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「ユズキ! お前、今日こそ逃がさねェからな!! 今日こそは絶対、俺につき合って無重力バーに……」
柚己のアパートメントにやってくるなりそう宣言したライナスは、浅黄色のソファにぐったりと腰をおろした柚己の顔を見た途端、当初の勢いを失って目を見張った。
「って、おい? なんだよ、その痣! ひでェなぁ……うわ、痛そー」
自分まで痛くなってきたみたいに顔をしかめるライナスに、柚己は力なく手をあげて挨拶した。
「よお、ライナス」
「よお、じゃねェだろ。どーしたんだよ」
ベタっと、柚己の足元の床に座り込み、ライナスは心配そうに顔を覗きこむ。
柚己はライナスを見下ろして、唐突に切り出した。
「自分がさ、どこにいるかも知らないようなヤツが、この都市にいると思うか?」
「ああ?」
「どう思う?」
「まぁ、生まれたばっかの赤ん坊なら、そーゆーこともあるんじゃねェの?」
「いや。俺たちよりはちょっと下ぐらいのヤツでさ」
んん? と、ライナスは眉根を寄せる。
「そりゃ、新しい冗談か? とりあえず、オチぐらいは聞いてやるぞ」
「冗談じゃねェ! 夢でも幻でもねェんだ!」
「ユズーキ?」
いきなり逆上した柚己を揶揄するようなライナスの声に、柚己は我に返った。
「あ、悪い」
「冗談じゃねェってんなら、俺も真剣に答えるけどな。マトモなヤツなら、ここが地球じゃないってことぐらいわかるぜ。もしも、本気でここがどこだかわかんねェってんなら、そりゃ、マトモじゃねェってことだ」
投げだすように言われた最後の言葉に、柚己は首を振りかけて、やめた。
「マトモじゃねェたって、別に、そんな変な……いや、少し、変わってたかな。けど」
確かに少し変わっていた。
生まれたばっかの赤ん坊なら、とライナスが言ったが、年恰好はそれこそ赤ん坊なんかじゃなかったが、どこかそんな、生まれて間もない子供のような雰囲気があった気がする。だが、ライナスの言う「マトモじゃない人間」というのとは、また少し違うと思った。
「お前が特定の誰のことを言ってんのかは知らねェけど、考えられる理由は幾つかあるぜ」
「たとえば」
「なぁ、それがそのケガの原因なのか?」
「いいって、大したケガじゃねェよ。たとえばなんなんだよ」
ライナスの心配顔を手を振って退け、柚己は続きを促した。
「たとえば。まず、一番有り得そうなのは、相手がお前をからかってたってヤツ」
「そんなんじゃなかったぜ。あれは」
「たとえば。記憶回路に欠陥があるとかな。そいつ、人間か?」
「たぶんな。ちょっと、サイボーグ臭かったけど、ロボットじゃねェと思う」
「で、それでもねェんなら。たとえば。どっかに隔離されて、外部の情報を制限されてたんだな」
「どっかって、どこだよ」
「そんなの、俺が知るわきゃねェだろー? 監禁、隔離は変態かラボの得意分野だけどな」
「ラボ……研究所………そういや、あの女、白衣みてェの着てたな」
「あのなー。そりゃ、どー考えても、研究所か病院関係だろ。先に言えよ、そんなこた。で? それはそうと女って? なんだよ、見知らぬ女に一目惚れでもしてきたのか、お前。そのケガは、相手の男に殴られたってワケか。おいおい、そんなバカな真似すんなら、どーして俺も呼んでくんねェんだよ。見たかったなぁ、それ」
ニヤニヤ笑うライナスを、柚己は不機嫌に睨みつけた。
「そんなんじゃねェよ」
「うんうん、最初はみんな、そーゆーんだよなー」
ライナスは訳知り顔で頷く。
「そんなんじゃねえ! あのくそ女が、あいつを……」
柚己は激昂して拳を目の前ローテーブルに打ちつけ、その音と、自分の行動に驚いて、少し冷静になって言った。
「もし、記憶写真を作ったら、その女がどこの研究所の人間か、わかると思うか?」
「うーん? 顔写真だけでか? よっぽど地位が高くて、有名な相手でもなきゃ難しいと思うぜ。
時間さえかけりゃ、なんとかなるかもしんねェけどな」
「どこが一番近い?」
「作んのに? 確か、ホワン教授の研究室に最新型が置いてあったぞ。っつーか、あの人の専門分野だろ、一番確実なんじゃねェ?」
「そっか。わかった、サンキュー」
そう言って立ち上がる柚己を追って、ライナスも立ち上がった。
「って、おいおい。聞くだけ聞いて、サヨナラはねェだろ」
「いや、作ってから、また頼もうかと思ったんだけど」
「そんなぁ、作成にだって付き合うって。んな、面白そうなこと、見逃せるかってーの」
「他人事だと思って、てめーは」
「だって、ホントに他人事だもーん」
「なーにが、だもーん、だ。気色悪ィ」
「いーから。さ、行こうぜ」
柚己の肩を抱くようにして促すライナスの手を、柚己は肩を揺すって振りほどいた。
「気安く触んなってーの」
「まー冷たい。別に減るモンじゃなし」
「お前に触られたら俺の価値が減る」
などと言い合いつつ、二人はコロニーの研究区画に向かって柚己の部屋を出て行った。
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