狩人の塔最上階は、ひどい大混戦状態のようだった。
戦い慣れているとはいっても、あくまでも単独で獲物を狩る上でのこと。集団として完全な統制と連携がとれているとはいえないようだ。
(それでも、まとまった方よね)
混乱の最中、レリエルの姿だけを探し求めながら、シェラは思った。
地天使と下天使とに別れ、それぞれある程度情報を共有し、作戦らしきものをたて、幾つかのグループをつくるなど、今までなら考えられない。
だが、それも所詮付け焼き刃。これが限界なのだろう。
敵味方入り乱れ、あちこちで物言わぬ姿を晒す天使たちを横目に、シェラはたいした感慨も抱かずに、心の内に呟いていた。
大体、そんなことはどうだっていい。彼女が知りたいのは、レリエルの居場所だけ。彼女が望むのは、レリエルに自らの炎を撃ちこむことだけだった。
シェラのその強い願いが、名も知らぬ存在にでも通じたのか、シェラは無事に、そこに辿り着いた。
途中、レリエルと共に下りてきた下天使の一人を見つけ、ひどく怯えていたその天使から、レリエルの居場所を聞きだしたのだ。命乞いのための情報だったが、聞きだすと即座に殺した。重要な情報を、命惜しさに簡単に提供する態度に腹がたったし、恐怖に怯える相手を殺すのは気持ちがいい。
そして遂に、目指す相手を見つけた。
レリエルは、一人ではなかった。シェラもよく見知った相手、狩人の長と呼ばれる、長い波打つ黒髪と巨大な長弓の持ち主、アシェと一緒だった。
そこは、アシェの私室に設けられた、小さな隠し部屋だった。壁に掛かった殺戮のタペストリの裏に、灰色の壁に溶け込むような扉があった。
怯えて口の軽い天使からは、その隠し部屋のことまでは聞いていなかったが、シェラが足を踏み入れた時、風もないのに、タペストリが揺れていた。
シェラは右手に炎を点し、黒い弓につがえて、引き伸ばすようにして炎の矢に変え、その扉を蹴り開けた。
小さな暗い部屋の中で、アシェとレリエルがハッと息を呑む。
その部屋に窓はなく、淡い光が、壁際にわずかに灯っているだけだった。
赤く燃える炎の矢をレリエルに向けて、シェラは微笑んだ。背中から射す外からの光が、彼女のシルエットを浮かびあがらせていた。
「やっと見つけた。あんたを、あんたの卵ごと焼き尽くしてあげるわ」
シェラの宣告に、ほんのわずか、レリエルの表情が動いた。だが、口を開いたのは、レリエルではなく、戸惑い顔のアシェだった。咄嗟に弓を構えることすら忘れてしまったようだ。
「卵? なんのことだ」
それに、シェラは死んだのではなかったか。ルーダと共に、エレベーターで死んだと聞かされていた。
シェラは、アシェを蔑みの眼差しで見遣った。
「知らないの? その女は卵持ちなのよ。進化の卵を孵さないためだなんて、ただの建前って証拠ね」
「なんだと?」
アシェは、すぐにはシェラの言葉の意味が掴めなかった。衝撃に声を無くしたかのように、ただシェラを見つめる。
そんな中、レリエルがようやく口を開いた。どこか諦めたような口調だった。
「悪いけど、もう違うよ」
「違う?」
「卵は、もう産んじゃったからね」
「それは今どこに? 当然、産んですぐに処分したんですよね?」
アシェの問い掛けに、レリエルは答えなかった。チラリとアシェを一瞥して、曖昧に首を傾げただけだ。
その時、アシェの脳裏にある光景が閃いた。それは、ルーダが出て行って間もなく、服の下に隠れた胸元の膨らみをそっと押さえるレリエルの姿。その大きさは、確かにそう、天使の卵と同じくらいだった。
「まさか、ずっと隠し持っていたのか!?」
外ならぬ下天使たちのトップが、進化の卵を殲滅すべく下りてきた天使たちの代表が、その身に卵を宿し、尚且つ、その卵を壊しもせずに大事に抱えていたとは。酷い裏切り行為にも程がある。
裏切りは、それ自体は珍しくもない。だが、まさか自分たちの存亡に関わるこれほどまで重要なことで、その中心にこんな裏切りがあるとは、さすがに思いも寄らなかった。
(では、あの約束も嘘か!)
アシェは、憤りに我を忘れた。
今回のことが、彼らのいいように終われば、地上にある卵と彼らに逆らう天使たち全てを焼き払う陣頭に、自分を立たせると、初めて会った時に約束してくれた。
それも、自分を良い様に操る、口からでまかせだったというのか。
思わず、肩にかけた巨大な長弓に手を伸ばしたアシェは、風を切る炎の音と気配に、反射的に身を翻した。
「!」
赤く燃える炎の矢が、アシェの頬を掠め、窓のない暗い部屋の壁に突きたった。
「手をださないで! その女はあたしの獲物よ」
アシェは、シェラに焦がされた頬に触れ、スッと目を細めた。
「こんな時まで狩りの真似事か。私に矢を向けて、死にたいのか?」
「死のうが生きようがどうだっていいわ。その女を殺せればそれでいいのよ」
アシェの威嚇にも動じることなく、キッパリと言い放つ。
アシェは、その揺るぎない想いの強さに、少し興味を惹かれた。思えば、以前からシェラは、数多の天使たちの中でも、彼が少なからず興味を覚える者たちの一人だった。
「そんなに固執する必要があるのか?」
「あたしが、その女を殺すと決めた。一度決めた以上、途中で立ち止まる気も誰かに横取りされる気もないわ」
獲物と決めた相手に逃げられるのは、もう二度とごめんだ。あんな想いは、二度としたくない。
シェラは、あの日、一度は彼女の炎で撃ち抜いた卵人の少女を抱いて、天へと奪い去った闇色の翼を思い返していた。
暗灰色の雲の下、仄暗い空の高みは、手を伸ばしても届くことなく、気を失いそうな痛みに耐えて、その背を裂いて絞りだした彼女の翼は、空を飛ぶどころか、シェラを地べたに縛りつけ、その命までも奪おうとした。狩りの時はいつも傍らにいるルーダが、血液と共に命を垂れ流す黒い塊を引き抜き、身につけたマントで止血してくれなかったら、今ここでこうして立っていることもできなかった。
その時だけじゃない。さっきもそうだ。あのエレベーターの中で、ルーダはシェラを殺すこともできた。実際、一度はルーダの手にかかることを覚悟もした。
自分が今あるのが、ルーダに助けられたお陰だと考えると、心臓が炎を吹きあげそうになる。
その炎が、怒りなのか羞恥なのか、シェラにはわからない。わからないけれど、考えようとするだけで、ひどく不安定で居心地が悪くなる。
だから、シェラは、自分を不安にさせる記憶全てを捩伏せて、再び炎の矢をつがえてレリエルに向けた。
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