この、魂の器  

 
 
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3


「……」
「……」
 暫し、沈黙が流れる。
「……お前、誰だ?」
「……」
 沈黙。 怯えた表情は変わらない。
 却って、柚己の問いかけにその色が濃くなったような。怯えの他に、警戒までも浮かんで見える。
「いや、あの……」
 と、柚己は首の後ろをポリポリと掻いた。
(まいったな。 なんでこんなビクビクされんだ? そんなに凶悪な顔、したか? 大体、ここは公共の場なワケだし、俺が不法侵入したワケでもないのに、なんで、こんな、不審者を見るような目付きされなきゃなんないんだ?)
 困惑に、苛立ちと怒りが彩りを添え始め、柚己は、さっきより少しキツイ口調で言った。
「あのさ!」
 ビクン、と肩がふるえる。
 それを見て、柚己の怒りは、より強い困惑に薄れたが、彼は当初の目的を思い出していた。
 だから、敢えて強い調子で続けた。
「なんでここにいるんだ? まだ、シェードも下りてるし、意味ないだろ。ただ居眠りするだけなら、自分のアパートメントに帰ってくれないか?」
「……」
「おい、なんとか言えよ。特にここにいなきゃいけない理由もないんなら……」
 ふと、お願いする立場だったことに気付いた。
 順番待ちなら、先着順だ。あまりでかい態度はよくないかも。
「俺にこの場所、譲ってくんないかな?」
 と、ちょっと愛想笑い。
「まだ隣も、そこらも誰もいないぜ。移動してくれるだけでいいんだけど。俺は……この場所が気に入ってんだ。 えーっと……ダメか?」
「……」
 と、ずっと沈黙を守ってきたその人物は、怯えた表情のままに小さく頷き、抱えこんでいた膝を戻して、立ち上がりそうな気配を見せた。
 柚己は途端に顔を輝かせ、思わず名乗ってみたりもしてみる。
「あ、どいてくれるんだ? サンキュー、ありがとう。あ、俺は柚己・ツェータ・有坂。どっかで見かけたら声かけてくれよ。なんかお礼させてもらうから」
 ピク、と柚己の言葉のなにかに反応して、その人物が澄んだ瑠璃色の瞳を柚己に向けた。
 そこにあるのは怯えではなく、純粋な驚き。真正面から見据えられて、柚己はちょっとたじろいだ。
「……ツェータ?」
 囁くような呟きが薄桃色の唇からもれいでて、柚己は、呼ばれ慣れないもう一つの名前に、何故かどぎまぎした。
「あ、え、あの?」
「ツェータ……なの?」
「え、そーゆー呼ばれ方はあんまりされないな。大抵のヤツは柚己って呼ぶ、ぜ」
「……」
「えーと、お前は?」
「ファイ」
 と、名乗ったその少年(服の上からの身体のラインと、澄んでいるが少女のものではなさそうな声に、柚己は相手は男だとほぼ確信した)は、自分の名前に柚己がなんらかの反応をするのを期待するかのように、じっと柚己を見つめ、
「……いい名前だな」
 社交辞令の典型ともいえる応えに、明らかに失望したようだった。
 ふ、と目を伏せ、哀しげに眉をひそめる。
(な、なんかマズイこと言ったか、俺!?)
 言ってない、と思う。
「えーと……どいてくれるのか、な?」
 ひょっとしたら、マズイことを言ったんじゃなく、言わなかったのかもしれない。だが、なにを言えばよかったというのだろう。
 ファイがゆるりと立ち上がった。
 思っていたより背が高い。一七九センチの柚己より、三、四センチほど低いくらいだ。
 座ってた時の感じと、その雰囲気、華奢な身体つきから、一六十そこそこかと思っていた。
 柚己は一歩、後退り、ファイに空間を譲った。
 なんだか妙な威圧感、近寄り難さを感じる。ただ、哀しげに眉をよせ、失意に目を伏せているだけなのに。
 ファイは、静かに柚己の脇をすり抜け、エレベータの乗降口に向かった。
 透明な扉がスライドし、ファイが足を踏み入れる。
「あ、あの!」
「……?」
(う。咄嗟に呼び止めちまったけど、どうしよう)
「え……あー…そうだ! あのさ、またここに来るか?」
「……わからない」
「……なら、ちょっと一緒に見るか?」
「?」
「いや、別に、このソファも一人しか座れないってワケでもないし。えー、あんたも……ファイ、もあの眺めが好きなら、実はここが一番いい眺めなんだよ。俺の調査の結果。だから、折角だし……」
「……そうするよ、ツェータ」
 てっきり断られると思っていたのに、ファイはあっさり頷き、ドーム内に戻って来た。明らかに、そのまま帰りそうな雰囲気だったのに、なにが気持ちを変えさせたのだろう。
 柚己は知らなかったが、それは柚己の『ファイ』という一言があったから。

