壊れやすい天使 壊れやすい天使  
1章「落ちていた卵」
 
 
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1-13


 天地の天使達の殆どが滅びることになった日から、二十年が経とうとする時、天上に満ちた金色の天使達は、一つの別れを告げようとしていた。  
 黒い都市の中心。十二の尖塔を持つ大聖堂の中。  
 その部屋では、小さな天使の白骨が黒いベッドに横たわり、円筒形のガラスケースに、最初の天使、と呼ばれる天使が閉じ込められていた。薄い青の液体で満たされたガラスケースの傍らには、古い種族の生き残り天使が、一人、佇んでいた。  
 最初の天使はいつも、ガラスケースの中から、金色の天使達に慈愛に満ちた眼差しを向けていた。  
 だが、いつしかその面差しに、苦痛と疲労の色が浮かぶようになった。彼が閉じ込められたガラスケースの基底部が、時折異音を発し、ケースの中の液体が、わずかに濁りはじめたのもその頃だ。  
 その日、生まれて間もない天使が、初めて彼の元を訪れた。その天使の養育を任された二人の天使も一緒だ。  
 一人は小柄な男天使で、なにか小さな動物のような愛らしさがあった。濃い金の髪とたてがみは、遊ぶようにクルクルとはねている。もう一人は、反対に背の高い、キリッとした印象の女天使で、銀に近いプラチナブロンドに乱れはなく、まっすぐだ。二人共、生まれて数日後に一度、ここに挨拶に訪れていた。成長して様変わりしているが、なんとなく子供の頃の面影は残っていた。
 こうして、何人の天使達と会い、言葉を交わし、その成長を見届けてきただろう。最初の天使である彼自身は、閉じ込められた時に、成長を阻害する処置を施されたのか、二十年弱、姿を変えていない。唯一、光のような金の髪が、数十センチほど伸びたくらいだ。  
 最初の天使は、ポカンとした表情で自分を見上げる小さな天使に、励ますように微笑みかけながら、その子の誕生を喜び、祝福した。
 それから、男女の天使を交互に見やり、穏やかに告げた。
「今日はきてくれてありがとう。だけど、こうして誰かに会うのも、もうおしまいだよ。他のみんなにも、そう伝えておいてくれる?」
「どうしてですか?」
「私たちが、なにか不興を買うような真似をしたんでしょうか」  
 戸惑う彼らに、最初の天使は微笑みながらかぶりを振った。水中で漂う金色の髪が、それ自体別の生き物のようにゆらめいた。
「そんなんじゃないよ。ただ、僕はもう長くないから」
「長くない?」
「気づかないかな? この入れ物、そろそろ限界みたいなんだ。僕は、ここから出ては生きられないから、これが壊れたら、僕も死ぬしかないってこと」
「そんな!」  
 息を呑み、男天使が両手を口にあてて、少しよろめいた。女天使がその肩を抱いて支える。二人の前に立った子供の天使は、その会話の意味が掴めないのか、ぼんやりとした表情で、真正面のガラスケースを見るともなしに眺めていた。
「なんとか、直すことはできないんですか?」  
 女天使が眉間に薄い皺を刻んで尋ねる。最初の天使は、さっきと同じように首を横に振った。
「無意味だよ。今少し手を入れてみたって、いずれ壊れるのは目に見えてるもの。それに、ねぇ、僕はやっと解放されるって思ってるんだ」  
 窮屈なガラスケースの牢獄。彼はそこで不満一つ漏らすことはなかったが、考えてみれば、その状態は恐ろしく不自由で屈辱的なもののはずだ。思わず黙り込んだ二人に、最初の天使は、その通りだと頷いた。口にはだされなかった心の声を、聞いたのかもしれない。
「だから、他のみんなに、伝えておいてくれる? 今日でおしまいだって」  
小柄な男天使は、口許を覆ったまま、目を見開き、応えることができないようだった。その肩を支える手を離さずに、女天使が、でも、と口を開いた。
「それなら、みんな、お別れを言いたがると思います。せめて、少しだけ、お別れを言う時間を与えてくれませんか?」  
 最初の天使は少し躊躇い、ガラスケース越しに、静かに傍らに佇む天使を見上げた。その視線を横顔に感じ、灰青色の目が、最初の天使の青い瞳に向けられる。雨の降りだす前の空に似た目に、肯定の色を読み取ったのか、最初の天使は、金色の天使達にわかったと頷いた。
「いいよ。それじゃあ、あと三日だけ待つよ」
「ありがとうございます!」  
 女天使は安堵に顔を輝かせた。ショックを受けていた男天使も、ようやく気を取り直し、同じように礼を述べる。天使の子供は、不思議そうな顔で養育者の二人を振り仰ぎ、女天使に、
「あなたもお礼を言って」
 と促されると、よくわからないままに、ぴょこりと頭を下げた。  
 最初の天使は、小さな天使の仕草に、思わず微笑をうかべていた。
(この子も違う。だけど、この子にも等しく幸せが降り注ぎますように……)  
 声にださずに祈る。祈る相手はわからないけれど。この世界を作り上げているすべてのものに祈った。  

