「これからも?」
ジーナの肩に閉じた目を押しあてて、タラタが囁き声で尋ねる。ジーナは、少し考え込んでから、肯いた。
「そうね。タラタがもっと大きくなって、自分で全部考えて、判断して、行動するようになったら、タラタ自身が責任を持たなきゃね。でも、タラタが一人じゃどうしようもない時とか、すごく困った時には、いつでも手助けするから。そういう意味でなら、これからもずっと、あたしはタラタを見守ってるわ」
タラタは、ジーナの答えを黙って聞いていた。ジーナはなんとなく、タラタが聞きたかったのは、こんな答えじゃないような気がしたが、タラタが求める答えがなんなのかは、わからなかった。
だが、たとえば、これからも、タラタを守るために同じようにするのかというのなら、答えは決まっていた。
タラタを守るためなら、全ての天使を殺すことだってできる。天使の流す血で、どれだけその手が汚れても構わないと思っていた。
「わかったよ」
タラタがポツリと呟き、顔をあげた。その声音に含まれた決意の色に、ジーナはわずかに首を傾げた。
「タラタ?」
「わかったよ、ママジーナ」
タラタはそっとジーナの腕をすり抜けると、立ち上がり、座ったままのジーナを見下ろした。
「タラタ?」
もう一度、名前を呼ぶことしかできないジーナに、タラタは微笑んだ。
「でも、お手伝いぐらいはしてもいいでしょう? 僕はなにをすればいい? ここを出ていくんでしょ?」
「タラタ、どうして……」
言いかけて、タラタが既に心を読むのだと思いだしたジーナは、
(これからは、気をつけなくちゃ)
と素早く考えてから、立ちあがった。
タラタが心を読むのなら、タラタを傷つけるようなことを、たとえ頭でだけでも考えるわけにはいかない。一番の秘密を知られてしまった以上、タラタに隠しておかなければならないことなどないが、タラタはまだ、外の世界を知らない。外の世界は、二人だけの世界より、ずっとずっと暗くて恐ろしいのだということを、できることなら、タラタが受け入れられるくらいの速さで、ゆっくりと教えていきたかった。
「なにを用意すればいいのか、よくわからないの。とにかく、どこか隠れる場所を探さなくちゃね。幸い、空いている場所ならあちこちにあるわ。住みやすい場所じゃないだろうけど」
「僕はどこでも平気だよ。心配しないで」
人のいない場所は、それはつまり人が住むのに適していない場所ということだ。不便も危険も多いだろう。そんな場所にタラタを連れて行かなければいけないことを心配したジーナの心を読み取って、タラタが気丈に微笑んだ。
ジーナは、タラタが心を読むことにまだ慣れないながらも、それを受け入れようと必死だった。
過剰に反応しないようにしよう、と自分に言い聞かせ、タラタに微笑み返した。
「タラタは大丈夫よ。あたしが絶対に守るから。でも、そうね……そのままじゃ少し、マズイかな」
「このままって……」
「天使の姿は目立つから。そのタテガミだけでも隠しておいた方が、面倒が少ないと思う」
タラタは考え込むようにわずかに首を傾げ、それから、こっくりと頷いた。
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卵人の少女と金色の天使と黒い天使。
異なる種族の三人。彼らが、特に卵人の少女が、自分達を滅ぼす宿命にあることを、先予見達はそれぞれ断片的に垣間見ていた。
バラバラに散らばった無数のピース。それを一つ一つ繋ぎ合わせ、滅亡の未来を確信した。
滅びの種子となるのは、卵人の少女。
そう予見したのは、ごく最近のことだ。それより前、頻繁に予見していたのは、今はもう殆ど姿を消した、黒い天使のことだった。
先予見の天使、ラギは、自室のベッドで、剥きだしのコンクリートの天井を、白く霞んだ瞳で眺めるともなしに眺めていた。
未来の断片が目の前に広がるのを予感する度、ラギはいつしか、黒い天使の姿を求めている自分に気がついた。
