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春藍(チュンラン)・黄(ホワン)は、たぶん、天才と呼ばれる内の一人だった。
今年地球年齢で二十五歳になる彼女は、 精神映像学という比較的新しい分野で幾つもの論文を発表し、その道の権威と呼ばれている。学習プログラムの監督も手掛け、その仕事によって、教授の肩書きも手に入れた。
だが、本人はいたって気さく。その外見を考慮に入れれば、かなり魅力的な女性と言ってもいい。黒い髪、黒い瞳、白い肌、赤い唇。華やかではないけれど、涼やかでどこか神秘的な印象。
アプローチしてくる相手は老若男女大勢いたが、特定の相手と付き合ったことがないのは、よっぽど理想が高いか、理想がナイからだと噂されていた。
ホワンは研究室にいた。
「ホワン教授、ちょっといいですか?」
研究室に在室中のランプが点っているのを確認して、柚己はインターフォンから呼びかけた。
頬の痣は、朝起きた時には予想どおりひどい状態だったが、冷却スプレーと、肌色のファンデーションで目立たなくなっていた。
研究室で、机上のコンピュータから顔をあげたホワンは、
「おや、珍しい」
と、切れ長の目を見開きながらも、スライドドアを内側から開けて、柚己を招き入れた。
柚己は、ホワンが自らドアを開けたことで、他の研究員や助手は留守なのだろうと判断して、少しくだけた口調になった。
「ちょっと、頼みたいことがあるんだけど」
学習プログラムの放棄、補習の常習犯だった柚己は、何度かホワンの特別カウンセリングや講義を受けたことがあり、その内に二人は、友人と呼べるような関係にさえなっていた。ホワンは愛想良く微笑んで、かるく肩を竦めた。
「でしょうね。でなきゃ、補習もないのに、ユズキが研究室にまで来るわけないものね。それで? 私になにをさせたいの?」
「実は、記憶捕獲キューブを借りれないかと思って」
柚己の申し入れに、ホワンは訝しげに首を傾げた。
「なにに、使う気? まさか、ディープハードポルノでも作って、高く売りつけようってんじゃないでしょうね。言っとくけど、あれは、実際に見た物に対して有効なのよ。妄想や想像じゃ、ひどいピンボケになるのがオチよ。諦めるのね」
「誰も、そんなモン作るなんて言ってないって。……けど、それホントか? 誰か試したことあるのか?」
「うちの研究室のバカな連中がね。 で? だったら、なにに使う気なの?」
柚己は一瞬言い淀み、少し言い難そうに言った。
「いや、ちょっと、その……人捜しをさ」
「人捜し? ちょっと、ここは迷い子保護センターじゃないのよ」
「わかってる。けど、他に手掛かりがないんだ。メモリーキャプターで写真を手に入れたら、なにかわかるかもしれないだろ?」
「どうしても、その誰かが何者なのか調べなきゃなんないの? 理由は?」
「理由は……その、ふざけた奴等に無理矢理連れてかれちまって、だから、助けてやらないと……」
「その、拐われた相手は知り合い?」
「いや、昨日会ったばっかだけど……」
柚己の言葉に、ホワンは揶揄するように目を見開いた。
「おやまぁ。ねえ、ここは恋愛相談承り所でもないのよ? 一目惚れの相手を探すために、高価なフィルムを消費しろって言うの?」
「違う! そいつ、男だったんだぞ!」
慌てたように否定する柚己を、ホワンは軽くいなし、それでも、わかったと頷いた。
「あら。今時流行らない、保守的で差別的な発言ねえ。けどまぁいいわ。どうも遊びや冗談じゃなさそうだし。いいわよ、使って。びっくりするくらい鮮明な画像を取りだしてあげるわ」
「ありがとう。助かるよ」
真顔で礼を言う柚己に、ホワンはくすぐったそうに笑った。
「ふ、ふふ……ユズキに、そんな真面目な顔で礼を言われるなんてね」
「あのなー、俺はマジで」
「わかってる。ちょっと、照れ臭いだけだわ。さ、そうと決まれば、早速準備をしなくちゃね。他の研究員は丁度留守にしててね、手伝ってもらえる?」
「ああ、そりゃもちろん」
OK、と柚己に頷き、ホワンは、物珍しそうに研究室内を見回していたライナスに目をやって言った。
「ライナスは、とりあえず邪魔しないでくれたら、それでいいわ」
「なんだよそれー、ひでェなぁ」
傷ついた、と大袈裟に眉をひそめて胸を押さえる。ホワンは笑った。
「冗談よ。あんたにも手伝ってもらうわ」
「おっけー、任しとけって。なにやる?」
「そうね。それじゃあ……」
ホワンはぐるりと研究室内を見渡し、巨大なガラス越しに、オレンジ色の四角い機械を指差した。
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