壊れやすい天使 壊れやすい天使  
1章「落ちていた卵」
 
 
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「違うよ、ルーァ」
 ルーァの内心の苦悩を読み取ったように、多良太が小さく首を振る。
「僕を殺すなんて思わなくていいよ。僕はルーァに救ってもらいたいだけだよ」
「……本当に、それは救いになるのか?」
「だって、苦しいんだよ。これが壊れかける前は、もしかしたら、天上でサキに会えるかもしれないと思ったし、もう無理かなって思ってからも、ここの仲間達が毎日のように会いにきてくれるし、僕のことを尊重してくれてたから、なかなかお別れするって言いだせなかったけど。どっちにしろ、もう長くはもちそうにないんだもの。だから、僕をここから出して、解放してほしいんだ。そしたら、心置きなくサキを探しに地上にだって下れるでしょう? 僕もきっと、地上に生まれるよ。サキがいるはずだからね。もしかしたら、サキが見つけてくれるかもしれないよ?」
 言葉の中身とは裏腹に、明るく気軽な調子で多良太が言った。その明るさが、ルーァの胸に、かえって痛く突き刺さる。
 だが、もしも本当に、多良太を死なせてやることが救いになるのなら、自分の無力感や罪悪感など、どうでもいいことだ。せっかく出会えた多良太とまた別れることになる寂しさは、いずれ三人で再会する日を信じることで、耐え切ることができるだろう。
 それでもルーァは、暫くの間、黙りこくって多良太を見つめていた。多良太もまた、静かな眼差しでルーァを見返す。
 やがて、ルーァはすべてを吹っ切るように、頷いた。
「わかった。お前の言う通りにしよう」
「ありがとう、ルーァ」
 多良太とルーァが互いに決意した日から、それでも三日、多良太は訪れる金色の天使達に、別れを告げずにいた。ルーァは、多良太が自ら口を開くのを、なにも言わずに待った。ガラスケースに満たされた、少し濁った液体の中に浮かぶ多良太が、時折苦痛に顔を歪ませるのを見る度、それが自分自身のことのように胸が痛んだが、やはりなにも言わなかった。ただ、声にはださず、多良太を労わり、励まし、痛みが引くのを祈っていた。
 そして今日、多良太は遂に別れを告げた。本来なら、別れを告げたその日の内に、ガラスケースを壊す予定だったが、金色の天使の懇願に、あと三日待つと決めてしまった。
 多良太は、「やっと楽になれると思ったのに」と言ったが、ルーァは一度決心した、自分が多良太を手にかける瞬間を思って、思わずたじろいでしまった。そんなルーァに、多良太が、「ごめんね。ルーァはこれからも楽はできないのにね」と言ったのは、珍しくその心情を誤解したのか、あるいは、その瞬間よりも、もっと後のことに思いを馳せてもらおうとしたのかもしれない。
 ルーァは、
「気にするな」
 と言って、片手で多良太のガラスケースに触れた。多良太は、その手に内側から自分の手を重ね、嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、ルーァ。大好きだよ」
 打算もなにもない真っ直ぐな青い瞳に、胸が痛い。自分も同じくらい、いや、それ以上の想いを抱いていると、素直に口にできない自分が嫌だった。だが、多良太はルーァの想いを正確に読み取り、
「わかってるよ、ルーァ」
 微笑みを深くした。ルーァは、眩しさに耐えられないように目を逸らしたが、ガラスケースに押しつけた手を離すことはなかった。


