壊れやすい天使 壊れやすい天使  
4章「再びまみえた宿命の子ら」
 
 
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4-1

 レグスと二人を残し、他の全員が部屋を出て行くと、レグスは残った二人に、近くに来るように促した。
「さて、難しいところだな」  
 独り言めかして呟き、メグレズはレグスの斜め右にゆっくりと歩み寄った。
 それから、性急な動作は体が許さないのか、ひどく緩慢な動きで胡坐をかいて座った。  
 アリオトは、レグスと同じ年頃の青年だった。黒い髪は短く、切れ長の目をしている。履き古したジーンズに灰色のTシャツを着た姿は、全体に硬質な印象を受けるが、その細い指だけは、女のように華奢だ。
 レグスの正面を避けて、斜め左に黙って腰を下ろしたアリオトは、琥珀色の瞳で静かにレグスを見上げた。  
 レグスは二人を交互に見やり、それから口を開いた。
「今、言った通りだ。方法は任せる。お前らの考えが聞きてェ」
「あの男を使うのは、危なっかしそうだな。感情に任せて、なにをしでかすかわからん」
「あいつを無理に使う必要はねェよ」
「爆破がいいと思うな」  
 アリオトが、ふいに口を挟んだ。硬そうな見た目と違い、アンバランスなほどにやわらかい声音だった。
 恐ろしく人見知りをする性質の彼は、昔馴染みのレグスとメグレズ以外の者の前では、殆ど口を利かないが、二人と一緒の時なら、饒舌といってもいいほど、よく喋った。
「爆破?」
「また無茶を……。どこにあんな大きなものを破壊するだけの爆薬があるって言うんだ」  
 眉をひそめるメグレズに顔を向け、アリオトは自信たっぷりに言った。
「あそこには何度か足を運んだんだ。全部が見事なバランスで支えあってたよ。逆を言えば、そのバランスさえ崩せれば、わずかな 火薬量でも事足りるってことだよ」
「どこを崩せばいいか、もうわかってんのか?」
「八割方」
「さすが。やるじゃねェか」  
 レグスがニヤリと満足げに笑う。だが、メグレズはまだ不満のようだ。
「あとの二割はどうした」
「そこは、やってみないとわからない。目に見えない場所に、崩壊を免れる仕掛けがないとは限らないからね」
「では、どうする。まさか、駄目元でやってみるとか言うんじゃないだろうな」  
 メグレズが目を眇めて言った。
「……そう言うつもりだったんだけどな」
「馬鹿を言うな。少量とはいえ貴重な爆薬を使って、やっぱり駄目でしたじゃ通じんだろうが」
 ポツリと呟いたアリオトに、メグレズが呆れたように言い、アリオトは少し困ったように首を傾げた。
「通じないかな?」
「当たり前だ!」
「いや、いいんじゃねェか?」  
 あっさりとレグスが言った。
「レグス!」  
 目を剥くメグレズを意に介したふうもなく、レグスは更に促した。
「やってみねェことにゃ、わかんねェだろ。やってみりゃいい」
「いや、しかし」
「だよね」
 アリオトは子供のように笑い、メグレズは反対に渋い表情で首を振った。
「やれやれ。お前らが揃うと、昔から無茶ばかりだからな」
「無謀ってほどじゃねェぜ。確率八十パーなら、手堅い方だろ」
「まったく」
 ため息をついたメグレズの隣で、アリオトはレグスと意味ありげな視線を交わした。物心ついた頃から行動を共にしてきた二人にだけ通じる、特別な符牒のような視線だった。この「ゼニス・ブルー」の前身ともいえる、レグスが七歳、アリオトが六歳の時、彼ら以外のもう一人と共に作った「蒼牙」という子供だけの秘密のグループ。その頃から、幾度か交わした視線だった。
「そういうことなら、あの男に起爆をさせるか」  
 ため息と同時に気持ちも切り換えたのか、メグレズの言葉に、アリオトは少し意外そうに尋ねた。
「あいつを使うのは、反対じゃなかったっけ?」
「天使共がいつ姿を現すかわからんのだから、時限装置は使えん。遠隔操作も難しかろう。近くに潜んで起爆スイッチを押すしかないなら、天使共への報復のためなら、喜んで危険に身を投じたがっているやつを使うのもいいだろうからな」
「おっさんのそういう判断の仕方、おっかないよね」  
 怖い怖いと言いながら、アリオトはニヤニヤ笑っている。メグレズの意見に異を唱える気はないのだろう。  
 レグスは、いつの間にか目を閉じていた。目を閉じて、頭の中で考えを巡らせているようだ。レグスの様子に気づいたアリオトとメグレズは、一瞬、顔を見合わせてから、黙ってレグスの言葉を待った。レグスの眠っているかのような静かな表情からは、彼が今なにを考えているのかを窺い知ることはできなかった。
「なるほどな」  
 独り言めかして呟き、レグスは目を開けた。
 ハシバミ色の瞳が二人を見る。そこには、静かな決意の色があった。
「それでいくか」


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 その、卵人の血のように赤いワゴンを見た瞬間、ジーナの心臓は、言いようのない不安に早鐘を打ち、覚えのない恐怖に胃が縮んだ。
「ママジーナ?」
 ジーナの不安と恐怖を感じ取ったタラタが、囁くように名を呼ぶ。タラタの声に、ハッと我に返ったジーナは、繋いだ手に力を込め、かすかに微笑んだ。
「ごめんね、なんでもないの」
 なんでもないはずだった。原形を留めている車自体は珍しくとも、皆無ではない。派手な彩色も滅多にないが、ゼロではない。
 灰色の暗い都市に、そこだけ鮮やかな夢のような真紅の車体。
 それがどうしてこんなに恐ろしいのか、ジーナにはわからなかった。
「回り道する?」
 タラタが気遣わしげに尋ねた。ジーナはわずかに逡巡し、
「そうね」
 と頷いた。
 理由はわからないが、この奇妙な予感めいた不安を無視するのは難しかった。
 ジーナはタラタの手を引き、真っ直ぐに伸びる広い道から、左手にある細い脇道の一つに向かった。
 脇道までは十メートル、赤いワゴンまでは三十メートルほどだ。周囲に人気はない。だが、無人の感じはしなかった。息を潜め、気配を殺してこちらを窺っている、そんな感じだ。
(嫌な感じ……)
 ジーナは胸の内に呟き、少し、足を速めた。
 ジーナとタラタがアパートを出てから、二日目の朝だった。
 二日の間は特に何事もなく、ただ歩き続けた。最初の日よりはペースも落ち、時折、崩れかけた縁石に腰掛けて休息をとる余裕もできた。  
 だが、目的地のない逃亡と探索は、わずか二日を二週間にも二ヶ月にも感じさせた。より安全な場所に移動しているという保証も確信もない。いつ、タラタを探す天使に見つかって、タラタを奪われるかもわからない。  
 天使達を殺すのが自分の宿命なら、このまま逃げ切れるはずがないと、ジーナは半ば予感していた。  
 だが、どれだけ多くの天使を殺すことになっても、絶対にタラタを手放すつもりはなかった。





   
         
 
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