黒いといっても、他の古い天使とは違う。同じなのはその髪の色だけで、空を覆う雲のような暗灰色の翼も、青灰色の瞳も、他に類を見ないものだった。
(だからすぐにわかる。私じゃなくとも、彼がその天使だと、予見を聞いた者ならすぐにわかる)
それで彼に危険が及ぶこともあるだろう。全ての天使が、自らの滅びを認めているわけではないのだから。いや、寧ろ、多くの天使が、その予見が外れることを望んでいる。さもなくば、それがはるか未来の話であることを。
(だが、近い)
ラギには、その未来がすぐ先にあることが感じられた。それが先予見の能力なのかまではわからないが。
だから、彼がその天使であるとわかり、彼の命を奪おうとする者がいたとしても、ラギはあまり心配していなかった。
未来は変えられない。少なくとも、滅亡の未来だけは。
ラギが今、恐れているのは、自らの予見通り、ラギの前に現れたその黒い天使に、全てを捧げてしまいそうな自分がいることぐらいだ。
いや、それすらも、本当は恐れてはいないのかもしれない。望んでさえいるのかもしれない。
青灰色の瞳をした天使に、殺されてもいいと思うこの感情はなんなのか。その時には答えが見つかるだろうか。
今はまだわからない。
だが、予見を感じて仰向けに横たわったラギは、この予見が、彼のものであればいいのに、と願っていた。
灰色の天井に走る亀裂。黒い亀裂。今にも崩れそうな……
(崩れる)
崩れていく。
傾いた鉄骨が、ゆっくりとかしぎ、地響きをたてて、瓦礫と山を押し潰す。
瓦礫の下に白い顔。小さな、まだあどけなささえ残る、子供のような白い顔。目を閉じているのは、死んでいるのか、気を失っているのか。その体の下から滲みだし広がる、薄紅の血。
目を見開き、声を嗄らして叫ぶ子供。瓦礫の下の顔と同じ。
卵人の男。ギラギラした獣のような目をした卵人の男。
崩れていく瓦礫の山。
暗い夜空に舞いあがる土煙。
隣接するビルの壁を舐めるように、夜空へと吸い込まれいく煙。
「今のは……」
一瞬のきらめきのように現れた予見から醒め、ラギは掠れた呟きを洩らした。
悲鳴をあげる子供と瓦礫に潰された子供。とてもよく似た二つの顔。
「シスとニト、か」
珍しい二つ卵から孵った、まだ若い二人の天使は、ラギがよく行く天使の集う店にいつからか現れ、頻繁にラギと話をしたがった。普段なら、他の天使と話すのは億劫で、適当にあしらっていたラギだったが、その二人には言葉を返した。その二人と出会う前から、二人を予見していたからだということを、二人に告げたのは昨夜のことだ。
だから、二人を予見したのは、今ので二回目ということになる。どちらがどちらだったのか、今の予見ではハッキリしなかったが、近い未来、どちらかが瓦礫の山に潰されるのは確かだ。
この予見を、シスとニトの二人に話すかどうか、ラギは少し迷った。
避けようのない運命ならば、下手に恐怖心を与えるだけで終わる可能性もある。今までだって、予見の中で、誰かの破滅や恐怖を垣間見てきたが、それと本人に告げることはまずない。当人が望まぬ限りは、口を噤むのが普通だ。
だが、避けられる運命もある。変えられる未来もある。
今の予見を二人に告げ、二人が黒い天使を落とした瓦礫の山に近づかないように言えば、未来は変えられるかもしれない。
とはいえ、いずれ訪れる種族の終末を、見ずに済むのが幸せか、最後まであがき続けるのが幸せなのか、ラギには決めかねた。
ラギがこうだと思ったとしても、二人の意見とはまた異なるだろう。
(さて、どうしたものか)
ラギは小さく嘆息し、仰向けの体を起こした。
ひとまず、二人の顔を見てからでも遅くはないだろう。
ラギはベッドを下り、すぐ隣のビルにある店に足を運ぶことにした。
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