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暗灰色の分厚い雲の天蓋に覆われた地上の都市は、ほぼ円形をしていた。
その中心に近ければ近いほど、コンクリートのビル群は原形を保ち、電力の供給も安定したものになっている。だが反対に、都市の外縁部に近づくほど、ビルには亀裂が走り、崩れかけ、電力も通っていない。
その結果、必然的に外縁部に住む者は少なく、都市の中心の人口は過密化していた。今、最も住み心地のいい都市の中心には、金色の天使が住み、その端に黒い天使の生き残りが暮らしていた。
卵人と呼ばれる者達は、更にその外側で、天使達とはでき得る限り接触せずに暮らしているのが普通だった。
天使は、気まぐれに卵人を殺す。
目障りな虫を潰すように、憐れみもなく殺す。
時に、ゲームとして、愉しみのために殺す。
肉親や恋人や友人を奪われたことのない卵人の方が、なにかを奪われたことのある卵人よりも少ないだろう。
卵人達は、天使を恨んでいた。憎んでいた。だがそれ以上に、恐れていた。
天使のいないところでは、いくらでも憎しみを吐きだすことができても、ひとたび目の前に立たれれば、ただ恐れ、有り得ない美しさに魅了され、跪くことしかできない。そんな自分達をどんなに恥じても、天使の姿を見れば、なにもかも忘れ、全てを投げだしてしまうのだ。
だからせめて、天使の目の届かぬところで、ひっそりと隠れるように生きていくことしかできない。そうやって、生き延びてきた。
だが、ただ怯えて生きていくだけの命に、なんの価値があるのか。
そう思う者も、中にはいる。大切な相手を殺されて、意味をなくした世界で生き続けることに、倦んだ者もいる。ただ意味なく生きていくだけよりも、せめて、大切な相手の恨みを晴らしたい。それで刺し違えて命を落としても、むしろ本望だ。それを否定する権利など、誰にもないはずだ。
「そうじゃないのかっ」
都市の外縁部でも、比較的に中心に近い場所にそのビルはあった。六階より上がザックリと切り取られたかのように失われた今は、元がどれだけの高さだったのかわからないが、五階より下の階には、貴重な電力も供給され続け、住みやすいといってもいい。各階には、十の扉があり、扉の奥は五部屋ほどが用意されている。
その五階、エレベーターホールから一番奥まった場所にある扉の奥。玄関からまっすぐに伸びた廊下の先にある灰色のリビングで、痩せこけ、落ち窪んだ目が不健康にギラギラと光る若い男が叫んだ。焦茶の髪は、何日も梳いてさえいないのだろう。グシャグシャにもつれ、病的に青ざめた顔に乱れかかっている。
その周りには、七人の男女が立ち、男の叫びを聞いていた。全くの無表情で聞いている者もいれば、胸の痛みに耐えかねるように顔を歪めている者もいる。
そして男が叫びをぶつけた相手は、リビングの真ん中にある真っ赤なソファに座り、眠たげな半眼で、男を静かに見上げていた。
ハシバミ色の目に栗色の髪を持つその青年は、レグス、と呼ばれていた。「天頂の青(ゼニス・ブルー)」と名乗る卵人集団のリーダーだ。擦り切れた茶色い革のジャケットを白いTシャツの上からはおり、濃紺のジーンズと履き古したスニーカーを履いている。胸元には、三本の鉤爪をかたどった鈍色のネックレスをぶら下げ、彼に向けられた必死な言葉も、聞いているのかいないのかわからないような無表情だ。
若い男は、暫くギラギラした目で睨みつけていたが、相手がなにも答えそうにないのを見てとると、再び口を開きかけた。
と、レグスはそれを、片手を挙げて制した。たったそれだけの行為なのに、相手の勢いを削ぐ迫力がある。
「言いたいことはわかった。それで、どうしようってんだ?」
ぞんざいな口調で尋ね、眠そうな目で男を見遣った。先程の一瞬の迫力が嘘のように、けだるげな雰囲気を醸しだしている。
「だからっ、このまま泣き寝入りしてていいのかと言っている! このままあいつらの好き勝手にさせて、踏みにじられ続けていいのか!? なんらかの反撃にでるべきじゃないのか!?」
「反撃、ね。例えば?」
促され、男は以前から胸にしまいこんであった答えを、低い声で吐きだした。
「例えば、奴らが俺達にしてきたことを、奴らにも味わわせてやればいい」
「天使を殺せってのか?」
