「それは大丈夫ですよ。バレないように、代わりを用意してきましたから」
「代わり?」
秘書の真珠には、そっくりのアンドロイドがいるとか、双子の兄弟がいるとか、そんな噂もある。噂は真実だったということだろうか。
「ええ、代わりです」
にっこり、と微笑む真珠は、それ以上話す気はなさそうだ。それでも、青はもう一押しだけしてみることにした。
「代わりって、そっくりな替え玉でもいんのか?」
「秘密です」
満面の笑み。
「あ、そ」
青は、これは無理だと諦め、ソファの前のローテーブルに置いた、蓋つきの白いシリコン製のカップを手に取った。中には発泡する青い液体が入っていて、ストローで吸い込むと、喉の奥でパチパチと気泡が弾けるのがわかる。青はこういう、見るからに体に悪そうな妙な飲み物を好んで飲む。臆病なくせに、変なところがチャレンジャーだ。
翡翠の前には紅茶、瑪瑙の手にはコーヒーの入ったカップがあった。それぞれ、無重力下でも平気なように、しっかり蓋をされ、ストローが差し込まれている。真珠は、最初はコーヒーを、と言ったのだが、青の飲み物を見ると途端に興味を引かれたらしく、自分も同じものを用意してもらっていた。
少しでも珍しい、面白いものを味わおうとする真珠は、好奇心の塊みたいだった。今も、多少なりとも好奇心のある人間なら興味を示すだろう対象、つまりえみちを、どこからか取りだしたホロビデオで撮影し始めている。
……って、ビデオ?
「ちょ、それなんだよ」
「それ? ああ、ビデオですよ」
真珠は、青とその指の指し示す自分の手の中のビデオを見比べると、やけに爽やかな笑顔で応え、またすぐに、えみちの撮影を再開した。
「いや、だから、なんでビデオなんか」
「視察にビデオは必需品ですから」
「じゃなくて。なんで、そいつ撮影してんだよ」
青は、イライラとえみちに指を突きつけた。指さされたえみちが、青になにか言っているようだったが、にゅうにゅう騒いでいるだけで、なにを言っているのかなどわからない。
と、今度は青にカメラを向け、真珠は楽しそうに言った。
「旅の思い出です。はーい、手を振ってくださーい」
「アホかっ!」
青は吐き捨て、顔を背けた。
「お前、仮にも社長秘書に向かって、アホとか言うんじゃないよ」
呆れたように注意しながらも、瑪瑙はなんだか機嫌がよさそうだ。
「仮にも、っていうのが多少引っかかりますが。瑪瑙も手を振ってくださいよー」
(んなこと、こいつがするかよ)
だが、予想に反して、瑪瑙はヒラヒラと片手を振った。目を細めて、猫のような笑顔まで向けている。青は意外そうに目をしばたたかせた。
「あ、いいですね。後でコピーして送りますね」
「ついでに視察現場も見たいな」
「内緒ですよ?」
気心知れたようなやり取りに、青は更に言葉を失った。
(こいつら、こんなに仲が良かったか? なんか、こいつらが仲良ければ良いほど、嫌な感じがすんなぁ)
顔を顰めて青が心の中で呟く間にも、再び真珠のカメラは、翡翠の手の中のえみちへ向けられている。どうも、えみち中心に撮っているような気がするのは、気のせいだろうか。
「あ、翡翠さん、えみちと一緒に手を振ってくれません?」
「んー……こんな感じ?」
「あ、いいですね。楽しそうです」
誰よりも楽しそうに真珠が言う。
そして、この中で唯一、まるっきり楽しくない、と思っている青は、カップの中身を飲み干して自室に引き上げることにした。一応の挨拶は済んだのだし、これ以上付き合う義理はないはずだ。
「どこに行くんだ?」
立ち上がった青を見咎めて、瑪瑙が声をかける。
「自分の部屋に行くんだよ。別に、ここにいなきゃなんねェ理由なんてねェだろ?」
「え、タマさん行っちゃうんですか? せっかくだから、えみちとツーショット撮りましょうよ」
「だ、から。タマとか言うなよ。なんで俺が、そいつと仲良く映らなきゃいけねェんだよ。そいつの飼い主は翡翠なんだから、翡翠と撮ってりゃいいだろ」
いつもいつも、なぜか飼い主でもなんでもない自分がえみちの食事の支度だのなんだのをさせられていることを思い出し、青はここぞとばかりに、飼い主は自分じゃないことを強調した。確かに、「えみち争奪戦」では勝った青だったが、当たり前のように、その後もえみちは翡翠のポケットあるいは手の中だ。今更、それを変えようとも思わない。ただ、翡翠にはもう少し、飼い主としての自覚ってものを持ってもらいたいと思っていた。
と、その時、青は、えみちが明らかにショックを受けた表情で自分を見上げているのに、気がついた。
にゅにゅにゅう、と、小さくなにか呟いている。
「な、なんだよ」
頭の上に、「ガーン」と書き文字が浮かんでいそうなえみちの顔に、思わず声のトーンが落ちた。
「ああ、かわいそうになぁ」
瑪瑙がひどく愉しそうに呟くのが聞こえた。
「なんだよ、俺がなにしたってんだよ」
「えみちと一緒に映りたくないなんて、えみちのことが嫌いなの? って言ってるよ」
どういう特殊能力か、なぜかえみちの言葉を理解できるらしい翡翠が通訳する。ショックを受けた後は、悲しそうに涙ぐんでさえいるえみちに、青は動揺した。
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