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進化の卵  
4章「争乱の天使」
 
 
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4-10


 サキは、控えの間を出ると、吹き抜きになった聖堂を取り囲む部屋の一つ一つを、順番に、耳を澄ませて中の様子を探り、それらしき気配があれば、思い切って扉を開けてみることを繰り返しながら進んでいった。
 中の天使になんの用か問われた時には、羽のない自分の姿を確認させるような間も空けず、すぐさま間違えたと謝罪して扉を閉めた。その内、どこかで引き止められて、誤魔化しようもなくなるかもしれないが、他に方法がない以上、どうしようもなかった。
 コの字型の廊下を歩き、二つ目の角を曲がったサキは、遠く、隅の部屋の扉が開くのを見て、慌てて身を引いた。
 こちらに来るだろうか。身を隠すもののない廊下ですれ違えば、さすがに誰もが持つものを背中に持たない自分の姿を見咎められてしまうだろう。
 サキは、もう一度、そっと角から相手の様子を窺った。
 その天使は、かなり足早にこちらに向かってくる。その顔立ちがなんとなくわかりはじめる頃まで近づくと、サキは思わず声をあげそうになった。
「!」
 口元を両手で抑え、声を飲み込む。
(あれは、さっきの)
 それは、ザファイリエルと共にいた天使、多良太の腕を掴んで連れ去った、あの天使、ラグエルだった。
 サキは、急いで近くの扉、中になんの気配も物音もしなかった部屋の扉を開け、素早く中に滑りこんだ。
 誰もいない部屋の中は、灯りもなく、暗い。扉にピッタリと片耳を押し当て、廊下の様子を窺った。
 足音が近づく。
 それにつれて、サキの心臓も鼓動を早めた。
 足音は、サキが身を潜める部屋の前まで来て、そのまま通り過ぎ、どんどん遠ざかって聞こえなくなった。
 サキは、ホッと、いつの間にか止めていた息を吐きだし、気持ちを落ち着けるために、数回、深呼吸をした。
 扉を開けて、ラグエルの後を追った方がいいだろうか。それとも、ラグエルが出てきた部屋を確認しにいった方がいいだろうか。数瞬迷い、サキは出てきた部屋を見にいくことにした。もしかしたら、そこに多良太がいるかもしれないと思ったからだ。
 サキは、もう一度外の様子に耳を澄ませ、それからそっと扉を押し開けて、近くに誰もいないことを確認すると、走りだす寸前の速さで、ラグエルが出てきた廊下の端を目指した。多良太がいるかもしれないと思うと、自然と足が早まった。
 同時に、会いたくはないが、ザファイリエルもいるかもしれないとは思っていた。
 いたら、なんて言おうか。
 多良太とルーァを失うことに比べたら、ザファイリエルを恐れる気持ちなど、取るに足らないことだけれど、なにもできないまま、むざむざと殺されるような羽目に陥るのは嫌だ。
 なんとかうまく、多良太を救いだす言い方はないだろうか。
 悩んで答えのでないまま、その部屋に足を踏み入れたサキは、その悩みが杞憂だったことを知った。


