壊れやすい天使 壊れやすい天使  
4章「再びまみえた宿命の子ら」
 
 
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4-12

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 その少女が「天使を殺した」と聞かされた時は、ビルの上から、下を歩く天使に物でも落としたのかと思った。
 だが、違った。
「目の前にいた天使を、どうやってかわかりませんが、とにかく殺したみたいなんです」
 フェクダの言葉を聞いた瞬間、背筋を走り抜けた戦慄が、恐怖なのか驚喜なのか、レグスにはわからなかった。
「会おう」
 そう言って、その二人を自分の前に立たせた時、部屋の中には、ドウベーとフェクダの他、アリオト、メグレズ、ベナトシュの三人がいた。五人は、二人を囲むように壁際に立ち、ドアの前にはドウベーが出口を塞ぐように立った。
 レグスは、二人を目にして、確かな予感が、ザワザワと体中を包み込むのを感じた。
 赤いソファに座るレグスを前に、ジーナもまた、
(この人、なにか違う)  
 と感じていた。
 今まで会った誰とも違う、強い存在感。モノクロの世界で、一人だけ鮮やかな色彩をまとっているようだ。半ば閉じたような眠たげな目は、やけにまばたきが少ない気がした。  
 その時タラタが、レグスの心の声を聞いていたのかはわからない。ただ、たてた襟と目深にかぶった帽子の陰に顔を隠し、黙ってジーナの斜め後ろに立っていた。  
 レグスは、ジーナの相手を射ぬくような緑の瞳に、一瞬、目を奪われたが、先程の戦慄も予感も見せず、淡々とした口調で言った。
「顔の見えない相手と話すのは落ち着かねェ。悪いが、それは取ってもらおうか」
 レグスが指差したのは、タラタの帽子だった。
 ジーナの心臓が早鐘を打つ。
 タラタは、ほんの一緒ためらった後、黙って右手をキャスケットの庇にかけた。
 思い切りよく帽子を脱いだ途端、部屋の中に緊張が走り、静かに驚きの波が拡がっていった。
 それ自体が光の結晶のようにきらめく金の髪。吸い込まれそうに澄んだ青い瞳。なめらかな白皙の肌。怖いくらいに整った容貌。
 どれをとっても、それは金色の天使そのものだった。違うのは、天使は決して身につけることのない、暗い色の服を着ていることぐらいか。天使の特徴であるタテガミは、着ているもののせいで確認することはできなかった。
「お前らの名前は?」  
 レグスの問いかけに、ジーナは挑むような目を向けた。
「自分の名前が先じゃないの? それとも、ここまで連れてきた二人もそうだけど、あなた達には名乗る名前がないの?」  
 相手をわざと怒らせようとしているような口調にも、レグスは顔色一つ変えなかった。無礼な態度で、タラタへの興味を逸らそうとしていることを、レグスは見抜いていたのかもしれない。
「そいつは悪かったな。俺は、レグス。「ゼニス・ブルー」のリーダーをやらせてもらってる。あんたは、俺達のことを知ってるか?」
 聞いたことはあった。天使に抵抗する卵人のグループの一つだと聞いた。他にも幾つかの小集団があって、集団内で助け合っているらしかったが、ジーナには興味がなかった。
 どこのどんなグループとも、深く関わる気はない。ジーナが日々の糧を得るためにしていた仕事にも、元締め的な人物がいて、結構な人数を使っているようだったが、実際の規模も知らなかったし、自分以外にどんな人間が属しているのかも、殆ど知らなかった。
「名前ぐらいしか知らないわ」
「そうか。まぁ、その辺は後で説明させてもらうかもしれねェが、あんたらを連れてきた奴らは、でかいのがドウベー、もう一人がフェクダだ。それと、俺の左側にいるのがアリオト、右にいるのがメグレズ、その隣がベナトシュだ。他にもメンバーはいるが、今はいいだろ。それで、お前らは」
 ジーナは、名前を言われた人々を一瞥すると、再びレグスに刺すような目を向けた。  
 本当は怖かった。  
 膝から崩れ折れそうなくらい怖い。今にも体が、馬鹿みたいにふるえだしそうだった。  
 だが、自分が恐れていたら、タラタを守ることはできない。  
 ジーナは眠たげな目に、時折、ゾッとするほど強い力を宿すレグスから目を逸らさず、わざと怒った口調で答えた。
「あたしは、ジーナ。この子はタラタ。天使達から逃がしてくれたのはありがたいけど、できればすぐに、出て行かせてくれる?」
「タラタ? 耳慣れねェ名前だな。誰がつけた?」  
 レグスはタラタに向けて尋ねた。  
 タラタは、声を鈴のようにふるわせて、小声で答えた。
「ママジーナが、つけてくれた名前」
「ママジーナ?」  
 ジーナとタラタを見比べ、レグスは声に不審感を滲ませた。
「ママってわりには、似てねェな。あんまり歳も違ってねェんじゃないか?」
 ジーナは思わずギクリとしたが、幸いにも、その動揺を表情にださずに済んだ。そのまま、少し面倒臭そうに、素っ気なく答える。
「本当にあたしが産んだってわけじゃないもの。母親代わり、それだけよ」
 本当に、自分の中で育み、この世界に送りだしたのだったらよかったのに。実際に血を分け、繋がれていたら、どんなにいいだろう。
 それは今更、願っても意味のないことだと、ジーナにもわかっていた。だが、それでも時折、思わずにはいられなかった。
「まあ、こんな世の中だからな。親子揃って仲良く健在って方が珍しい。親子っていうより、姉弟って感じだがな」
