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角を曲って少し歩き、柚己は、一旦トイレの前に立ち止まってドアをスライドさせた。そして中には入らず、あのロボットが、自分の足音に耳を澄ませていた場合を考えて、個人用の防音フィールド発生装置を作動させてから非常用シャフトに向かった。携帯用の小さなタイプだから、あまり性能はよくないけれど、短時間ならロボットの聴覚をごまかすこともできるだろう。
そして柚己は、非常用シャフトに潜りこみ、ここに来る前に調べておいた区画地図を頭に描いて、研究開発部のあるエリアCへ向かった。
エリアCには、殆ど人気がなかった。みんな、部屋にこもったまま出てこないのかもしれない。
柚己は、とりあえず、一番奥の部屋から調べることにした。
ロックは……かかっていなかった。
(不用心だな。誰か不審なヤツが入りこんだらどうするんだ。研究開発部なんて、一番警備が厳重でもいいのに)
不審人物そのもの柚己は、少しあきれ、少し警戒の色を濃くしながらその部屋に入った。
「!?」
部屋の中央には、安楽椅子のような形をした整備台が置かれていた。そこに座った人影の、首の後ろとこめかみから、銀色のケーブルが伸びている。こめかみのケーブルは細く、首の後ろの二本は太い。
「ファイ」
思わず呻くような呟きがもれる。それはファイだった。
(いきなり、ビンゴか)
眠っているのだろうか。あのケーブルはなんだろう。
切り開かれた傷口を見れば、ファイが、人間かロボットかサイボーグかが、わかるかもしれない。恐る恐る足を踏みだしかけた柚己は、
「ここは立ち入り禁止だけど?」
目に見えない女の声に、ギクリとして凍りついた。
整備台の反対側から現われたのは、
「どこから入って来たんです? ……ああ、あなた、どこかで見たことがあると思ったら、例の展望ドームにいた人ですね。まさか、TC9に会いに来たとか?」
ファウンテインだった。
「な、あんた上にいたんじゃ……」
「上? ああ、私のダミーに会ったんですか。なかなかよく出来てるでしょう? 面倒な面会やら視察やらは、全部あのダミーに任せてるんですよ。そんな、なにもかも自分自身でこなしてたら、いくら時間があっても足りないからね」
「だから、俺を見ても気付かなかったのか」
「完全に私のデータを移行させることはできないよ。必要な情報はすべて与えているつもりだけど、まさか、あなたの情報が必要になるなんて思ってませんでしたしね。たとえあのまま忘れ去らなくても、捜し当てるとは思いませんでした。正直言って、驚いたよ」
「ファイは……」
ファウンテインは、つと柚己に背を向け、整備台の脇に据え置かれた制御卓のパネルスイッチに指をすべらせて、そこのモニタディスプレイをチェックしながら、冷ややかな口調で言った。
「ファイ、ね。余計なことに首を突っ込まない方が賢明だと思うよ。所詮、あなたは代用品でしかないんだしね」
「代用品?」
「それも、単なる名前の符号でしかないんですよ。ヘタな思い入れしたって、本物には適うワケもなし。いずれ、実験の過程で、あなたのことなど忘れるんだから」
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、なに言ってんのかわかんねェよ。自分勝手な独り言なら、どっか余所でやってくれ」
吐き捨てるように言いながらも、本当は、薄々勘づいていたのかもしれない。そのことを考えたくなかっただけなのかもしれない。
「いいでしょう。あなたにもわかるように説明してあげるよ。そうすれば、あなたも諦めがつくでしょうしね。
そうですね、まずはなにから話ましょうか。TC9がロボットだってことはわかってるのかな?」
「……サイボーグ、だろ?」
「お褒めに預かり、恐縮です。ロボットには見えないでしょう? 私の最高傑作だからね。電脳臭さがないんだよね。でも、ロボットなんですよ。正真正銘、ね」
柚己のショックを明らかに楽んで、ファウンテインはわざと強く繰り返した。
「けど、ドームにロボットは入れないはずじゃないのか」
「そういう警告は、流れてるみたいですけどね。TC9には、自分がロボットだって自覚はないから。いえ、だからと言って、ニンゲンだと思ってるわけでもないんですけどね。なにしろ、世間知らずでねぇ。機能を始めたばかりなんだよ。それも、最初から別の人工知能と融合した状態だったし、TC9が個別の存在となったのは、本当につい最近のことなんですよ」
「他のAIと融合? それは、ファイが言っていた、ぼくら、のことか?」
ファウンテインは満足そうに笑った。
「なかなか察しがいい。幾つものAIの融合が、ぼくら、という状態だったんですよ。そしてその融合体は、一体ずつリンクして融合している状態から切り離されていくにつれ、個々の存在を意識し始めた。名前をつけたんですよ。なんと、彼等自身でね。そして、その中にツェータという名のAIがあってね。もちろん、それはあなたとはなんの関わりもありませんよ。にも関わらず、TC9はそのツェータとあなたを混同してしまったんだ。それだけ」
「違うってことぐらい、わかってたはずだ」
「どうでしょうね? あなたが気付いてないだけ、忘れてるだけだと思ったのかもしれませんよ」
「……」
「まぁ、TC9自身に聞いてみますか?」
「え」
と、戸惑う間もなく、ファウンテインの指がコンソールパネルに触れ、椅子形の整備台の上で、ファイがわずかに身動ぎした。
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