 改めて皆とお別れにきますと言い残し、三人が部屋を出て行くと、金色の天使達に最初の天使と呼ばれている、多良太は、ホッと肩の力を抜いた。  
 考え抜いて、覚悟して告げたことだったが、これで完全に、自分の死を決定付けることになった。やっぱり少し、緊張していたのかもしれない。  
 多良太の浮かぶガラスケースの傍らで、黙ってそれを見守っていたルーァは、多良太に向き直り、労わるように声をかけた。
「三日、耐えられそうか?」  
 多良太の生命維持装置が不調をきたしてから、多良太は息苦しさや眩暈、頭痛などの症状を覚えるようになっていた。その辛さに、三日間耐えていけるのかと尋ねるルーァに、多良太は頼りなげに笑った。ここを訪れる金色の天使達には見せない弱音も、ルーァになら、全部曝けだせた。
「厳しいけど、がんばるしかないよね。もう楽になれるかと思ったんだけど」  
 答えた多良太の言葉に、ルーァの顔に痛みにたじろぐような表情がよぎる。
「あ、ごめん、ルーァ。僕だけ逃げだすことになるのに。ルーァは、これからも楽はできないのにね」  
 多良太の生命維持装置が限界だとわかった時、多良太はルーァに懇願した。
「僕のこの入れ物を壊して」  
 腐っていく中身と共に、苦しみもがいて死ぬのではなく、ルーァの手で、終わりにしてほしいと言った。
「僕をここからだして、サキの隣に寝かせて。そしてサキと一緒に、僕をまた見つけてよ」  
 天上の卵は、ルーァが孵した集積場のものだけでなく、既に数多くが孵って、新しい命が生まれていた。その全員と、ここで一度は会っているはずだった。会えばきっと、わかると確信していた。出会った中に、サキがいたのなら、必ずそれとわかったはずだ。だが、二十年、未だにサキの生まれ変わりの天使と思しき相手は現われず、多良太とルーァは、おそらく既に、サキは地上に生まれているのだろうと思っていた。
「ごめんね、ルーァ」  
 言葉を失ったルーァに、多良太はガラスケースに両手の平を押しつけて言った。今すぐここから出ることができたら。ルーァの手を握り締め、お互いのぬくもりを伝え合えたらどんなにいいだろう、と思いながら。
「ルーァにばかり、大変な思いをさせちゃうよね。僕はいつも、見つけてもらうばかりで、ごめんね」
「そんなのは、大変でもなんでもない」  
 ルーァは、眉をひそめて謝る多良太に、ゆっくりと首を横に振った。淡い青みがかった液体の中に浮かぶ多良太の背中から、透明のチューブがガラスケースの基底部へと伸びている。こんな入れ物に閉じ込められたままの多良太に比べたら、大変なことなど何一つない、と思った。だが、自分のこの手で多良太の命を絶つことになるというのは、あまりに重い。この命に代えても守りたい相手を、あろうことか、自分自身が殺さなければいけないというのか。





   
         
 
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