「水に漬かると分裂するのか? グレムリンみたいだな」
こんな状況でもやけに冷静な瑪瑙が、独り言めかして呟きながら、二匹のえみち(3号と4号)をつまみあげた。
「ぐれもりんってなんだ?」
増殖するえみちと、平然としている瑪瑙の両方がわからない。ついでに言っている言葉の意味もわからないから、青は、とりあえず答えのでそうなことだけでも聞いてみた。だが、
「そういうものだ。そんなことより、これはどういう仕組みなんだ?」
と、瑪瑙は素っ気ないし、なんの答えにもなっていない。青の疑問を聞き流して、両手のえみちを観察している。
「知らねェよ。お前がひでえことするから、怒ったんじゃねえのか」
青は、ちょっと不機嫌そうな声で呟いた。
「ひどいこと?」
「詰め物に使っただろっ」
「ああ、そのこと。なんとかしろって言ったのはお前だろう?」
かるくいって、3号4号えみちを翡翠の手に乗せた。
既に一匹手の上にいたえみちと、合計三匹のえみちを持て余し、翡翠は身動きできずにいる。
「だからってなぁ」
「丁度いい大きさだったんだから仕方ない。孔がもうちょっと大きかったら、タマでもよかったんだけどな」
「ふざけんなっ、オレはタマじゃねェって、てめーは何度言ったらわかんだよ、マジでっ」
「わかってはいるんだよ。わからない?」
知らない人が見たら、優しそうな、とでも形容しそうな微笑みで問いかける。
「なんだと?」
「わかってて、わざと、言ってるんだよ」
「ってめ」
思わず殴りかかりそうになった青を押しとどめたのは、暫く静かだったスピーカーからの怒声だった。
「貴様ら、なにをしたっ!」
「バカ息子っ」
反射的に声をあげ、青は負けじと怒鳴り返した。
「そりゃこっちのセリフだ! てめー、水なんか流しこみやがって、さっさと止めやがれ!」
「そんなことが、貴様にいえる立場だと、うわ、よせ、やめろっ! な、なんだその目は……う、うわあああぁぁっ!」
断末魔のような悲鳴を響かせて、ブツ、とマイクのスイッチが切れる。青は怒りも忘れて、呆然と呟いた。
「……なにが起こってんだ?」
「それより私は、これからなにが起こるかの方が興味あるね」
なんとなく、興味があるという割にイヤそうな口調で、青は訝るように瑪瑙に首を傾けた。
「え?」
「聞こえるだろ?」
「聞こえるって……」
耳を澄ませ、意識の淵にひっかかっていたかすかな音を認識する。
「この、ミシミシとかいってる? なんの音だ……?」
「おそらくね、私の予測が間違っていないなら、この壁、崩れるよ」
「な、なんで」
「間違えであればいいと思うよ」
珍しく深刻そうな面差しで、瑪瑙が見つめる先には、二匹のえみち。その時答えに気づけなかったのは、気づきたくなかったから、なのかもしれない。
ミシ、ミシ、と骨の軋むような音の間隔が、さっきより短くなったようだ。
「気をつけろ」
と、壁際から離れ、中央に寄るよう瑪瑙が促し、青は、ぽーっと立っている翡翠の腕をとった。
「翡翠、こっちだ」
「んー? なに?」
青の腰まである水をかきわけ、円筒形の部屋の中央にひとかたまりになる。翡翠は、両手のえみちをちょっと困ったように眺め、一匹を右、一匹を左のポケットに入れ、もう一匹をその手に持った。それから、孔の中で、かなしそーにふるえているえみちと、瑪瑙、青の顔を順に見比べ、
「えみち、外してあげないと……」
と、足を踏みだしかける。それを、片手で制したのは瑪瑙。
「やめておけ」
「でも」
「ダメだ」
断固として首を振る。
ビギッ
一際大きな音がして、青は咄嗟に顔をあげた。
例の、えみちがはまったままの孔の上、その壁に一直線に亀裂が走ったかと思うと、稲光か枝葉のように、細かなひびが増え広がる。
そして、銀色の壁がせり出し、柘榴のようにはぜ割れた。
「!」
柘榴の実は、血のように鮮やかな赤。
だが、銀色の壁の破片を押し開いてあふれだしたのは、ピンク。
ピンク色のそれは、えみち。
大量のえみちが、「にゅうにゅう」鳴きながら溢れだしてくる。
「ウソだろ?」
だれにともなく呟いて、青は身じろぎもできずにそれを見ていた。
こぼれ溢れ流れだすえみちは、腰までの水に落ち、ブルブルふるえてその数を増し……
青の足をすくい、身体ごと持ち上げて、押し流した。
「う、うわっ」
ようやく悲鳴を絞りだした青は、反対側の壁にえみちごとぶつかり、瞬間、撥ね返され、更に勢いをつけて壁にぶつかった。
撥ね返ってくるえみちに呑みこまれて、ピンク色の海の中に沈む。
グルグルグルグル……
渦潮に呑みこまれたみたいにえみちの中で撹拌されて、ふいに、どっと押し流された。たぶん、反対側の壁が壊れたのだろう、と、ぼんやりと考える。
そしてえみちごと流されながら、
(どこ行くんだ? これ)
少し他人事みたいに思った。
本当は、すごく深刻な事態なのかもしれない。だが、自分を押し流していくのが、「にゅうにゅう」騒がしい大量のえみちでは、なんだか悪い夢でも見ているような気分にしかなれない。
(こんなのが現実だったら、現実って結構なんでもアリだよな)
と、思った。
すると、唐突に、
大量のえみちに押し流されてもがく青の耳元に、ちょっと恥ずかしくなるような甘い声が響いた。
『やっと、見つけましたよ』
「アンバー」
「アンバー? アンバーか!」
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