『ファイ』
 名前を呼んで。
『ツェータ』
 そして応えて。

「もう一度、ぼくらになれる?」
「え? なんか、言ったか?」
 ファイはかぶりを振り、
「なんでもない」
 口の中で小さく「ツェータ」とつけ加えた。
 その時、ファイの背後で音もなくエレベータの乗降口部分が下降していったのを、柚己もファイも気付かなかった。
「あ、そう? じゃあ、まぁ、座る? まだ少し時間あるけど。えーと、ファイは、なんでこんな早くからここに来てたんだ?」
「どこにも、行けないから」
「行くとこがないって?」
「逃げだして、きたんだ」
「逃げてきた? なにから? つまんねー学習プログラムからなら、俺もよく逃げるけどな。ただ、補習くらった時は、逃げない方がいいぜ? あれ逃げると、ひでえ罰則があるんだよ。アパートのドアを一週間もロックされたり、とかな。あ、ひょっとして、それで閉めだされたとか?」
「そういうんじゃ……ないんだ。確かにいたはずなのに、今はいない。その事実から逃げだしてきたんだ。でも、どこに行っても同じだった。だから……ちょっと疲れちゃったんだ」
 そう言うファイは、心なしか顔色が悪いようだ。光の加減だろうか。
「ふうん?」
 柚己は首を傾げ、よくわからない話題から、別の話題に変えた。
「えーと、お前、ここから地球を眺めたこと、前にもあるのか?」
「地球? ここは、どこなの?」
「ここは展望ドームだぜ。決められた時間になると、ほら、そのシェードがあがって、地球が見れるんだよ。大抵の連中は、宇宙に落っこちそうな気がするって、あんまり好きじゃないらしいけどな。俺は、すごい、好きだ。キレイだぜ? 一見の価値はあると思うな」
「ここは、火星?」
 と、予想外のファイの言葉に、柚己は目を見張り、耳を疑った。
「ファイ? お前、自分がどこにいるのかも知らないのか?」
「どこにいても同じ……だったから。ぼくが、ぼくらだった時には」
「ぼくがぼくら? え?」
「ぼくは、ぼくらだった。ぼくらなら、どこへだって行けた。でも、火星じゃないなら、ここは……」
「リンディア衛星コロニー。地球の軌道を回ってる。月の丁度反対側にあるんだ、けど」
 どうして、それを知らないということがあるのだろう。
「月は、月と地球と太陽の関係は、とても奇麗だよね。月と同じ視点で地球を見れるの? きっと、本当に奇麗だろうね」
「あ、ああ。キレイだぜ」
「見たいな。もっとはるかな視点でなら感じたことがあるけど、それとは違うよね、きっと」
「?」
「まだ、見れないの?」
「あと、二、三十分ってとこかな」
「そう」
 と、心からの期待に満ちた面差しで、ファイは閉ざされたドームの彼方を想う。
 柚己は、同じようにドームの天井を見上げた。
 その時、 いつの間にか上昇してきたエレベータの中から、バラバラと三、四の人影が現われ、
その内の一つ、中でも一番小柄で痩せた人物の声が、柚己とファイの間に流れていた、静かな共感の糸を断ち切った。



   
         
 
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