壊れやすい天使 壊れやすい天使  
2章「訪れた天使」
 
 
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2-7


「先予見?」  
 初めて聞く言葉にルーァが戸惑うと、その天使は、苛立ったような、それでも好奇心を隠しきれないような紺青色の瞳で、ルーァを見つめた。
「まさか、知らないの? 未来を読む天使のことだよ。それくらい、あんたらでも知ってると思ったけど」
「未来を……」  
 それを信じてもいいものかどうか、その時のルーァには判断がつかなかった。だが、疑問に思おうがどうしようが、他に手がかりがないのなら、どんな情報も無駄にはできない。
「それは、あの白い天使のことか?」  
 色とりどりの衣服をまとった天使達の中、唯一人、白一色に身を包んだ天使が、先ほど視線で示されたボックス席に座っている。
「もちろん。先予見以外、あんな白づくめの格好する物好きが、いるわけないじゃない。あんた、なんなの? なんでそんなことも知らずに、今まで生きてこれたの」  
 その問いかけに、声の届く範囲にいた天使達が、耳をそばだてるのがわかった。天使か、卵人か。定かではない彼の正体に、少なからず興味をひかれた様子で。  
 ルーァは、その問いになんと答えればいいのかわからなかった。
 全てを話すのは、躊躇われる。時間もかかる。だが、下手な答え方をして、その先予見と呼ばれる天使に話すらきけなくなっては元も子もない。
「あんた、天使?」  
 ルーァが言葉を探しあぐねている間に、その天使は、単刀直入に尋ねることに決めたようだ。その質問になら、答えられる。
「天使だ」
「けど、黒い奴らとはちょっと違うんじゃない? その目」
「そうだな。これは、生まれつきなんだ」
「ふうん」  
 わずかに唇を尖らせ、首を傾げると、その天使は、もはやルーァに興味を失ったようだった。
「聞きたいことがあるなら、聞いてみれば」  
 そう言って、白い指先でボックス席を示した。それは、もうそっちに行けという合図なのだろう。
 ルーァは、
「ありがとう」  
 と言い置いて、店の奥へと歩みを進めた。
 聞き慣れない言葉を最後に残したルーァを、その天使は、怪訝そうなまなざしで見送った。


 その日、先予見と呼ばれる天使達の多くが、なんらかの予見をするという、特別なことが起きていたことは、暫く後で知った。  
 ただ、教えられたボックス席に、一人座っていた先予見の天使が、近づくルーァを当たり前のように迎え、なにも言わない内に、わかっていると頷いた時、ルーァは、ようやくここで答えが見つかるかもしれないと思った。
「邪眼の天使。白の天使。無数の卵。闇色の翼。光の道。いくつかのイメージで、あなたを視たよ。だけど、あなたの名前は知らないんだ。僕は責螺(セラ)。あなたは?」
 セラと名乗った白衣の天使は、まだあどけなさの残る顔で首を傾げた。どこでもないどこかを見ているような目が、ルーァの、雨の降りだす前の空のような瞳を捉え、一瞬、冴えた光を宿した。
「私はルーァ。あなたは答えを知っているのか?」  
 ルーァが尋ねると、セラはまた、瞳を白く霞ませ、曖昧に微笑んだ。
「答えに繋がる鍵を一つ。僕と同じ、先予見と呼ばれる天使の一人が、予見した未来。滅びの種子は卵人の少女。天使の卵を抱いた卵人の少女。そして、僕の予見。黒い天使を滅ぼす邪眼の天使は、金の天使を滅ぼす滅びの種子を見出す。あなたは見つけるよ、必ず」
「……滅びの種子? 私が探しているのは……」  
 サキ。多良太。  
 二人の内のどちらかが、滅びの種子だとそう言うのだろうか。もしそうだとしたら、地上に生まれ変わるはずの順番からして、滅びの種子である卵人の少女がサキ、その少女の抱く卵が、多良太なのかもしれない。
(だが)  
 ルーァは、思わず眉をひそめた。  
 もし、サキが滅びの種子と呼ばれる存在だとしたら、それをこうして予見する天使がいるのなら、滅びを望まない者達に、命すら狙われるかもしれない。  
 ただ平穏に。多良太とサキと自分と、ただ静かに暮らしていきたいという願いは、簡単には叶わないということだろうか。
「その予見をした天使には、どこへ行けば会える?」
「僕らが視るのは未来。今の探し物は得意じゃないんだ。だけど、彼はこの先の青色のビルに住んでいるよ。その隣の店に、よく顔をだしているらしいね」
「ありがとう」  
 地上であまり聞かれない感謝の言葉に、セラは黙って頷いた。ルーァは、もう一度、軽く目礼してから、セラに背を向けた。と、
「それからもう一つ」
 立ち去りかけたルーァの背中に、白い先予見が囁きかける。
「全ての答えは、砂漠で見つかるよ」
「全ての答え?」
 思わず足を止めて聞き返したルーァに、セラは、ここではないどこかを見つめるまなざしで微笑んだ。
「探しに行くなら、金色の花に気をつけて」


