壊れやすい天使 壊れやすい天使  
2章「訪れた天使」
 
 
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2-2


 それは、最後の卵人狩が始まる前、獲物の捕獲に同伴させてもらった捕獲者の天使だった。捕獲者の赤を残しているのは、張りつくような皮のパンツだけで、上に着ている半ばまではだけたシャツは、狩人のような黒だ。どことなく、顔立ちがルーダに似ていて、背が高く、下心を隠すのが上手だったこともあって、気紛れに一度寝てみたこともある相手だ。まさか、こんなところで会うとは思わなかった。卵人を捕まえて檻に押し入れた後に、それとなくもう一度の関係を誘われたが、相手を殺しかねないサディスティックな行為に付き合う気はなく、笑顔だけ振りまいて別れた。二十年前の戦いを生き延びていたことすら、今の今まで知らなかった。相手が少しは知った仲なら、なにか役立つ情報を引きだすのも容易だろうか。フィムはわずかな期待に胸を膨らませ、ロウダの言葉を待った。
 ロウダは、フィムの名前を呼び、その姿を見て、自分の名前を呼ばれても、まだ信じられないような顔で、ぎこちなく頷いた。
「あ、ああ。久しぶり。本当に、久しぶりだな。生きてたんだな」
「あなたも」
「俺は……ああ、俺もなんとか生きてはいるよ。けど、どうしてここに?」
「うん。ねぇ、それより、部屋に入れてくれないの?」
 戸惑いながら尋ねたロウダに、フィムはわずかに首をかしげて、上目遣いに顔を見上げた。ロウダの趣味が変わっていないなら、相変わらず自分に多少の気があるのなら、それを利用しない手はない。この部屋を訪れたのが、偶然以外の何物でもないことも、言わずにいた方が相手を扱いやすいなら、そっちの方がいい。
 ロウダの喉が鳴り、まじまじとフィムを見つめてくる。その瞳に潜んだ熱情を感じたフィムは、相手が変わらずにいたことを確信した。どうなの? ともう一度、黒い瞳に問いを含ませると、ロウダはハッと我に返り、ドアを大きく開けてフィムを招き入れた。
「いや、もちろん、入れよ」
 フィムがドアをくぐるのに、背中に手を添えて中へと促す。少し熱いその手が、ルーダのものだったらいいのに。ふと脳裏をよぎった想いを、フィムは意志の力で振り払った。
 ロウダの部屋は、フィムの住んでいるものと、広さとしては変わりがない。玄関のドアからまっすぐに廊下が続き、左右に、傷だらけでかろうじて形を保っているだけの、木製のドアが一つずつある。廊下の正面のドアは開け放たれ、その先にリビングがあった。フィムが通されたのは、玄関から見えた、そのリビングだった。黒い合皮のローソファが、ひび割れた丸いローテーブルを囲むように並び、ベランダへ続く窓から差し込む薄明かりに浮かびあがっていた。
 ソファの低さに、一度座れば、咄嗟に立ち上がることは難しいかもしれないと思った。事を始めるのに、有無を言わさず無理矢理襲うような真似はしないと思うが、動きにくくなるのは、できれば避けたい。だが、リビング内をサッと見渡しても、他に座って話をできそうな場所はない。カウンターキッチンが左手に見えたが、そこに椅子は置いてなかった。
「座れよ」
 わずかな躊躇いを感じただろうか。ロウダがローソファを指差す。フィムは、迷いなど微塵もない風を装って、窓に背を向ける位置に腰を下ろした。座る時に、腰の弓が邪魔になったが、多少窮屈ながらもそのままにしておいた。取りにくくはなるが、体から離すのは嫌だった。ロウダが、ソファの背もたれを跨いで、フィムの目の前に座った。
「本当に久しぶりだな」
 同じセリフを繰り返し、ロウダはフィムの全身を嘗め回すように見つめた。低いソファのせいで高くもちあがったフィムの膝頭と、その奥への視線が、絡みつくようで不快だった。だが、フィムはその気持ちを押し殺し、かろうじて微笑んでみせた。
「そうだね。元気そうでよかったよ」
「元気か……。こんな時代に、元気がいいことなのかわからないけどな。あの時死んじまった連中の方が、よっぽど幸せだったんじゃないかって、思わないか?」
 ロウダからは、以前にはなかった、投げやりな雰囲気が感じられる。心の奥底に、元には戻らない傷があって、それがジクジクと黄色い膿をだしている。その膿が、心を蝕み、腐らせているような感じだ。
「どうかな。今更なにを言っても、生き残ったのは事実だしね」
「今の状態を、生きてるって言えるか?」
 それは、ほんの数日前まで、フィム自身も感じていたことだった。その時なら、ロウダの言葉に深く頷いていただろう。だが、今のフィムには、生きる理由が、ある。その理由がある限り、自分は生きているとフィムは言うだろう。
「生きてるよ。少なくとも、僕は、まだ死ねないと思ってるもの。死んでないと思うなら、生きてるってことじゃない?」
「羨ましいな……」
 ため息まじりに呟いて、ロウダは不思議そうにフィムを見た。
「この世界に、どんな未練があるんだ? こんな状態になっても、まだ死にたくないと思えるような理由が、本当にあるのか?」
「あるよ」
 呟くように吐きだしたフィムの答えに、ロウダはテーブルに手をつき、少し身を乗りだした。黒い瞳の中に、ポツリと炎が点ったようだった。
「どんな。教えてくれよ」
 フィムはじらすように口を噤み、それから、暗くて熱い炎の点るロウダの瞳を、その炎ごと飲み込むような目で、見つめた。
「それを教えたら、あなたも僕の知りたいことを教えてくれる?」
「お前の知りたいこと? なんだ。なにが知りたい? 俺の知ってることなら、教えてやるぞ」
「狩りの前に空を飛んでいた青い飛行船、今はどうなったか知ってる? 今も空を飛べる天使を誰か知ってる?」
「そんなことを知って、どうするんだ?」
 訝しげに眉をひそめるロウダを、フィムは少し苛立ったように問い質した。
「知ってるの? 知らないの?」
「……誰が空を飛べるかなんて知らないな。興味もないしな。けど、飛行船のことなら知ってる」
「本当!?」
 今度は、フィムが思わず身を乗りだした。ローテーブルを挟みながらも、二人の顔が、少し意識してしまうほどに近くなる。
「俺がお前に嘘をつくと思うか?」
 ロウダだろうと誰だろうと、嘘をつくことすらできない天使を、フィムは信じていなかった。だが、それをここで言っても始まらない。
「どこ? どこにあるのっ」
 無意識に両手をテーブルにつき、フィムは更に身を乗りだした。その指先に触れそうなほど手を伸ばし、ロウダは口許を歪めて笑った。
「それを聞きたいなら、お前が先に俺の質問に答えるんじゃなかったか?」
 ロウダの笑みはどこか不吉で、フィムは瞬間、身を引いて逃げだしたいような衝動に駆られた。狩人と捕獲者という立場だった頃なら、フィムの要求をこんな風にかわして、自分の意志を通そうとしただろうか。あの頃より、傲慢で強引な雰囲気があると思うのは、気のせいだろうか。弓を構える間もなく押さえつけられたら、力では敵いそうにない。以前の知り合いだからと、部屋の中にまで入ったのは失敗だっただろうか。フィムは、胸を騒がせる不安を抑えつけて、正面からロウダを見据えて言った。
「僕は、雲の上にあるっていう、もう一つの都市に行きたい。あの女が捨てられるのを、この目で見てやるんだ。それを見るまで、僕は死にたくなんかない」

