壊れやすい天使 壊れやすい天使  
3章「卵人と呼ばれた者達」
 
 
    HOME / 「壊れやすい天使」TOP



3-8

「そう、いっぺんにあれこれ聞かんでくれ。儂もなにもかも知っているわけじゃないんでな」
「では、わかっていることだけでいい。教えてもらえないか?」
「そうさな」  
 アルビンは、考え込むように、少し口を噤んだ。
 腕を組み、暫く頭を整理している様子だったが、大きく一つ頷くと、口を開いた。
「まず、最後の質問には、簡単に答えられるな。ここは、さっきあんたも見た都市の地図で言うと、地下都市部分にあたる。ここに、天使と呼ばれる連中は一人もおらんし、あんたら天使には殆ど知られてないだろうがな」
「地下都市……」  
 確かに、地上の都市の下に、更にもう一つの都市があることなど、聞いたこともなかった。天上での暮らしが長かったルーァには、地上のことすらよくわからないが。
「それから、あんたの怪我のことだが、あんた自身は覚えてないのかね? 全部が全部かどうかはわからんが、殆どは落ちてきた時にできたんだと思うが。色々、あんたと一緒に落っこちてきたからな。上の方で、ぶつかったか引っかかったかしたんだろうな」
「落ちて?」
「ああ、地上にできた穴からな。本当に覚えとらんのかね。意識がなければ、真っ逆さまに落ちて潰れてたはずだ。それが、命があったってことは、あんたの羽で落下の速度を落とすかなにかしたんじゃないのかね。羽をだすくらいの意識はあったんだろうと思うが。それとも、あんたはいつも羽を出しっぱなしにしてるのかね?」
「いや、そんなことはない、が……」  
 黒い穴。真っ黒の、底の見えない暗闇。落ちて、というより、吸い込まれるような。
「まぁ、ともかく。地下と地上は分厚いコンクリートで隔てられとるんだが、一部に、緊急用だかなんだかの縦穴があってな。そこも、普通は閉鎖されて、隠されとるはずなんだが、ここ最近、その内の一つが見つかったらしくてな。時々、そこから下に投げ落してくるんだ。どんな奴が落してくるのかは知らんが、大方、ロクな奴じゃあるまい。もしかしたら、落とされてくる方に非があったのかもしれん。だが、落ちてくるのは、どちらか一方ってわけではないのでな。両方の種族に共通の合法的機関など、聞いたこともないからな。なら、性質の悪いのが、勝手に落として楽しんでるんだろう」  
 アルビンの語る言葉は、ルーァの記憶の扉を、カリカリと引っ掻いた。だが、今話したことと、自分がここにいることになんの関わりがあるのか、ルーァにはまだわからなかった。  
 ルーァの顔に浮かんだ困惑に、アルビンは、わずかにためらい、言った。
「あんたも、そこから落とされたクチだ」
「私も?」  
 瓦礫の山。よく似た小さな天使。誘われて、飛び下りた場所にはなにもなかった。
「そうか……」 
 ルーァは、ようやく思いだした。  
 あの二人の天使の名前は、なんといっただろう。
 シスと、それからニト。
 ヒラヒラと花びらのような牡丹色のワンピースを着ていたのがシス。ピーコックブルーのショートパンツ姿のニトは、「帰るのなら今の内だ」と言った。  
 それなら、ニトという名の小さな天使は、シスが連れて行こうとしているのがあの瓦礫の山だとわかっていたのか。その奥、地下にあいた深い穴に、自分を落とそうとしていることを知っていて、自分に思い留まらせようとしたのだろうか。よく似た片割れの意図に反して、自分を救おうという気持ちが、多少なりともあったのだろうか。  
 だが、結局はシスに誘われるまま、ルーァは暗闇の中に飛び降りた。  
 それから。  
 黒い穴に声もなく落ちていきながら、反射的に背中の羽をだそうとした。だが、羽をだす時の痛みと抵抗に、だすのが遅れ、バランスを崩したのだろう。真っ逆さまに落ちていたのが、おかしな形に羽ばたき、斜めに進路を変えた時、なにかが羽に引っかかった。  
 その後は、なにがどうなったのか、よく覚えていない。どこからどう落ちているのか昇っているのかもわからず、硬い壁のようなものに何度もぶつかった。その内、突き出た梁かなにかだったのだろうか。腹部をしたたかに打ちつけて、気を失ったらしい。  
 理解の呟きと共に、ルーァは大きく息を吐いた。最後に打った鳩尾の辺りが、急に痛みだした気がする。  
 左手で鳩尾を擦るルーァに、アルビンが言った。
「思いだしたか」
「思いだした」  
 ルーァは頷き、アルビンを見上げた。
「私は、飛んでいる時に暗闇の中でなにかにぶつかって、気を失ったようだ。そしてそのまま、下に落ちたんだと思う。そこをあなたが救ってくれたということか」
「救ったなんざ、言い過ぎだな」  
 アルビンは、ルーァの真っ直ぐな感謝の視線に照れたのか、殊更に眉間の皺を深く刻んだ。