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 天使の卵を拾って帰ったその日から、少女は、卵をあたため続けた。  
 食事をとることも、忘れていることが多かった。汚れた身体で卵に触れることは、赦されない気がして、シャワーだけは毎日浴びた。
 少女の生活は卵が全てになり、卵以外のものには、なんの意味もなくなった。
 少女は、日毎に衰弱していた。頬はこけ、目は落ち窪み、唇はひび割れ、肌はくすんで、胃の中はいつもささくれだって、キリキリと痛んだ。頭の中もぼんやりして、霞がかかっているようだった。身体中に力が入らない。年齢に不釣合なほどに、全身から張りも艶も失われた。  
 だけど、全ては卵だけだから。  
 他になにもない。自分の身体がどうなろうと、そんなことは些細なことでしかない。卵を見つめる度、ぬくもりを与える度、日増しにその想いは強まっていった。  


 そして遂に、卵に変化があらわれた。
 頭頂部付近に、小さな亀裂。
 ほんのわずか、一センチにも満たない、亀裂。  
 ピシッ、パシッ……  
 それは、甲虫の囁き交わす言葉のようだった。  
 少女は、卵を乗せたベッドの下に膝立ちになり、胸の前できつく手を組んだ。強く握りしめすぎて、関節が白くなっていることにも気付かなかった。  
 瞬きを忘れ、小刻みに震えながら、少女はそれを見つめていた。
 卵の殻に無数の亀裂が走る。細かい、網の目のような亀裂だ。亀裂からは、金色の光が透けて見えた。それはまるで、中に眠る天使の美しさが、光となってあらわれてきているようだった。
 ふいに、卵の殻がその頂きから崩れた。  
 パラパラと細かな欠片が頂きからこぼれ落ち、砂のように全てが崩れていく。崩れ落ちた卵の殻は、ワインレッドの天鵞絨のクロスの上に、環状の跡を残した。
 その、白い輪の中心には、光そのものがあった。  
 金色の、天使だった。  
 少女は声を失い、ただ両手を握りしめたまま、ふるえた。
(助けて!)  
 我知らず、助けを求める叫びが頭の中で弾けた時、生まれたての命が、世界へと産声をあげた。  
 産声は、螺旋を描き、青白い光の粒子を散らして天を貫く。
 暗灰色の雲をつき抜け、天上の都市を越え、更に高みへと昇る。  
 宇宙へと伸びる、高く澄んだ産声に、気が遠くなった。  
 自分自身が、魂もろとも薄れ、風に吹かれて消えていくような、遠く、彼方へと導かれていくような、そんな気がした。  
 電流にも似た痺れが、爪先から脳天に向かって走り抜け、少女は気を失った。白く掠れた意識の中に、その子の白い肌と金の髪が滲んでいく。  
 翼の幻。舞い散る黒い羽根。  
 天使の背中に翼はあっただろうか。  
 天を覆い、世界を包む。  
 闇色の、翼。





   
         
 
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