ひよこマーク  
 

そのいち
 
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「水責めなんだろうね、これは。なんて古典的な」
 瑪瑙が冷静に感想を述べる。青は反対に頭に血を上らせて、反射的に瑪瑙を怒鳴りつけた。
「言ってる場合かっ! マジでやべェだろっ」
「ああ、そう?」
「ああそう、じゃねェよ! んな翡翠みてえな返事なんか聞きたくねえんだよ。なんかいい方法ねェのかっ?」
 みるみる嵩を増す水が膝を越え、青は軽いパニックが喉元にこみあげてくるのを覚えた。膝下にある内は、そんなに恐いと思わなかったのに、膝を越してくると、いきなりリアルだ。
 だが、青がこんなに焦ってるというのに、翡翠ときたら相変わらずで、ポケットからえみちを取り出して、増えていく水を見学させていた。全然、危機感のない口調で、
「すごいねー」
 なんて話しかけている。 ある意味、そっちの方がすごいかもしれない。
 その上、翡翠よりはちょっとまとも(鬼畜だけど)だと思っていた瑪瑙まで、まるでこの状況をわかってないのか、やけに平然と辺りを眺めている。
 青は、パン種みたいに膨れあがる恐怖を、怒りに変えた。怖くてどうしようもない時は、怒っている方がラクだ。
「なぁ! もっとマジに考えろよっ! このままじゃみんな溺れ死んじまうんだぜっ!」
「そんなに慌てなくてもいいだろう? 膝下ぐらいの水でそう騒ぎたてるなよ」
「お前らには膝でも、オレにはもう太股なんだよっ」
 青の叫びに、瑪瑙はちょっと下を見下ろし、
「ああ、ほんとだ。気づかなかったよ」
 と、白々しく呟いた。
 しかも思いっ切り棒読み。本当は、この一言がいいたくて、わざと平然とした顔をしていたのかもしれない。
(……ち、チクショー)
 青はギロリと上目遣いに瑪瑙を睨みつけ、
(自分のがちょっとばかし背高いからって、ほんのちょ~っと足が長えからって、イヤミったらしいんだよ、ちくしょおぉっ!)
 はた、と気がついた。
「って、だからそんなことより! なんとかしろよっ」
 水嵩は、青たちがそんなことしてる間にもどんどん増して、青の腰までが生ぬるい水に浸かっている。
「他力本願な態度だね。自分ではなにも考えないのか?」
 考えたくても、正直、青にはなにか考えるような余裕は、既に、ない。
「んなこと言ったって……! ちくしょう、なんかいい考えとかねえのかよっ」
 思わず、無理を承知で言ってみた青に、瑪瑙はあっさりと頷いた。
「まぁ、あるにはあるね」
「えっ? ど、どんな?」
 藁にもすがる思いって言葉は、こんな時にこそ使うものに違いない。
「まぁ、こうする」
 瑪瑙はひょい、と手を伸ばし、翡翠の手の上で楽しそうに「にゅうにゅう」笑っていたえみちを掴むと、無造作に、まるで当たり前みたいに、水のわきでる穴に、えみちを詰めこんだ。
「うにゅっ!」
 たぶん悲鳴をあげて、えみちはすっぽりとその穴にはまった。
「ほら、ぴったり」
「あ、えみち……」
 瑪瑙は自慢げに笑い、翡翠はぼんやりとえみちに手を伸ばした。
 青はゴクリと息を呑み、呆然と非難の目を向けた。
「な、んてことすんだよ、この外道」
「でも水は止まっただろ?」
「っても、詰め物代わりに使うか? かわいそうじゃねェか」
「そう?」
「えみち、泣いてるよ」
 翡翠の夢でも見てるような声に促されて、
「ほら! 泣いてるってよ!」
 青は穴の中を覗きこんだ。
「これ、泣いて……るのか?」
 なんだか辛そうな顔で、プルプル小刻みにふるえているけれど、これは泣いているっていうのだろうか。見ようによっては、そう見えないこともない、のだが。
 瑪瑙は、
「かわいそうにな」
 とか言ってる割には、やけに楽しそうだった。
「お前なぁ、そんなことばっかやってっと、いつかぜってー刺されるぜ」
 と、青の言葉を裏付けようとするみたいに、
 ポンッ!
 えみちが、勢いよく孔から飛びだした。
「うわっ」
 咄嗟にそれを受け止め、青はちょっと勝ち誇ったように瑪瑙を振り返った。
「ほら、見ろ。……大丈夫か?」
 えみちの様子を窺う青に、瑪瑙が珍しく不安そうな声をかけてきた。
「ちょっと待て。それ、本当にえみちなんだろうね?」
「なに言ってんだよ。見りゃわかんだろ」
「なぜ、水は止まったままなんだ?」
「は? え? あ、あれ?」
 水が溢れでてきていた孔を見やり、青は自分の目を疑った。
 孔の中には相変わらず、ちょっとかなしそーな顔のえみちが、きっちりみっちりはまっている。プルプルふるえる様子は、さっきまでと同じだ。
「えみち……これも、えみち? なんで?」
「お友達かなぁ」
 のんびりと翡翠が呟く。
「な、ワケねェだろ!」
 と、突っ込むだけ突っ込んでみたものの、目の前の光景に、うまい理由づけが見つけられない。
 瑪瑙が、二匹のえみちを見比べて、ぽつりと呟いた。
「分裂、したのか?」
「分裂? ……うわ、気持ち悪ぃ」
 思わず、青はえみちを放りだした。
「にゅー!」
 宙に飛んだえみちが叫ぶ。
「えみち? 大丈夫?」
 珍しくタイミングよく手を差し出した翡翠の手の平の上で、えみちが嬉しそうに目を細めて笑った。針で引いたように細い。
 と、孔の中からまた一匹、ポンッと、えみちが飛びだした。
「うわっ、また!」
 と驚いた青は、次の瞬間、声を失った。
 ポチャン、と水の中に落ちたえみち3号が、プルプル痙攣するようにふるえたかと思うと、
 ポン、と二つにわかれた。







 
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