進化の卵  
終章「終末の天使」
 
 
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5-6


 通用門から外に出ると、傾きかけた陽が、かすかな夕色を西の空に滲ませていた。
 アディケルの姿は既にない。
 上空、褪せたような青い空の下では、黒い翼の天使達が乱れ飛んでいる。その舞いが、どこか不自然なものに感じられたが、ルーァはすぐに、サキの姿を求めて、大聖堂の壁面に視線を転じた。
 サキは、リフェールの身体は、そこにあった。
 門番の天使たちの姿は既になく、彼らが落とした黒い六尺棒が二本、所在なげに転がっているだけだったが、サキは、ルーァがそこに横たわらせたままの状態で待っていた。
 ルーァは、サキの身体を抱きかかえ、すぐに大聖堂の中に取って返した。

 
 廊下を歩き、真っ直ぐに多良太の待つ部屋に戻る途中、一人の天使に出会ったが、ルーァの瞳に射られて、その天使もすぐにどこかへ駆けだしていった。
 巨大なガラスケースに多良太を閉じ込めたその部屋に戻ると、ルーァは最初に、部屋の中央にある細長いベッドの上に、サキを寝かせた。
 多良太が、サキの死体の損傷の酷さに顔を顰め、
「ひどい……」
 と、小さく呟いた。ルーァは同意するようにわずかに頷き、ベッドの傍らに留まったまま、多良太を振り向いた。
「その時がきたら、また約束をしてほしいと言ったな。今がその時か?」
 集積場の白い空の下、多良太を抱えて飛んでいたあの日、多良太は、黙っていることがあると言った。そして続けた。もしも間に合わなかったなら、と。
 もう一度、約束してほしい。
 その時がきたら、きっとわかるから。
 黙っていたのは、少し前に多良太が告げた、過去の記憶。そしてサキを失い、多良太は閉じ込められ、約束は果たせなかった。間に合わなかった。
 それなら、今がその時なのかと、ルーァは多良太に尋ねた。今再び、なにを約束できるのか、ルーァにはわからなかったが。
 多良太は、ゆらゆらと首を傾げ、困ったように眉根を寄せた。
「それは、少し難しいよね。ぼくはここから出られないけど、出ることができないだけで、この中でずっと生かされるみたいだもの。いつまでかわからないから、困るよね」
「それなら、私もずっとここにいよう」
 間髪を入れずに言ったルーァに、多良太は一瞬幸せそうに微笑み、すぐに微笑みを消して、真剣なまなざしを向けた。
「ありがとう、ルーァ。でも、サキを探さなきゃ」
「多良太、サキはもう……」
 ベッドに横たわったサキを、チラリと一瞥する。
 探すもなにも、サキは既に死んでそこにいる。多良太は、それはわかっていると頷いた。
「わかってる。でも、二度目があったんだから、三度目だってあっていいじゃない? 今回みたいに、誰かの身体に入ることはできなくても、きっとどこかでまた生まれてくれるよ。だから、探そう?」
 ルーァは、胸に点った希望の光に、素早く多良太の方へ歩み寄り、ガラスケースに両手の平を押しつけた。
「サキにまた会えるのか?」
「探しだせば、きっと会えるよ。ぼくはここから動けないから、ルーァにばかり大変な思いをさせちゃうけど」
「構うものか。絶対に見つけだす。絶対に」
「うん。絶対、見つかるよ」
 ガラスケースを隔てて、自分の手の平をルーァの手の平に合わせ、多良太は力強く頷いた。
 ルーァは、肩越しにサキを振り返って、独り言のように呟いた。
「サキは、今度もまた、天使に生まれるだろうか?」
「空を飛びたがってたから、そうかもしれないね」
 サキに視線を向けて、多良太が答える。
 ルーァは多良太に向き直り、自分の方が悲しそうに言った。
「だが、天使は、この先生まれる天使には、お前と同じように、羽がないかもしれない。天使に生まれても、思いだせばまた悲しむな、きっと」
「そうだね」
 頷いて、多良太も少し目を伏せた。
「サキは、天上に生まれるだろうか。それとも、地上に生まれるだろうか」
「わからないよ。でも、もしかしたら、ぼくらがここにいるって思って、天上に生まれてくれるかもしれない」
 サキにまた会えると信じて、どうすれば探しだせるかと話すのは、とても救われるような想いだった。サキの死という、厳然たる事実から目を背ける、それはただの逃避なのかもしれないが、多良太は、一片の疑いの余地もなく、それを信じているようだった。多良太が信じているのなら、自分もまた信じようと、ルーァは思った。
「そうか。それなら、まずは、天上の卵から孵る天使を確かめることからはじめようか」
「そうだね。なんとかして、他の卵を孵さなくちゃね」
 多良太の言葉に、ルーァは、自分が操作した集積場の卵のことを思い出した。ラグエルの狂気の炎に焼かれて、あの場所の卵は全て失われてしまっただろうか。もしそうなら、どうやってこの天上に産み落とされた卵を見つけだし、それを処分される前に、安全な場所に隠しておこうか。考えることは、山のようにあって、考えていられるのは、幸せだと思った。なにもかも失って、希望すらなく、虚ろを抱えているよりも、ずっと幸せだと思った。
 なにより、
(私には、まだ多良太がいる)
 こんなガラスケースに閉じ込められてはいるが、それでもその姿を見て、声を聞き、想いに触れることができる。もう二度と、叶わないと思った時もあったのに。
 それから、二人は色々な話をした。
 過去のこと。未来のこと。天上のこと。地上のこと。サキのこと。それから、ザファイリエルのことも。
「あの人は、絶望していたんだよ」
 多良太はそう言って、この部屋で覗き込んだザファイリエルの心の深淵を、サフィリエルに話した。
 サキの死体を傍らに、ガラスケースの中の多良太とルーァは、夜が更けるまでずっと話をしていた。
 世界にはまるで、二人だけしか存在していないかのように。
 誰も、訪れる者はなかった。
 ルーァの視線に射られて、飛びだしていった天使達や、来る途中で出会った天使達がどうなったのかは、その時は考えもしなかった。
 とても、静かだった。




   
         
 
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