 そして三日が過ぎ、その間に次々と訪れた金色の天使達との別れも済ませた多良太は、静かになった部屋の中で、傍らのルーァに目を遣った。
 ルーァは、俯き加減で立ち尽くしていたが、多良太の、
「ルーァ」
 囁くような呼びかけに顔をあげた。
 いよいよその時が来たことを、嫌でも意識しないわけにはいかない。多良太を救うためだと何度も自分に言い聞かせてきたが、大切な相手を、この手で殺すことに変わりはない。
 いつか必ず、多良太を、サキを、再び見つけて、今度こそは三人で、ただ静かに過ごす日々を手に入れると誓ったが、もしかしたら。
 もしかしたら、自分は二人を見つけることができないかもしれない。見つけても、二人は思い出してはくれないかもしれない。再び生まれ変わって、地上か、あるいは天上に生きることができると、一体誰が決めたのか。そんな根拠がどこにあるのか。
 サキを、天上で見つけられなかった。地上には必ずいると、断言できるものだろうか。もしかしたら、サキはもうどこにもいないのかもしれない。多良太とも、二度と会えないのかもしれない。
 嫌な想像ばかりが頭の中で渦を巻き、ルーァは不安に押し潰されそうだった。
「ルーァ」
 多良太が繰り返し、ルーァは焦点の定まらない目で、多良太を見返した。
「大丈夫だよ。ぼくらはまた会えるよ。約束したでしょ? 会えたでしょ? だから、今度もきっと大丈夫だよ」
「だが……」
 ルーァは不安に軋んだ声で言った。
「お前が……最初の天使であることが定められたことだったとして、それが地上で妨げられたせいで、天上に再び生まれることができたのだとしたら。天上でその定めを全うした今、再び生まれ変わって、同じように出会えると、どうしてわかる?」
「ルーァは、信じられないの?」
「信じたい。だが、わからないんだ」
「でも、ルーァ。もし、僕が生まれ変わったのが、そんな定めだとか運命だったとしたら、どうしてルーァやサキともまた会えたの?」
「それも考えた。だが、あの時は、お前と一緒だったから。それに、私とサキは、正確には生まれ変わったわけじゃないだろう? 空っぽの体に入り込んだだけだ。今度も同じように、空っぽの体を見つけられるとは限らないし、サキは……」
 黒いベッドの上の、白い屍を見やり、ルーァは眉をひそめた。
「一人、だった。一人で、殺されて……」
 もう、二度と会えないところに行ってしまったのかもしれない。そう考えると、胸の真ん中に、黒い虚空が生まれた。夜よりも深い常闇の中に、なにもかも吸い込まれて落ちていきそうな気分だった。
 多良太は大丈夫だと言った。天上か、地上か、どちらかはわからないけれど、きっとまた生れ落ちて、再び出会うことができると言った。その言葉に縋って、それ以外の可能性は、ずっと意識の外に追いやっていた。だが、多良太がこのガラスケースを壊して、また自分とサキを見つけてくれと言ってから、そんな考えが、頭にこびりついて離れない。
「大丈夫だよ、ルーァ」
 ガラスケースに両手をピッタリと押しつけて、ガラス越しにその想いを届けようとするように、多良太が言った。
「サキはいるよ。心配しないで。僕も必ず、ルーァのことを思い出すから」
「だが、多良太……」
「大丈夫。僕には感じるんだ。ルーァにもわかればいいのにね。サキはこの世界のどこかにいるよ。僕らはまた会えるよ。ねぇ、ルーァ、約束しようよ」
「約束」
 サキを抱いて、多良太を肩に乗せて、地上の空から落ちていく時に、約束を交わした。
 また会うことを。見つけだすことを。共に空を飛ぶことを。多くの言葉を交わすことを。夜空に輝く光の源までも行くことを。
 全ての約束を果たしたわけではないが、それでも、再び出会い、言葉を交わし、約束を思い出した。今度もまた、約束を交わせば、その約束を果たすことができるだろうか。
「うん、約束しよう。僕はきっと、約束を守るよ。僕を、信じてくれる?」
 多良太を信じるか否かと問われれば、迷いなどない。生まれ変わり自体を信じることはできなくても、多良太を信じることならできる。
「信じるよ、多良太」
「ありがとう」
 多良太は、光にとけていくように笑った。とても幸せそうで、嬉しそうで、この先の未来に、なんの不安も抱いていないような笑顔だった。





   
         
 
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