 軽く頷き、ジーナが内心ホッとしたのも束の間、レグスはタラタをジロリと見やって言った。
「だが、タラタって言ったか。そっちは、妙な匂いがするな。本当に人間か?」
「……人間じゃないなら、なんだって言うのよ」
「人間にしちゃ随分、小綺麗すぎるツラしてんじゃねェかと思ってな」
「生まれつき整った顔の人間が、そんなに珍しい?」
「ただ整ってるだけなら、ごまんといるだろうよ。だが、そのガキは……いや、まどろっこしい言い方は無しにするか」
 レグスは一瞬の間を置いて、タラタに全てを刺し貫くような眼差しを向けた。
「お前、天使か」
「違うわ、この子はっ」
「あんたに聞いてねェ」
 タラタがなにか言う前に、慌てて口を挟んだジーナは、レグスにジロリと一瞥されて、思わず声を失った。  
 レグスの瞳には、有無を言わせぬ強い光があった。どこかで見たような気もするその光は、ジーナから声を奪い、動きを止めるのに充分だった。
 レグスは、ジーナからタラタに視線を戻し、改めて尋ねた。
「もう一度、聞く。お前、天使か」
「僕は……」
 タラタは、怯えた顔でレグスを見返し、すぐに顔を伏せた。
 ジーナは、そんなタラタを気遣わしげな眼差しで振り返っていた。タラタに、絶対に本当のことを言ってはいけないと注意したかったが、俯いたタラタの視線をとらえることができなかった。
「僕は、ママジーナの子供だよ」  
 小声で囁くタラタに、レグスは畳みかけるように言った。
「血は繋がってねェんだろ。種族も違うんじゃねェのか」
 タラタは少しためらってから、コクリと頷いた。
「タラタ!」  
 部屋の中に、ビリリと電流が走ったような気がした。誰かの息を呑む音が聞こえた。
 ジーナは目に見えて青褪め、思わずタラタの腕をとった。タラタの細い腕は、かすかにふるえていた。  
 レグスは、声はださなくとも、驚きと動揺を隠せない仲間達とは違い、ただ一人平静な態度で、
「やっぱりな」
 と呟いた。
「天使が卵人を母親と呼ぶのか。聞いたこともねェな。お前ら、なんなんだ?」  
 ジーナは、タラタの腕を、力づけるように軽く握ってから、硬く拳をつくっていたタラタの手を握った。タラタの指が、ぎこちなく離れ、ジーナの手を握り返す。俯き加減のまま、ジーナを見つめた青い瞳に、ジーナはかすかに微笑んだ。  
 大丈夫。あたしが絶対、守ってあげるから。  
 心の内で語りかけ、ジーナはレグスに向き直った。砕けそうに澄んだ緑の瞳が、強い意志を湛えてレグスを睨みつけた。
「そんなの、あなたに関係ないでしょ」
「ところが、そうもいかねェ」  
 レグスは、ジーナに負けず劣らず強い眼差しで続けた。
「俺達は、天使共に支配されんのは、いい加減うんざりしてんだ。あんたみてェに、天使を従わせる方法があんなら、是非聞かせてもらいてェ。従わせるのが無理なら、殺す方法をな」  
 部屋の中に、砕けそうに張りつめた空気が満ち、ジーナはサッと青褪め、すぐに顔に朱をのぼらせた。
「そんなの知らない!」  
 怒りのためか恐怖のためか、かすかにふるえる声で応えたジーナから、それ以上の情報は引き出すことはできなかった。  
 レグスがその後かけたどんな言葉にもただ首を振り、頑なに知らないと言い続けた。  
 一緒にいたタラタという名前の天使を利用すれば、その秘密を語らせることはできたかもしれない。だがレグスは、そうしなかった。
「まぁ、いい。とりあえず、暫くはここにいてもらう。住む場所と食事は用意する。なにか教えてくれる気になったら、いつでも言ってくれ」  
 そう言ったレグスは、今はその時じゃないと思ったのだろうか。これから、聞きだす時間はたっぷりあると。無理に答えを強いても、その後の協力が必要になった場合に、すんなりと協力はしてくれないと思ったのかもしれない。
「教えることなんてなにもないわ。あたし達をここから帰してよっ」  
 叫ぶように言ったジーナに、レグスはかすかに唇を歪めた。
「悪いが、そういうわけにはいかねェ。出て行きたいなら、さっきの質問に答えてくれりゃいい。知らねェ、じゃなくてな」  
 その後、ジーナとタラタは、同じ階にある使っていない別室に連れていかれた。
 途中ジーナは、暴れながら、何人かを蹴ったり、爪をたてたり、罵声を浴びせて解放を求めたが、結局、2LDKの部屋の扉の中に押し込められた。
 タラタは、哀しそうな顔で、両脇から抱えられたジーナの後についていった。
 誰も、タラタに手を触れようとはしなかった。  


 その時のことを思い出しながら、レグスは赤いソファから立ち上がり、アリオトを伴って、ジーナとタラタが軟禁されている部屋を目指した。  
 いつもは廊下に見張りが立っているが、今は部屋の中にいるのだろう。自分のところに来るまでに、ティーロが見張りの姿を見ることがなくてよかったと思った。見れば、普段と違う様子に不審をおぼえただろう。理由を聞かれても、誤魔化すことはできるだろうが、たった一人の弟に、嘘をつかずに済むならその方がいい。ただでさえ自分には、ティーロに教えることのできない秘密が多すぎる。  
 いつか、重ねた嘘の報いを受ける日がくるだろうが、今がその時でないのなら、それはその時になってから考えればいいことだ、と思った。





   
         
 
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