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様子を見に行くと言い残し、ルーダが部屋を出ていくと、アシェは改めてレリエルを見遣った。
レリエルは、無意識だろうか、右手を胸の真ん中にやり、そこにある拳大の膨らみをそっと押さえていた。なにを首から下げているのか、聞いてみようかとも思ったが、止めた。余計なことを聞いて、レリエルの不興を買うのは得策ではないだろう。今度のことがこちらの思う方向で終結すれば、全ての卵と多くの天使を焼き払うのを、外ならぬ自分が指揮することを約束してくれたというのに、レリエルの意に反した言動で、それを他の誰かに奪われるのは願い下げだった。
だからアシェは、それはなにかと尋ねる代わりに、
「申し訳ありませんが、あれが戻ってくる間、少しこちらでお待ち下さい」
とだけ言うに留めた。レリエルは、
「ああ、うん」
曖昧に頷いて、ゆっくりと他の下天使達を振り返った。
「そういう事みたいだから、待ってようか」
レリエルがのんびりと言うと、ラミエルは苛立ちと焦燥を隠しきれない様子で口を開いた。
「私達が襲われたのは、事実じゃありませんか! そんな暢気なことを言っている場合なんですか!?」
語気荒く言うラミエルに、ハマエルが冷静に口を添えた。
「戦争はもう始まっていると見做して、いいと思いますけどね」
「でも、ここまで辿り着くには、あのエレベーターを使うしかないんだよね」
ティファイリエルは、先刻ルーダが向かったエレベーターの方を不安げに一瞥して言った。
「階段は?」
大概、ビルにはエレベーターの他にも階段がどこかについているはずだ。例え普段は使われることがないとしても。不安そうに尋ねたシグフェルに、アシェがぞんざいに答えた。
「この最上階に通じるものはない。一階からの直通エレベーターを使う以外、空を飛べない者では辿り着くことはできない」
レリエル以外の者に対しては、敬語を使う気も丁重な態度を取る気もないようだ。天上では座天使の地位にあったアシェは、この場ではレリエルに次ぐ階級なのだから、それも当然かもしれない。
ラドキエルはアシェの言葉に頷き、レリエルを見遣った。
「つまり、地天使共がここまでやって来るには、そのエレベーターを奪うしかないってことだな。レリエル様、エレベーターホールに人員を配置しておいた方がいいのではないですか?」
「そうだねぇ、じゃあアルシェレイムのところから何人かと、こっちからは……」
「ぼくが行きます!」
レリエルが誰か指名する前に、ティファイリエルが勢い込んで言った。
迎撃部隊に指名するのなら、ラドキエルかハマエルを考えていたレリエルだったが、ティファイリエルの大きな黒い瞳に宿った、縋りつくような色に、わかったと頷いた。
「じゃあ、アルシェレイム、そっちから何人かつけてくれる?」
「わかりました」
アシェは頷き、ティファイリエルを促した。
アシェの後について灰色の通路を進み、ティファイリエルは、開け放たれた一室まで案内された。そこには、狩人の黒装束に身を包んだ、数人の狩人達がいた。
アシェの姿に、ざわついていたのが静まり、全員の視線がアシェとその後ろのティファイリエルに注がれる。
「何人か、エレベーターが奪われた場合に備えて、ホールに待機してもらう。志願者は?」
アシェの問い掛けに、全員がほぼ同時に自分がと名乗りをあげた。皆、戦いの場に身を置くことを、待ち詫びていたのだろう。
「では、お前とお前とそれからお前とお前」
アシェは、無造作に四名を指名し、背後のティファイリエルを目線で示した。
「こっちと一緒にホールで待機していろ。今、ルーダが様子を見に行っているはずだ」
「もし、既に反対派の連中が乗り込んでいたら、殺していいんですよね」
指名された中の一人、ベリーショートの女天使の問いに、アシェが頷く。
「無論だ」
その返答に、指名された四人の顔に満足げな、期待に満ちた表情が浮かび、それ以外の天使は羨望の眼差しを向けた。
「ルーダが一人で戻ってきたら?」
そう尋ねたのは、先程ルーダがこの部屋に立ち寄った際に言葉を交わした天使、レグザだった。彼もまた、選ばれた四人の中に入っていた。
「そのままロックして、奴らに使わせないようにしておけ」
「わかりました。よし、行こう」
レグザは他の三人の狩人天使を促し、部屋の外で待つティファイリエルにも目で頷きかけた。
ティファイリエルはそれに、ひどく真剣な顔で頷いた。なにか思い詰めたような目だった。
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狩人の塔の玄関ホールでは、どうやら地天使達のグループが優勢のようだった。
(いける……!)
アイカは赤く燃える炎の矢で、また一人、額の真ん中を撃ち抜きながら、胸の内で呟いた。
呼び寄せた増援に、狩人の天使は含まれてはいなかったから、攻撃力の増強はできなかったが、標的や盾としての使い途なら、充分にあった。大挙して押し寄せた増援に怯み、気を取られている隙に、随分多くを仕留めたお陰で、今残っているのは、僅か一握り。その残りも、追い詰められて後がない状態だ。
気掛かりなのは、最上階に通じる唯一の道、シェラが飛び込んでいった直通エレベーターが未だ戻ってこないことだけだった。
(失敗したのかね)
アイカは少し眉をひそめた。
エレベーターはシェラが乗り込んですぐに上昇を始め、今は最上階に止まったまま動かない。
上には、まだ多くのアシェ派の下天使狩人達が残っているはず。エレベーターを奪えなければ、こちらから攻撃を仕掛けるのは難しくなる。この後の攻撃のタイミングが相手主導では、折角この玄関ホールでの戦いに勝利しても、あっさりと形勢逆転されかねない。
と、その時、投降を促す声が聞こえた。見れば、ファルを含む僅か五名が壁際で周りをぐるりと取り囲まれている。
もう諦めて大人しく投降したらどうだと言っているのはセルドだ。アイカは、その呼び掛けにちょっと笑った。
(答えは決まっているだろうにね)
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