この、魂の器  

 
 
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「TC9」
 柚己とファイは同時に振り返った。
「悪い子だ。さぁ、帰るよ」
 甘く、だが断固とした女の声に、ファイは戸惑った。
 聴いたことのない声。見たことのない姿。それでも、何故か、その三十前後の女の言葉が自分に向けられていることは、ハッキリとわかった。
「だ、れ?」
 怯えの混じる問いかけに、ベージュのパンツスーツに長い白衣をまとった栗色の髪の女が、
傲慢な仕草で、暗い色をしたスーツ姿の男達を促した。
「連れて来なさい」
「は」
 一様に低い声で、わずかに頭を下げて応える。男達は、ロボットかもしれない。体格も、顔立ちさえも似ている。
「……や、やだ」
 と、思わず後退って、ファイは助けを求めるような視線を柚己に向けた。
 ファイの視線を受けて、呆然と立ち竦んでいた柚己も、ようやく、この唐突な事態に相対する気になったようだ。
「ちょ、待てよあんたら。いきなりなんなんだよ」
「関わらない方が身のためだよ。忘れなさい、ここであったことは」
 あまりに傲慢な物言いに、柚己はいきり立った。
「何様のつもりだよ……っ」
 と、その女がパキンと指を鳴らした。
 それを合図に、スーツの男達の一人が背広の内側から銀色の衝撃銃を取りだし、柚己の額に照準を合わせた。
「!」
 額に向けられた銃口に、柚己は思わず息を飲む。
 女は、微塵もやさしさや気遣いの感じられない、冷淡な声で言った。
「忘れなさい。この子はここにいるべきものじゃない。だから、あなたにも会うはずがなかった。
最初からなにもなかったんだよ。あなたは誰にも会わなかった」
「ファイ」
 柚己がファイに視線を走らせる。
 ファイは、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「ツェータ……」
 と、女がピクッと眉をあげ、わずかに目を細めてファイに言った。
「名前の符号か。だが、それだけだよ。TC9、彼はお前のツェータじゃない。まったく別のニンゲン、だよ」
 男達が、自分達で作る輪を狭めながらファイに近付く。獲物を囲いこみ、追いつめる獣。
「ツェータ……嫌だ、ぼくは独りになりたくない」
「わがままを言うのはやめなさい。このわたくしに口応えするのは赦さないよ」
「だって……でも、あなたは、誰」
「行くよ! 時間の無駄だ」
 唐突に、女は激しく苛立ち、吐き捨てるように言った。
 女の感情に呼応して、灰色の髪をした男のナイフのような手が、ファイの首筋に振りおろされる。
 ファイはがくりと膝を折った。
「……ッ!」
「ファイ!」
 一番黒っぽい髪の男が、素早くファイの細い身体をすくい、軽々と、大きめの荷物でも扱うように肩に乗せる。
「ちょっと待てよッ」
 と、踏みだしかけた足元に、ショックガンの黄色いパルスが走り、床の蛍光パネルに火花を散らした。
「っ!!」
「自殺志願じゃないのなら、動かないことです。……いえ、ヘタなプライドで悪あがきしなくてもいいようにした方がいいね。 静かに、させなさい」
「は」
 区別のつかない男達の一人が、柚己へと足を踏みだし、柚己は咄嗟に腰を低くして構えた。
 自分よりも頭一つ分大きな男からの拳の一撃を、
(遅い)
 と、数センチの余裕を持って右に避けようとした柚己は、一瞬、男の腕が奇妙に歪んで、避けた先を追ってくるような錯覚を覚えた。
 だが、実際は、目にも止まらない早さでフェイントの拳を引っ込め、本気のストレートが、柚己の顔面めがけて繰りだされていただけだ。
 
 ガッ  

 頬骨がスパークして、熱を吹きあげる。
 殴られた衝撃で、顔は無理に横を向かされて、その隙に無防備になったみぞおちに、重くて暗い拳が吸いこまれる。
 その重みと暗闇に引き摺りこまれるように、柚己は膝をついた。
 バタン、
 と音をたてて、意識の扉が閉まる音を、聞いた気がした。
 柚己は気を失った。


 そして、ゆっくりと意識を取り戻す。
 それほど長く気を失っていたわけではないらしい。その証拠に、展望ドームのシェードはまだ開いていない。
 ソファの傍に俯せに倒れこんでいた柚己は、両手で支えて身体を起こし、片手をソファにつくと、床に座ったまま背中をソファに預けた。
 頭が重い。
「……」
 ゆっくりと、殴られた痛みが意識されてくる。
 胃のあたりより、左頬の方がズキズキと痛む。たぶん、赤く腫れあがっているのだろう。明日には青黒い痣になっているに違いない。幸い、口の中は切れていないようだった。間断なく続く痛みはないものの、腹部はずっしりと重く、今日はなにも食べられないかもしれないと思った。
 さて。
 それで今の状況はどういうことだ? 
 と、柚己は頭を巡らせ、記憶の糸を手繰り、
(ファイ!)  
 思い出した途端、ギュッと胃に痛みが走った。
 今日、会ったばかりだ。
 まだ、名前ぐらいしか知らない。
 どんなヤツかもよくわからないのに。
 どうだっていいだろ? 忘れてしまえばいいんだ。 あの女もそう言ってた。
 忘れてしまえ。なにもなかった。

 そして。  
 澄んだ鐘の音が、二度、ドーム内に反響し、ゆっくりとドームのシェードが開き始めた。
 照明が落ち、ドーム内は外界の闇にとける。
 半球の頂点に一筋の光の切れ目が走り、そこから左右に黒いシェードが別れていく。
 漆黒のベールを裂いて、現れるのは暗灰色の宇宙。
 塵とガスで斑に見える宇宙に散らばる黄白色や青白色、赤白色の星々。

 真ん中に、青い……

「……くそ」
 柚己は呟くように吐き捨て、きつく目を閉じた。



   
         
 
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