進化の卵  
4章「争乱の天使」
 
 
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4-17


 アシェは、シェラの黒い瞳に宿る強い色に、言葉を失い、ただわずかに目を見開いてシェラを見つめ返した。
 その時、今まで黙っていたレリエルが、口を開いた。こんな時でさえ、のんびりと眠たげな口調は変わらないようだった。
「そんなに私を殺したいなら、いいよ。でも」
「でも、なに?」
 シェラが高圧的に先を促し、レリエルはわずかに目を伏せた。
「これは、見逃してくれないかな」
 そう言って、胸の真ん中にある膨らみにそっと手を触れる。
 それは卵。
 おそらくは、新たな天使の卵。
 彼ら、今までの天使に、いずれ取って代わるだろうと思われている、天使の卵。
「まだそんなことを!」
 怒りに鋭い目元を更に吊り上げて、アシェが吐き捨て、シェラはピクリと片頬を引き攣らせた。
「それはできないわ。私の誓いは、あんたとあんたの卵を焼き殺すことだもの」
 シェラが吐き捨てるように言うと、レリエルは、ちょっとため息をついて、
「そう。じゃあ仕方ないね」
 言い終わるや否や、レリエルの右手から閃光が走り、シェラの視界を白光が焼いた。
「うっ!」
 光に目を眩ませながらも、ここと定めた場所を目がけ、シェラが矢を放つ。
 と、輝きの中から放たれた白い光の矢が、細く鋭い一条の光の線となって、未だ視力を失ったままのシェラの左脇腹を貫いて、開け放たれた扉から外へと消えた。
 シェラは、自らに生まれた痛みを無視して、続けざまに炎を放った。
 瞳を焼いた眩しい光に、相手の姿を捉えることはできなかったが、光の矢が飛びきた方をめがけて、矢を放った。

 
 そして、ようやくぼんやりと視力を取り戻した時、シェラはいつの間にか自分が膝をついていることに気づいた。
 光の矢から受けた傷は、脇腹だけでなく、太腿にも、二の腕にも首筋にもあった。
 腕に力がうまく入らない。かろうじて弓を手放さずにいるが、両腕はダラリと垂れ下がって、傷ついていない方の太腿で支えている状態だ。
 シェラは、霞む目をしばたたかせ、レリエルの姿を探した。
 立っている人影は一つ。
 二つあったはずのもう一つは、床の上で黒い塊になって動かない。
(どっちなの?)
 シェラは更に目をしばたたかせて、なんとかその姿を捉えようとした。
 ぼんやりと浮かぶシルエットは、細く、まっすぐに伸びた髪が肩まであった。その手に、弓はない。
 一人立っていたのは、レリエル、だった。
 レリエルの姿を確認した途端、シェラの両手に、失われていた力が漲る。右手には、炎が赤く輝いた。
 キリ、と引いた弓から、今まさに炎の矢が放たれようとした時、フラリと揺らいで、レリエルが膝から崩れ落ちた。
「!?」
 シェラは、矢を構えたまま立ちあがろうとした。
 だが、入れようとしても足に力が入らない。右太腿の傷は、思っていた以上に深く、流れる血が止まらない。膝立ちの姿勢を保つのも、もう限界のようだった。
 シェラは仕方なく、その場でつがえていた矢を放ち、前のめりにうずくまったレリエルに撃ちこんだ。
 炎の矢は、レリエルの丸められた背中に突き刺さり、炎の欠片を散らした。それでも、レリエルは呻き声一つあげなかった。
 死んでいるのだろう。
 そう思ったシェラの口元に、ようやく満足げな笑みが浮かんだ。
 本当なら、レリエルの額をブーツの踵で踏みつけて、彼女の刻印を刻みつけたいところだったが、今はちょっと無理なようだ。
 シェラは横座りにへたりこみ、傍らに弓を置いて、特に出血のひどい脇腹と太腿を押さえた。
 少し、休もう。
 少しやすんで血も止まったら、改めてレリエルの額に刻めばいい。アシェは、気付かない内に、勝手に死んだようだし……おそらく、卵の秘密を知られたレリエルが、シェラに攻撃する傍らに光の矢で射たのだろう。邪魔者はいない。
 とにかく今は、もう一度立ちあがるために、少し休もう。
 シェラはゆっくりと横たわり、静かに目を閉じた。
 やがてシェラは、底のない眠りに落ちていき、狩人の塔、最上階アシェの私室に設けられた隠し部屋を、静寂が包みこんだ。
 激しかった最上階の戦いの音も遠く、数多くの天使達の死によって、終わりを迎えようとしているようだった。


 暗い地上の都市は、傾きかけた陽に、その闇を深めていた。
 狩人の塔の外、都市で起きている争いは、まだ静まる様子はない。益々激しく、混乱を極めていた。
 それでも、少しずつ戦局は、地天使達の勝利に傾きかけているようだった。
 そして夕暮れ。
 間もなく地天使達が勝利するかと思われた頃、炎に撃たれて、ヒビ割れた道路に仰向けに転がった一人の天使は見た。
 空から降る、黒い雨を。
 ハラハラと舞い落ちる黒い花びらのような、無数の天使達。
 それを、天上からな増援と見た地上の天使達は、次々と降る黒い天使に、途端に恐怖に駆られ、逃げだした。
 だが、逃げだしたところで、行く当てなどなく、たちまち追われて殺されていった。
 絶望の中の死に物狂いの攻撃に、下天使達の多くもまた、斃れていった。
 空から降る天使の雨は、止まない。





   
         
 
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