壊れやすい天使 壊れやすい天使  
4章「再びまみえた宿命の子ら」
 
 
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4-7

「どうもわからん。リーダーに会わせるのが目的じゃないのか?」
「リーダー? リーダーってなに」  
 戸惑うジーナに、一瞬、視線を走らせてから、少年は小さく頷き、上目遣いに男を見上げた。
「天使に追われてたこの人達を見て、そうした方がいいと思ったんです。この人達には、ただついて来るようにしか言ってません」
「なんだそれは」  
 男は呆れたように目を剥いた。
「問題はないと言ったが、それは問題あるだろう。なぜ、説明しなかった? いや、相手の意志を無視してまで、我々のテリトリーに無理に引っ張り込む理由がどこにある」
「理由は……あります。でも、ここでは言えません。直接会って、判断してもらいたいんです。彼らに言ってなかったのは、もし、僕の思い違いだったら、彼らを黙って解放できなくなるでしょう? 僕の勘違いで、彼らに危害を加えるのは嫌でしたから」
「お前なりに理由はあるんだろうが、それでハイそうですかと通すわけにはいかないな。もしなにかあったら、俺は俺を許せんからな」
 少年は困り切ったように頭を掻いた。
「それはそうかもしれませんけど。……まいったな」
「理由を話すか、こいつらを出て行かせるかどちらかだ」  
 有無を言わせぬ口調だった。
 ジーナは、男と少年の会話に言葉を差し挟むこともできず、二人の顔を交互に見比べた。自分達に関わることだ。なにか自分達の立場を少しでもよくすることを言いたかったが、なにをどう言えばいいのかわからなかった。  
 少年は、暫く逡巡していたが、ジーナとタラタにチラリと目をやると、思い切ったように口を開いた。
「天使を殺したんです」
「……なんだと」  
 思いも寄らない言葉に、男が息を飲んだ。ジーナは、自分の心臓が大きく跳ねあがるのを感じた。  
 天使を恐れ、憎む、ごく普通の卵人として、天使に追われる卵人の仲間を、助けられたから助けたわけではなく、天使に追われる理由を知って、そのためにジーナ達を助けたのなら。それが理由で、この先、ジーナとタラタをまた別の場所に案内しようというなら。
(この人達は、なんなの? なにが目的なの?)
 天使を殺した自分を、天使に売る気だろうか。それとも、天使に報復する手段として、利用するつもりなのだろうか。
 いずれにしろ、ただの親切ではなかったということだ。
(純粋な親切心なんてもの、信じてなんかいないけど)  
 それでも、タラタが「信じて」というからここまでついてきた。タラタがそうすることを望むなら、そこに危険はないと思った。もしかしたら、少しは、純粋な親切というものさえ、あるのかもしれないと、心の片隅では思っていたのだろうか。  
 ジーナは、少し裏切られたような気持ちだった。そして、途端に沸き起こる警戒心で、ジリ、とわずかに後退った。
「逃げないでください。あなた達に危害を加えたいわけじゃないんです」  
 ジーナの動きを敏感に感じ取った少年が、慌てて言った。
 ジーナは、眉根を寄せ、警戒と不審感も露わに、少年を見返した。
「危害を加えるのは嫌でも、絶対にしないわけじゃないんでしょ。さっき、そう言ったわ。あなたの理由とやらを言った以上、あなたの勘違いならあたし達に危害を加えることもあるのよね。そうでしょう?」
「それは」  
 詰るように言うジーナに、少年は言葉に詰まり、男は感心したように唸った。先程の衝撃からは、ようやく立ち直ったようだ。
「よく聞いている。しかも、理解が早い。なかなかのものだな」
「それで、あたし達をどうする気? 天使を殺したのが事実なら、あたし達をどう利用したいの」
「なら、天使を殺したのは確かなんだな。どうやった。奴らの顔が見えないところから石でも投げたか」
「それをあなたに教える義理はないわ」
「義理はないだろうがな」  
 不穏な含みの呟きに、ジーナはタラタを自分の背後に隠すように体を動かした。緑の瞳で、射るような眼差しを男に突き刺し、ジーナはきつく唇を噛んだ。
 「天使殺し」に用があるなら、それはジーナのことだ。だが、天使を殺すことを望む相手に、天使であるタラタを渡すわけにはいかない。
 今はまだ、タラタが卵人のような格好をしているせいか、タラタの正体に気づいてはいないようだが、いつそれと気づかれるかわかったものではない。
「目の前にいたのを見ました。天使に見られていたのに、この人は天使を殺したんです」  
 ジーナと男の間に張りつめたものを消すためか、ふいに、少年が口早に喋りだした。
「確かめたのか」  
 少年を見もせず、石のような目でジーナを見返しながら男が尋ねる。
「僕自身が確認したわけじゃありませんが、他の天使が「死んでる」と。それで追われていたんです。だから」