サラリと口にだされた言葉の重みに、男は一瞬、側頭部を鈍器で殴りつけられたような衝撃を感じたが、すぐに立ち直り、怒りをこめて言った。
「そうしてなにが悪い? 奴らが今まで、どれだけ多くの仲間を、なんの良心の呵責なく殺してきたと思ってるんだ! 俺の妹を殺したようにっ」
ずっと、寄り添うように、二人で生きてきた。両親は早くに病気と事故で亡くした。まだ幼い兄妹が、この世界で生き延びるのは、たやすいことではなかった。だが、お互いの存在を支えに、なんとかこれまで生きてこられた。
妹は、三つ年下の十六だった。初めて、気になる相手ができたと打ち明けられたばかりだ。まだ淡い片思いだったが、照れ臭そうに、それでも嬉しそうに打ち明けられた時、この暗い世界に光を見いだせた気がした。妹には、幸せになって欲しい。好きな人を見つけ、いつかその相手と結ばれたら、自分もまた、幸せになれると思った。
これからだった。本当に、これからだったのに。
「奴らは、ただそこにいたってだけで、俺の妹を掠って殺したんだ。おまけに、殺した後に奴ら、笑いやがった。面白そうに笑いやがったんだ!」
これが許しておけるものか。
こんなことが、許されてたまるかと叫ぶ男は、真っ赤に充血した目から、涙を流していた。おそらく、本人はそれに、気付いてもいないのだろう。
男の怒りと悲しみの波動に、男を取り囲んだ七人の男女の中には、耐えかねたように面を伏せる者や痛々しげに眉をひそめる者もいた。だが、レグスの表情はまるで動かない。
「それで、あいつらに人間を全滅させる理由をくれてやんのか? ま、全部殺しちまったら、奉仕させる相手も暇つぶしに弄ぶ相手もいなくなっちまうから、多少は生かしておくかもしれねェがな。今までにない大虐殺にはなるかもな。あんたはそれが望みか? 自分一人の復讐心さえ満たされりゃ満足か」
表情は変わらなくとも、淡々とした口調の中には、怒りと蔑みが潜んでいた。男は一瞬、その口調に怯んだものの、すぐにまた激しい怒りを迸らせた。
「ああ、そうさ。奴らに一矢報いることができるんならそれでいい。このまま、奴らになんの報いも受けさせず、好き勝手にさせとくよりはな! ただ虐げられるだけの生に、なんの意味がある!? 例え意味や希望を見出だしたところで、奴らの気まぐれで簡単に踏みにじられるだけだ。だったら、全滅覚悟で奴らに戦いを挑んでなにが悪い? それでくたばった方が、奴らに玩具にされて殺されるよりマシだろうが!」
血を吐くような叫びにも、レグスは眉一つ動かさなかった。ただ、吐き捨てるようにこう言っただけだ。
「帰れ」
男は一瞬、なにを言われたのかさえわからないようだった。
それから、男の表情がゆっくりと変化していった。当惑から、紛れもなく純粋な怒りへと。
「帰れ、だと!?」
「ああ、帰れ帰れ。あんたの一人よがりな復讐に付き合うつもりはねェよ」
「これは、俺一人の問題じゃないだろうが! お前らは、なんのために群れてるんだ。奴らのやり口に不満があって、それをなんとかするためじゃないのかっ」
「別に。俺たちはなんとかしようなんて考えちゃいねェよ。ここで愚痴でもこぼして、慰めあってるだけの平和な集団だからな」
それは、男が聞いた話とは違っていた。支配されたこの都市の中でも、実際に天使たちに手をかける可能性のある、あるいは既に、見つからないようにうまく天使を手にかけたことがあると噂される集団の一つだったはずだ。最も過激と言われるグループではなかったが、少なくとも、ただ愚痴り合うだけのヌルイ連中ではないと信じた。それなのに、ここへきて否定されるとは思わなかった。
それとも、自分に手を貸す気がないから、こんなことを言うのだろうか。自分は協力するに値しないと?
この、ヒリつくような悲しみと理不尽さへの怒りが救うに値しないなら、どんな怒りや悲しみに応えるというのか。
そもそも、応えることが本当にあるのかさえ、怪しいものだ。
だがそれも、後になって意識したことだ。その場では、拒絶されたことへの反射的な怒りで、なにも考えられなかった。
男は、真っ白に白熱する頭で、胸の奥の黒い塊を吐きだすように声を張り上げた。
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