように囁いた。  
「ファンなんですよ、瑪瑙さんの」  
(しゅ、趣味悪ィ)  
 青は思わずたじろいだが、  
「そうなんだ」  
 かろうじてそう呟くに留めた。
 瑪瑙がひそかに人気があると聞いたことはある。だが、青には信じられなかった。信じたくなかった。
 もし本当にそうだとしたら、世の中には悪趣味なマゾばっかりに違いない。
 この青年も意外とマゾだったりするのかもしれないが、それを面と向かって言うのはまずいだろうと、青は懸命に平静を装っていた。 だが、青年が更に、  
「羨ましいですよ、ホント」  
 と言うのを聞くと、  
「じゃあ、代わってくれよ」  
 ため息まじりに言うのを抑えきれなかった。青は、本当に本気でそう思っているのだが、青年は冗談にしか思えなかったのだろう。  
「またまた、そんなこと言って。代われるもんなら代わりたいですけどね」  
 と笑って、受け渡し確認のサインをしたファイルを青に手渡した。  
 青は、  
(知らないってのは怖いよな)  
 と心の中で呟くと、ファイルを受け取り、最後にレネゲイ氏に一言別れを告げて、琥珀へと戻っていった。 別れの挨拶をする間もずっと、レネゲイ氏は、胸にしっかりとフェルキを抱きしめていて、青は、  
(あんなに大事にしてんなら、仕方ねェのかな)
 浅いため息をついて納得すると、琥珀のシャフトから下りたタラップを昇っていった。
 瑪瑙は、青が戻ってくるのを遠目に確認すると、さっさと先に入ってしまっていた。
 色々あったが、最後には、迷惑かけたからと三人に特別チップもくれたし(なんにもしてない瑪瑙にまで払ったのには複雑な心境だったが)、なんだかんだいって、いいお客……
(まぁ、プラマイゼロってとこかな)
 と、青がブリッジへのスライドドアを抜けた時、まるで計ったかのようなタイミングでアンバーが言った。
『本社から通信のようですよ』
「本社から? 誰?」
 こないだまで船内をウロウロしていたあの社長秘書だったりしたら嫌だな、と一瞬身構えたが、アンバーが告げた名前に、青はホッと胸を撫で下ろした。
『業務課長からです』
「なんだ。オッケー、いいぜ、繋いで」
『メインスクリーンで繋ぎます』
 アンバーの言葉と共に、ブリッジの正面の壁を大きく占めるメインスクリーンに緑の格子が浮かび、真ん中の格子に本社の業務課長、瑠璃の姿が映しだされる。 肩口まで見えたその映像から、瑠璃が今日は淡いオレンジのチャイナワンピースを着ていることがわかった。
(内勤の奴は自分の好きなモン着れていいよな)
 瑠璃の姿を見る度、青は自分の恥ずかしいひよこイエローの制服と比べて、つくづく羨ましいと思ってしまう。ちなみに、瑠璃のようなチャイナワンピースが着たい、というわけではない(当たり前)。
 だがそれも、あと一年の辛抱だ。あと一年もすれば、青にも、瑪瑙や翡翠が着ているような濃紺の制服の着用が許される。
『あ、一人?』
 ブリッジの操縦席に腰掛けようとしている青を認めると、瑠璃はカメラの可視領域外を覗きこもうとするかのように、首を伸ばした。
「そうですけど?」
 別に問題ないだろ? と言わんばかりの青に、瑠璃はちょっと困ったように首を傾げた。
 時折こうして本社から頼まれる仕事は、大抵青が独自の判断で引き受けている。
(っつーか、他の奴らはなんの役にも立たねェしな)
 だから、そこで瑠璃が困ったような素振りをするのが意外だった。
「俺一人じゃマズイのかよ」
 訝しげに尋ねる青に、瑠璃は取り繕うように笑った。







 
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