壊れやすい天使 壊れやすい天使  
2章「訪れた天使」
 
 
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2-11


「なにジロジロ見てる」
「そんなに見つめられたら、恥ずかしいよ」
「お前、なにしにきたんだ」
「ここに、なにか用なの?」
 敵意のこもった鋭い視線と、媚びるような甘い眼差し。
 ルーァは咄嗟に、心の内でどちらからも距離を置いた。二人の言葉にいちいち反応していたら、まともに考えることもできなくなりそうだった。
「先予見と呼ばれる天使が、よくここに来ると聞いた。その天使に会いにきた」
「ラギか。あいつは、今日はいない」
「でも、案内してあげようか?」
「会わせてくれるのか?」
 交互に差しだされる失望と希望。ルーァは、どちらも真に受けることはしまいと自身に言い聞かせながら尋ねた。
「そんな義理はないね」
「いいよ。会わせてあげる」
「至塑(シス)?」
 ワンピースの天使が、咎めるような、どこか不安げな眼差しを、シスと呼んだ傍らの天使に注いだ。シスという名の天使は、その視線を横目で受け止め、
「いいじゃない。案内してあげようよ、似屠(ニト)」
 やわらかい声音に有無を言わせぬ響きをこめて、瓜二つの相手に言い、ルーァに視線を戻して、にっこりと笑いかけた。
 その笑顔は、地上にはない陽の光を浴びたようにきらめいて見えたが、ほんの一瞬、ニトと呼ばれた天使に向けた視線の中に、闇のような冷ややかな光を垣間見た気がした。
 だが、目の前の笑顔は、それが単なる気のせいだったと思わせるほどに明るい。ルーァもまた、気のせいだったような気がした。
 それでも、この天使が純粋な好意で言っているのだと完全に信じることのできないなにかが、その一瞬の冷やかな視線に含まれていたようだった。  
 シスの言葉に、ニトは躊躇い、なにかを言いかけたが、結局は、小さく同意の呟きを洩らした。
「わかったよ」  
 シスは満足そうに頷き、ルーァを手招いた。
「じゃ、行こう。こっちだよ」  
 このままついて行っていいのか。そこに本当に、自分の探している相手がいるのか。ルーァは正直、半信半疑だったが、そこにわずかでも可能性があるのなら、今はその誘いに乗ってみることにした。  
 入ってきたばかりのドアを開けて、シスが夜の都市へと出て行く。亜麻色のたてがみが、その首筋で揺れていた。
 金色のたてがみを初めて見た時は、これが本当に天使の姿なのかと驚いたが、多良太と暮らし、天上で生まれた数多の天使達の姿を目の当たりにし続けたからか、今は、このたてがみこそが、天使の証であるような気さえする。実際、新たに生まれる天使は、皆、こんなたてがみを持っている。天使の背中に翼のあったことを、憶えている者が全て消え去るのも、そう遠くないのかもしれない。  
 わずかな時間の物思いに沈むルーァの横を、ニトが澄んだ川を泳ぐ魚のようにすり抜け、シスの後に続く。通り過ぎる瞬間、
「帰るなら今の内だ」  
 囁いた言葉に、ルーァはハッと我に返った。
(どういう意味だろう。このままついて行けば、後悔するとでもいうのだろうか。だが、今の内なら帰れるというのは、違う。もう、帰る場所などない。帰る場所は、これからサキと多良太を見つけて、そこで作るのだから)  
 ニトは、ルーァに思い留まるように促していたようだったが、ルーァには、今更やめるつもりはなかった。  