「なるほど」  
 男は、ここまできたらなにを喋っても同じと思ったのか、急に饒舌になった少年に頷きかけ、興味深げにジーナを見下ろした。
「それなら会わせる価値はある。その方法を、是非とも話してもらわないとな」
「勝手に決めないで。一緒に行くとも、なにを話すとも言ってない。天使を撒く手助けをしてもらったことには感謝しないでもないけど、それだって、そっちの都合で助けただけなんでしょ」  
 ジーナの中に、フツフツと滾る怒りがあった。怒りの底には、恐怖と不安が渦を巻いている。
 タラタが天使と知られたくない。タラタを奪われたくない。タラタを利用されたくない。彼らのために、天使を殺せと言われたくない。
 天使には、かつての麻痺するような憧れはなく、今はただ恐怖の対象でしかなかった。殺意へと結びつく憎悪は、その恐怖と背中合わせだ。それを無理矢理引きずりだされ、タラタを守るためでなく、ただ天使を殺すだけの機械のように扱われるのは嫌だ。
 ジーナは、恐怖を怒りで抑えつけ、ただ見上げるだけで圧倒されそうな大男を睨みつけた。
「気の強い女だ」  
 男は、ジーナの反応に、怒りを覚えるよりも興味を抱いたようだ。灰色の瞳の中に、面白がるような光が、ごくかすかに点った。  
 男の目を見ていない少年は、男とジーナの間に、激しい諍いが起こると思ったのだろうか。媚びるような口調で言った。
「待ってください。確かに、あの天使になにをしたのか、教えてもらいたくて助けたのは事実です。だけど、ちょっとした思惑があったとしても、それで天使達から逃げだせたのも事実ですよね。このまま、もと来た場所に戻れば、天使達に待ち伏せされているでしょうし、このビルの入り口は完全に塞がれているので、そこから出ることはできません。別の場所に通じる道が、あることにはありますが、そこは特別な道。僕らの仲間や、大切な客人以外に教えることはできないんです。もし、絶対に僕らと一緒に来ていただけないと言うのなら、このままここにいてもらうしかないです。そうなると、あなた方に残された道は、天使の待ち伏せを覚悟でもと来た場所に戻るか、ここで飢えて干乾びるのを待つかのどちらかになってしまいます。だから……」  
 尚も続けようとする少年の言葉を、ジーナは左右に首を振って遮った。
「もういいわ。それは脅しでしょ」
「いえ、そんなつもりでは」
「つもりがあろうとなかろうと、同じことよ。自分で逃げ場のない場所に誘いこんでおいて、勝手な言い草よね」
「それは……」  
 少年をジロリと睨みつけ、ジーナは怒りを吐きだすようにため息をついた。
「よくわかったわ。ここまで来てしまった以上、取る道は一つしかないってことよね。いいわ。案内してよ」
「一緒に来ていただけるんですか?」
「だって、それ以外に生き延びる術はないって、あなた、さっき自分で言ったじゃない。こんなところで飢え死にするのも、天使に殺されるのもごめんだもの、行くしかないじゃない」  
 ジーナのキツイ言い方に怯みながらも、ホッとした表情を見せる少年に、ジーナは「だけど」と念を押した。
「一緒に行ったとして、あたしがなにもかも喋るとは思わないで。そこまでの期待はしないで」
「……わかりました」  
 ビクビクと上目遣いにジーナを見やり、少年は小さく頷いた。
 少しきつく言いすぎただろうか。ジーナは、気づまりな思いで少年から目を逸らした。
「なら、今度こそ行くぞ」  
 男が、顎をしゃくって合図する。タラタは黙って、ジーナの手を握り、ジーナはその手をしっかりと握り返した。
「俺が先に行く。お前らはそのすぐ後について来い」  
 男のゴツゴツした石のような手が、ひどく小さく見える鈍錆色のドアノブを握る。ドアノブも、扉も、軋んだ音をたてなかったのは。見た目と違い、頻繁に使われ、よく手入れされているのかもしれない。  
 扉の向こうは、暗かった。かすかな光が、ポツリ、ポツリと足元に点っていたが、天井の方は真っ暗でなにも見えない。  
 男の右手首が、黄色く光っていた。発光するリングを、その手首に嵌めているようだ。  
 ジーナは、ゆらゆらと移動する手首のリングと、足元も淡い光だけを便りに、再び暗闇の中を歩きだした。  
 暗くて先の見えない道は、今の自分自身にも似ている気がした。  
 この先、自分とタラタはどうなるのだろう。タラタを奪いにくる天使から逃げきり、天使を殺した自分になにかを求める卵人からも逃れ、タラタと二人、平穏に暮らせる日が来るのだろうか。
 なにも見えない。なにもわからなかった。  
 ただ、暗い道をわずかに照らすのは、タラタの存在だけだった。  
 タラタが傍にいる。それだけだった。





   
         
 
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