進化の卵  
4章「争乱の天使」
 
 
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4-12


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 エレベーターホールに向かう途中、見覚えのある精悍な顔立ちの天使は、ティファイリエルに、自分はレグザだと名乗った。そして、他の三人を次々に指差して、
「こいつはアルク、そっちがティグ、それからイスタ」
 と、それぞれを紹介した。
「ティファイリエルです。よろしくお願いします」
 ティファイリエルは、歩きながらも、律儀に全員に軽く会釈した。誰が天上ではどの地位にあったのかはわからないが、地上は彼らの領域と言ってもいいし、全員が身につけている黒弓の扱いに関しては、ティファイリエルは、自分は遠く及ばないことをよく承知していた。
 ティファイリエルの低姿勢な態度が、好印象を与えたのかもしれない。レグザの後ろを歩いていた、ティグと紹介されたベリーショートの女天使が、ティファイリエルを振り返り、少し口元を緩めた。
「そんなに緊張しなくて大丈夫ですよ。ルーダはあれで中々素早いから。簡単に奪われやしませんよ」
「だと、いいんですけど」
「まぁ、絶対という保証はないですけどね。そんなにガチガチにならない方がいいですよ」
 自分の緊張は、傍目から見てもそんなにも明らかなのだろうか。ティファイリエルは、ちょっと無理して微笑み、ティグに頷いた。
「そうします」
 そしてエレベーターホールに足を踏み入れたティファイリエル達は、全員がほぼ一斉にそれを見た。
 エレベーターの扉の上、上昇を示すオレンジ色のランプが瞬いている。
 ティファイリエルは、跳ねあがった心臓を服の上から宥めるように、胸に手をあてた。
「上がってくるぞ」
 レグザが言った。その隣で、アルクが肩の長弓に触れながら尋ねる。
「ルーダか?」
「わからん。だが、構えておけ」
 レグザが命ずると、狩人の天使達は一斉に弓を構え、反対の手で炎の矢をつがえた。
 ティファイリエルは少し下がって、立ち尽くしていた。今日、ひどく久しぶりに炎を放ったが、まだ、炎を生みだすことには少し違和感がある。思ったように飛ばす自信もない。一先ず、足手まといにならないよう、様子を見たいと思った。エレベーターの中にいるのが、攻撃体勢を整えた地天使達だったとしたら、そうは言っても攻撃に加わることになるだろうが。
 それでも、もうすぐ最上階に辿りつこうとしているエレベーターの中にいるのが誰なのか判明するまでは、下手な真似をしない方がいいだろうと思った。
 上がってくるオレンジ色の光を見つめていると、時間が奇妙に引き延ばされたような感覚を覚える。やわらかい飴を、手で捻り伸ばすような時間をかけて昇ってきたエレベーターが、最上階に辿りつき、ピン、と空気が張り詰める。
 ティファイリエルは無意識の内に、口の中に湧きでた唾を飲みこんだ。
 扉の隙間から、真ん前に立つ黒い人影が見えた。その大きさは、長身のルーダのものとよく似ていた。
 誰かが言った。
「一人じゃない」
 ティファイリエルは両目を眇めてもう一度よく見た。扉は更に開き、ルーダの腕の中にもう一つの細い人影が見えた。
 と思うと、扉が二人の体の幅よりも大きく開き、扉に寄り掛かっていたらしい二人が、崩れ折れるように倒れこんできた。
 そしてそのまま、エレベーターホールの床に、折り重なって倒れた。
 上になったルーダの背中の真ん中から、濡れ色に光る黒壇の弓が突きでている。
 また、誰かの声が聞こえた。
「死んでるのか?」
(死んでる? 誰が?)
 ティファイリエルは目をしばたたかせた。ルーダとその下敷きになったもう一人はピクリとも動かない。ティファイリエルも、痺れたように体が動かなかった。
「下は、誰だ?」
 呟くように言ったのは誰だったか。
「それより、エレベーターを!」
 最初に我に返ったのは、レグザだった。レグザの声に、アルクが弾かれたように走りだし、倒れこんだ二人の体を跨ぎ越えて、エレベーター内に入った。
 そしてすぐに、パネルが外れたままになっている操作盤に指を躍らせ、エレベーターを停止させた。
 エレベーター内には、炎の矢に焼かれたのだろう。黒く焦げた箇所が幾つかあった。床には血の痕や焼け焦げた黒い塊もある。
「止めた」
 アルクが声をあげると、レグザはゆっくりと倒れた二人に近づき、屈みこんで、ルーダの体を押し退けた。ルーダの左肩には、矢が刺さったらしい傷痕が生々しく残っていた。
「シェラだ」
 ルーダの体を除けて、その下敷きになっていた相手を確認したレグザが、ボソリとその名を告げた。レグザの声音には、意外そうな、それでいてどこか、最初からわかっていたかのような響きがあった。
 シェラの細い首には、くっきりと赤い手形が二つ浮きでている。おそらく、その手形は、ルーダの手の形とピッタリ一致するのだろう。
「シェラ? あの?」
「本当か?」
 それを聞いたティグとイスタも、驚きを隠せない様子で二人に歩み寄る。 ただ一人、ティファイリエルだけがその場に立ち尽くしていた。
「シェラがとうとうルーダを殺したってわけ? 反対か?」
「なにもこんな時に心中することないのに」
「今更どうでもいいことだ。それより長に報告してこよう」
 レグザはあっさりと二人に興味を無くし、エレベーター内のアルクにだけ、この場に留まるように言うと、他の二人を促した。
 ティファイリエルは、レグザたちが床に倒れ伏したルーダたちの傍を離れると、ようやくパチリと瞬きして、反対に、倒れた二人の方に足を踏みだした。
「戻りますよ」
 と、ティグがかけた声も耳に入らないようだ。
 ティファイリエルは、シェラの鳩尾の上辺りに片手を残し、レグザによって床に押し退けられたルーダの、目を閉じたままの横顔に、視線を落とした。
 その表情に苦痛や無念はなく、ひどく穏やかで幸せそうですらあった。
 ティファイリエルの唇の間から、ポツリと小さな呟きが漏れた。
「不公平だ」
 その声は小さすぎて、少し先でティファイリエルの名を呼びながら待っているレグザ達には届かなかった。ティファイリエルの独白を聞いていたのは、物言わぬ二人だけだ。
 ティファイリエルは紙のような無表情で、更に呟いた。
「あなたは、ぼくが殺したかったのに……」




   
         
 
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