「さっきも言ったが、少し前から上から投げ落してくる奴がいたからな。その物音というか、悲鳴というか、まぁ、それとわかったら、落ちた場所を片づけるのも儂の仕事だ。ここは、都市の命の源なんでな。ほっとくと、色々問題があるわけだ。それで今回も、悲鳴は聞こえなかったが、派手な物音がしたんでな。仕事をしに見に行ったら、あんたが倒れてたってわけだ。今までのと違って、原型は留めてたし、息もあった。そんなら、見殺しにはできんだろ。手当の仕方はよくわからんが、まぁ、止血してここに寝かせておいたってだけだ」
「それなら、やはりアルビンは私の命の恩人だ。私を見捨てず、手当をしてくれた。ありがとう。感謝する」
「感謝なんざ、よしてくれ」  
 アルビンは、慌てたように手を振った。やけに激しい動悸が、ルーァにまで届くような気がして、アルビンはごまかすように咳ばらいして、白髪に指を差し込んでボリボリと頭を掻いた。
「本当に、ありがとう」
 もう一度、囁くように言って、ルーァは目を閉じた。
 胸に手をあて、ルーァは安堵と幸運を噛み締めていた。 
(私は、生きている)  
 死んでいてもおかしくない状況だった。あと少し、翼をだすのが遅れていたら。縦穴に突きでた物に急所を貫かれていたら。
(また、約束を守れないところだった)  
 生きてさえいれば、多良太とサキを見つけることは可能なはずだ。可能にしてみせる。必ずそうすると誓ったのだから。
「おい、大丈夫か?」  
 目を閉じたまま身じろぎしないルーァに、アルビンが声をかけた。あまり露骨に心配そうな声をだすまいとして、少しぎこちない口調になっていた。  
 ルーァは、閉じていた目を開き、雨の降りだす前の空のような目をアルビンに向けた。
「大丈夫だ」  
 そう言って、安心させるようにわずかに微笑み、だが、と続けた。
「少し、休んでもいいだろうか。ここでこうしていてもいいのなら、だが」
「別に構わんよ。ここは誰も使っていないからな」
「ありがとう」  
 微笑みながら感謝の視線を向けるルーァに、アルビンは片手を振って、それを制した。
「礼などいらんと言っただろう。それより、あんた、休む前になにか口にしなくてもいいのかね。三日間、なにも口にしとらんが」  
 照れ隠しに、わざと顰めつらしい顔でぶっきらぼうに尋ねる。
 ルーァは、見た目は年上でも、実際は自分の何分の一かの年齢でしかないだろうアルビンのその様子が、やけに微笑ましかった。きっと、自分が願った通り、この人物は心優しい相手なのだろうと感じ、嬉しかった。
「大丈夫だ。特になにか口にしなくても、我々は生きていけるから」
「ああ、そうか。そう言えば、そんな話を聞いたことがあったな。便利なようだが、つまらなくはないのかね」
「つまらない?」
 ルーァは不思議そうに聞き返した。
「飲んだり食ったりするのは、面倒だが、喜びでもあるからな。それを必要としないってのは、つまらんのじゃないかと思ったんだが、そうでもないのか」
「まったく飲食ができないというわけでもないからな。だが、敢えて必要としないというのは、もしかしたら、利点とはいえないのかもしれないな。おそらく、あなた方のような、本当の意味での食事の喜びは、味わえないのだと思う」
 アルビンは、ルーァの言葉を噛み締めるように暫く口を閉ざしていたが、はた、と我に返って言った。
「ああ、すまん。休みたいと言っていたのに、余計な話で邪魔をしたな。なにもいらんというなら、好きなだけ休んでくれ」
「邪魔だなどとは思っていない。興味深い話だった」
「気を遣ってくれんでいいさ。もし、目を覚まして、なにか用事があったら、大声で呼んでくれ。なるべくは、声の届くとこにいるつもりだからな。だが、儂も仕事があるんでな。すぐには来てやれんかもしれん」
「アルビンこそ、気を遣ってくれてすまない。私は大丈夫だ。仕事の邪魔はしない」
「いや、まぁ、その、ともかく。ゆっくり休んでくれ」  
 わずかに頬を赤らめ、アルビンはなにかを振り払うように手を振って、ルーァに背を向けた。
 そのまま、一つしかない扉に向かって歩きだすアルビンに、ルーァが何度目かの感謝の言葉をかける。
「ありがとう、アルビン」  
 アルビンは後ろ手に手を振り、扉を押し開けてでていった。
 青い扉が閉ざされ、一人になったルーァは、大きく息を吐き、右手をベッドのシーツに滑らせながら、崩れるようにベッドに横たわった。
 それから、体を仰向けにすると、もう一度、息を吐き、静かに目を閉じた。
 背中が、鉛でも入っているかのように、重い。背中の重さに、ズブズブとベッドに沈みこんでしまいそうだ。
 翼の傷は、いつ癒えるだろう。地下都市から、地上へたやすく戻ることはできるのだろうか。アルビンはいつでも好きな時に行き来をしているのだろうか。次に会った時には、忘れずにそれを聞いておこう。
 そんなことを考えながら、ルーァは、背中の重さに引きずられるように、眠りに沈みこんでいった。





   
         
 
<< BACK  NEXT >>