『あんたは、死なないでよ』

 自分がとどめを刺してやる前に、キリカが言ったあの言葉がまた脳裏に蘇ったが、それを理由として言うつもりはなかった。そんな理由を認めたら、ルーダやシェラに対する執着を認めるよりも、フィムの自尊心をズタズタにするだろう。
「あの女?」
 フィムの口から、女という単語がでてくるとは思ってもみなかったのだろう。ロウダは自分の耳を疑うような顔で聞き返した。
「あの女は特別なんかじゃない。弄んで捨てられた他の奴らとの違いなんてない。絶対に、たった一人の相手でなんか、あるわけない」
 フィムの瞳に光はなく、目の前のロウダではなく、別のなにかを見つめているかのようだった。自分自身に言い聞かせるような、独り言めいた言葉に、ロウダはようやく頷いた。
「シェラとかいう女狩人のことか。お前は、まだルーダを諦めてないのか」
「別に、今更ルーダが僕のものになるなんて思ってない。だけど、あの女がルーダの特別じゃないってことを、自分の目で見届けるまで、僕は死なない」
 本当は、ルーダとシェラの名前まで教えるつもりはなかった。天上まで二人を探しに行く目的だって、言葉を濁して伝えるつもりだった。それなのに、気づいたら、今まで胸に秘めていた想いを喋ってしまっていた。
 だが、もしかしたら。自分は、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれないと思った。できることなら、その通りだと、誰でもいいから肯定してもらいたかったのかもしれない。
 少なくとも、自分の決意を吐きだして、フィムは心のどこかが楽になったような気がした。






   
         
 
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