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2章「訪れた天使」
 
 
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2-6


「もう、戻ってくる気はないと思うかい?」  
 さきほどの呟きと同じく小さな声だったが、今度のは自分への問いかけなのだろうと思ったルーァは、わからない、と、首を振って応えた。
「今のところ、変わった様子はないようだが、会話すらしていないようでは、彼らの考えもこの先の行動も判断のしようがないと思う」
「まぁ、それはそうだろうね」  
 女天使は、振っ切るように短く息を吐きだすと、ルーァの青みを帯びた灰色の瞳をまっすぐに見上げた。
「あんたは、地上に下りて、なにか目的でもあるのかい?」
「私は……」  
 なんと答えればいいのか。ルーァは困惑したように言い淀んだ。
 天上で死に別れた、二つの魂。その魂を持つ、新しい器を探しにきたのだと答えたら、頭のおかしなやつだと一蹴されるだろう。だが、なんの目的もないと答えたら、この女天使から得られるかもしれない情報は手に入らないかもしれない。自分が与えた情報と引き換えというつもりはなかったが、せっかく出会った相手だ。多良太とサキを見つけだす手がかりにでもなるような話を、聞けたらいい。
「探しにきたんだ」  
 なにをとも言わず、ポツリと答える。女天使は、訝しげに眉をひそめた。
「探しに? なにをさ」
「天使……だと思う」
「だと、思う? あんた、自分でもわからない相手を探しにきたのかい?」
「おかしな話だが、そうだ。どんな者がどこに住んでいるのか、詳しく知っている者に心当たりはないか?」
「本気で言ってんのかい?」  
 女天使はルーァの顔をまじまじと見つめた。そこに、真実を見たのだろうか。彼女は、ゆっくりと首を振った。乱れた長い黒髪が揺れる。
「本気みたいだね」  
 そうとわかっても信じがたい、といった口調で呟くと、女天使は再びルーァに視線を戻した。
「あたしらみたいな古い天使は、みんな同じ場所にかたまっているから、探しやすいと思うけどね。まぁ、あたしはそこには暮らしちゃいないけど、あたしみたいのは、他に聞いたことないね」
「……新しい天使や、卵人について詳しい者はいるか?」  
 少し言いにくそうに尋ねたルーァに、女天使は、
「あいつらのことなんか、知るもんかっ」  
 斬りつけるように言って、詰るような視線を向けた。
「まさかあんた、あいつらを探してるのかい!?」
「おそらく、そうなんだろうと思う」  
 サキが殺された日は、金色の天使達の生まれた日だった。その日から、天使の卵から孵ったのは、金色の天使達だけだった。それなら、黒い天使達の中には、サキも多良太も生まれようがない。金色の天使か、あるいは卵人として生まれていると考えるのが妥当だろう。
「他を当たりな。あいつらの話をするのもゴメンだねっ」  
 女天使は、そう言い捨ると、サッサとルーァに背を向けて、路地裏の暗がりへと歩き去っていった。制止する間もなかった。
 女天使の姿が暗闇に溶けていくのを見送りながら、ルーァは、聞き方がまずかったのかもしれない、と、浅い溜息をついた。結局、大した情報を得ることもなく、相手は立ち去ってしまった。この先、どこを探せばいいのか、まるでわからない。
 ルーァは、ひとまず、女天使が立ち去った路地を歩いていき、どこかで、金色の天使か卵人に出会ったら、もう一度話をしてみよう、と思った。
 灰色の都市の夜が満ち、遠く、奇跡的に光を保っている灯りがチラついている。
 今夜をどこで過ごすかまでは、考えていなかった。眠くはないし、疲れてもいない。まだ、始めたばかりだ。  
 遠くに瞬く、あの光を目指すことにした。


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「探し人のことまでは知らないけどね、なにか知りたいなら、先予見にでも訊いてみればいいんじゃないの」  
 投げやりに答えを与えてくれたのは、一体、何人目の天使だったか。  
 暗闇の向こうにあったのは、ビルの一階にある、ガラス張りの小さな店だった。
 店といっても、形がそうだというだけで、店員がいるわけでも、なにかを売っているわけでもない。ただ、曇りガラスが半分砕けた先にある小さな空間の中に、細長いカウンターと、背の高い椅子が何脚か据えつけられ、立ったままでなければ使えないような、丸テーブルが幾つかと、奥まった場所に、ボックス席が三つほどあるだけだ。その場所で、金色の天使達が、互いに語り合ったりしているだけの空間だった。
 ルーァがその店に足を踏み入れた途端、波のようなざわめきがルーァを打った。
 突き刺さるような視線は、ルーァが天使なのか、それとも卵人なのか、判じかねているようだった。
 天使にしては、目の色が違う。黒い天使達よりも、金色の天使達にあるような青灰色の瞳。だが、髪は黒く、金色のタテガミもない。かといって、整ったその姿形は、卵人とも思えない。卵人にも、多少は見目形のいい者はいるが、天使独特の、作られたような美しさはない。彼の存在の不可解さに、誰もその行く手を遮ることを思いつかないようだった。  
 小さな空間にも関わらず、店の中は、金色の天使達で満ちていた。
 金の髪に青の瞳。そこにいる天使達は、ルーァのよく知る天上の天使達や多良太に似ていたが、似ているのは姿形だけだということは、言葉一つ交わさなくとも、その雰囲気でわかった。それは、彼にも馴染みのある雰囲気だった。  
 金色の天使で、地上と天上が満ちる前。天地に蔓延っていた黒い天使達が、丁度、こんな雰囲気を纏わりつかせていた。  
 こんな雰囲気を持つ相手からは、まともな返事すら期待できないことはわかっていたが、ルーァは近くにいた天使から、順に尋ねて回った。案の定、完全に無視する者や、ただせせら笑う者、出て行けと罵倒する者ばかりで、最後まで質問させてもらえることも殆どなかった。古い天使にしろ、卵人にしろ、自分達と異なることだけは確かだ。それだけで、彼らにルーァを受け入れる気はないようだった。  
 それは、単なる気まぐれだったのかもしれない。何人目かの天使が、投げやりに答えて、店の奥のボックス席を目で示した。





   
         
 
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