 扉を開けた途端、異様な臭気が鼻をついた。焦げた肉と繊維の臭いだ。
 その臭いの源を探る前に、幾つものモニターの並ぶ部屋の様子に目を見張り、そして吸い寄せられるように視界に入りこんだものに、サキは瞬きを忘れて凍りついた。
 焼け焦げて見るも無惨なそれは、確かにあの天使。その姿を目にしただけで恐怖に凍りついた、宇宙の闇のような熾天使。
(なにがあったの?)
 ついさっき、足早にこの部屋から出てきたラグエルは、ザファイリエルのこの有様を見て、急ぎ誰かを呼びに行ったのだろうか。
 その時、完全に死んでいると思っていたザファイリエルから、喉の奥に絡んだ塊を吐きだすような音が聞こえた。
 サキは、ビクッとして、一歩後退った。
 それから、恐る恐るザファイリエルの虚ろな黒い顔を覗きこんだ。
 底のない空洞のようだったザファイリエルの瞳に、意識の煌めきが宿った気がして、サキはそっと、囁くように名を呼んだ。
 ヒュー、ヒューと隙間風のような音がそれに答え、サキは信じられない想いで、焼け焦げたザファイリエルの側に跪き、更に顔を近づけた。
「無事、なの?」
「……無事とは、いえないな」
 掠れた弱々しい声だったが、それは確かにザファイリエルの声だった。
「一体なにが……?」
 問いかけるサキに、ザファイリエルはようやく、サキの正体に気付いたようだった。
「お前か」
 囁くように呟き、それからまた暫く、ゼイゼイと苦しげな呼吸を繰り返す。
「なにが?」
 あったのかと、再び尋ねたサキを、時折光を失う黒い瞳で見遣り、ザファイリエルは聞き取りにくい掠れ声で、途切れ途切れに答えた。
「一足早く、滅ぶ前に、あいつの念願を、叶えてやった、だけだ」
「あいつって?」
「私を、殺したくて、仕方なかった、ようだからな。どうせ滅ぶ身、最期にそのくらいのこと、してやったところで、たいしたことはない」
「わざと、殺されようとしたの?」
 サキは信じ難い想いで、ザファイリエルを見下ろした。
「相打ちがよかったんだがな。意外とタフだ。このままだと、サフィリエルもまんまと殺されることになるかもな」
 なんてことないように吐きだされた言葉に、サキは頭を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
「サフィリエルを殺す!?」
「折角孵ろうとしている卵ごと、燃やし尽くす気かもしれないな」
 ザファイリエルにはもう、サキの声も届いていないのかもしれない。不可視の領域を見つめているような、そんな様子で、一人呟き続ける。
「だが、例え今、集積場の全ての卵を燃やし尽くしたところで、最早、進化は止められない。最初の一つが孵るということは、そういうことだ。あいつには、理解できないのかもしれないがな」
「サフィリエルを殺すって、どういうこと?! 多良太は? 多良太はどこにいるの!?」
 ブツブツと呟き続けるザファイリエルの声が、どこか眠たげで途切れがちになり、サキは、あんなに恐れていた相手に、強い調子で問いかけた。
 だが、ザファイリエルにその声は届いていないようだ。
 ザファイリエルは最後に、
「進化は、止められない。滅びは、すぐそこだ」
 囁くように告げて、コトリと目を閉じた。
「待ってよ! サフィリエルをどうする気? 多良太はどこにいるの?」
 サキは、ザファイリエルの肩を揺すって必死に尋ねたが、ザファイリエルが再び目を開けることはなかった。
「サフィリエルを殺す?」
 信じたくはないが、確かにそう言った。
 誰が?
 サキの脳裏に、足早に歩き去ったラグエルの姿が過ぎる。
 ふと顔をあげ、数あるモニターの中から、唯一の場所を見つけた。
 真っ白な世界で、ただ一つの暗い色。卵の眠るスリープカプセルの前に跪き、なにか操作している。


「折角孵りかけた卵ごと、燃やし尽くす気かもしれないな」


 ザファイリエルの言葉が蘇る。
(サフィリエルは、ルーァは、あそこの卵をみんな孵そうとしているの? どうして?)
 首を捻り、すぐにそれどころじゃないと立ち上がった。
 ラグエルが、サフィリエルを殺す気で集積場に向かったのなら、もうかなりの差をつけられている。
「急がなくちゃ」
 自分にはなんの力もないけれど、このまま放っておくわけにはいかない。
 多良太のことも気になるが、サフィリエルが今正に、殺されようとしているのなら、なんとかしてそれを防がなければ。
 サキは、床に倒れたザファイリエルには目もくれずに、部屋を飛びだし、走りだした。





   
         
 
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