  外に出ると、一瞬、店内の明るさに慣れつつあった視力が、白いノイズに霞んだ。ルーァが目をしばたたかせると、外の景色がジワリと滲み、灰青色の目は、すぐに暗闇に馴染む。  
 シスとニトは、後ろから見てもよく似ていた。
 違うのはその服装だけで、同じものを着ていたら、どちらがどちらなのか見分けることは不可能だろう。
 シスは、ルーァが店から出て、自分の後についてくるのを確認すると、時折、肩越しに振り返りながら、先を歩いた。ニトは、シスの斜め後ろを一度も振り返ることなく歩き、先ほどの言葉の真意を確かめる機会を、ルーァに与える気はないようだった。  
 空は暗い。ポツリ、ポツリと、思いだしたように灯るわずかな光が、三人が歩くひび割れた歩道を、かろうじて浮かびあがらせていた。  
 青いビルの前を通り過ぎ、瓦礫の山の前まできたシスは、また少しルーァを振り向き、
「こっちだよ」  
 と、その瓦礫を指差した。
 こんな場所に、一体誰がいるというのだろう。近づくことも危ういような、人気のない瓦礫の山。側まできてみると、なにか巨大な力で、内側から破砕されたように見える。分厚いコンクリートが砕かれ、頑丈な鉄骨が外に向かって捩曲げられるような大きな力だ。瓦礫の中心に奇跡的に立つ、一本の錆びた鉄骨は、斜めに突き立てられた刃のようだ。刃毀れの酷い、歪んだ刃だが。
 戸惑い、思わず足を止めたルーァには構わず、二人の天使は、うず高く積み上げられた瓦礫の山を迂回して、わずかに平らな地面が見え隠れする箇所を歩いていく。
「足元、気をつけてね」  
 前方の暗がりから、おそらくシスであろう声が聞こえたが、こう暗くては、なにをどう気をつければいいのかさえわからない。
 ルーァは、無造作に転がる大小の石塊に躓かないよう、慎重に二人の後を追った。
 ジャリ、ジャリ、と細かな石片を踏み締める音が二種類、暗闇の向こうから聞こえてくる。ルーァの黒いブーツの底からも、同じような音が響いていた。  
 突き立てられた鉄骨をちょうど真横から見る位置で、シスとニトが待っていた。
 黒々と夜を貫く錆びた鉄骨は、横から見ると、こちらに向かって今にも倒れかかってきそうだ。
「この辺、崩れやすいから、俺達の歩いた通りについてきてね。周りに触っちゃダメだよ」  
 ショートパンツからすんなりと伸びた、夜目にも白い足をコンクリートの破片にかけ、シスが言った。
「登るのか?」  
 こんな暗闇で、積み重ねられた瓦礫の山を登れば、いくら気をつけていても無事には済まないだろう。もし、どうしても頂上まで登る必要があるのなら、ルーァには飛んでいくという方法もあった。  
 訝しげに尋ねたルーァに、シスは、フフッ、と笑みを零した。
「登ったり、潜ったりね。見た目と違って、ただの瓦礫の山じゃないんだ。ついてくればわかるよ」
 そう言ったシスは、それ以上の問答は必要ないとでも言うように、ルーァに背を向け、不揃いの階段のように積み重なったコンクリート片を上っていった。すぐ後をなにも言わないままのニトが続き、ルーァは、ニトが三段ほど上がったところで、その段差に足をかけた。  
 あまり遠くの方は見渡せなかった。暗くて見えないというのもあったが、足元の瓦礫が不安定にぐらつき、自分のすぐ先を見ているのが精一杯だったからだ。すぐ前にある、ニトの萌黄色の靴の踵が視界から消えないよう、慎重に、だが遅れないようにしなければならなかった。ともすれば、バランスを崩して、手近にある瓦礫に手をつきそうになる。だがシスは、「周りに触るな」と言っていた。ルーァはその注意を忘れてはいなかったし、言われた通りにするつもりだった。
 フッ、とニトの踵が沈んだ。ふくらはぎの半ばまでが、突然これからルーァが足をかけるはずの瓦礫に埋もれて見えなくなったのだ。
「!?」  
 ルーァは咄嗟に顔をあげた。ワンピースの背中が目に入る。瓦礫に足を呑みこまれたにしては、まるで動揺していないようだ。声一つ、たててもいない。  
 ルーァが見つめている内に、ニトが体ごと沈みこみ、さっきまで背中のあった視界に、亜麻色の髪に包まれた後頭部が映った。  
 少し考え、ルーァはようやく理解した。ニトは瓦礫の中に呑みこまれたのではない。その先にある瓦礫の階段が、下っているのだろう。登るだけの瓦礫の山ではないと、シスも言っていた。
 近づいてみなければわからなかったが、その瓦礫の山は、よくできた迷路のようだった。
「頭、気をつけてね」
 ニトが下りはじめてすぐ、暗がりの奥から注意を促す声が響き、ルーァは、瓦礫でできた狭いトンネルを下っていくことになった。
 トンネル内は、光一つ射さない暗闇が支配していた。



   
         
 
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