進化の卵  
4章「争乱の天使」
 
 
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4-2


「やつらを見たかい?」
 黒いカーリーヘアを揺らして駆け寄りながら尋ねたのは、アイカだった。
 シェラは、塔の高みを指差して答えた。
「少し前に最上階から中に入ったわ」
 シェラの答えに、アイカの顔が忌々しげに歪む。
「なら、こっちの動きはもうバレたね」
「そうね、予定通り、先ずは直通エレベーターをこっちで押さえないと。あの女は落ちたの?」
「あと少しだったよ。他の一匹を誰かが射落とした瞬間に、あいつが振り向きさえしなきゃね。まぁ、今更言っても仕方ない。とにかく、行こう」
 アイカが促すと同時に、シェラは踵を返し、狩人の塔と呼ばれるビル内に駆け込んでいった。アイカと共にやってきた、ナスラやキリカを含む他の狩人の天使達と地上の天使達、それから、シェラの嘲りを受けて怒りに拳を固めていたイスラも、拳をほどき、すぐ後に続いた。


 一階にある広々とした玄関ホールは、まるで狩りの始まる直前のようだった。
 いつもは、隅にあるちょっとしたラウンジのような場所に、数人、誰か話をしているかいないかくらいしか人気がないというのに、今は、数人ずつのグループが幾つか、ホールのあちこちにできていた。お互いがお互いを監視し、牽制し合うように、別のグループを盗み見ては、小声でなにか囁き交わしている。
 張り詰めた空気が、冷たい熱を帯びているのが、目に見えるようだった。
 そこに、アイカを先頭にした一団が駆け込んできた瞬間、ホール内の緊張の糸が、音をたてて弾け飛ぶのを、その場にいた誰もが感じた。
「アイカ!」
 六基あるエレベーターに程近い場所を占めた集団から、よく通る若い男の声が響き渡る。アイカはその場に立ち止まると、黒い皮手袋をはめた右手を、人差し指を突きたてた形で高々とあげて、それに応えた。
 それが、合図だったのだろう。
 アイカに声をかけた天使を含む集団が、一斉に腰や肩にかけられた黒檀の弓を手にした。
 と、それに呼応して、次々にホール内の天使たちが自らの武器を構える。
 エレベーター近くには、アイカが応えたのとは違う、もう一つの集団があり、互いに狩人の弓を構えた途端、二つの集団はハッキリと敵対する形で対峙した。
 お互いに、左端にある最上階直通エレベーターを掌握することが、最優先事項だということはわかりきっていた。
 全ての矢は、エレベーター程近くで対峙する二つの集団に向けられていた。
「同じ狩人同士、なぜ敵対しなければならないんだろうね、セルド?」
 張り詰めた空気を裂いて、そう声を発したのは、入口から見て右側の集団内にいた、髪の長い女天使だった。
 後ろの髪をそのままゆるやかに背中に垂らし、横の髪は捩じるようにして後ろでまとめ、そこに丸いオニキスの飾りのついた簪を挿している。光沢のある、太股まで深く切れ込んだワンピースドレスを身につけ、狩りの時のようなマントを羽織っていた。地上にはない太陽で灼けた琥珀色の肌はなめらかで、赤い唇は艶やかだった。
 名前を呼ばれ、それに答えたのは、アイカに声をかけたのと同じ、もう一方の集団にいた背の高い男の天使だった。
 彼に声をかけた女天使とは対照的に、一度も陽の光を浴びたことのない肌は陶器のように白く、濡れたような黒い髪をしていた。背が高い割には細身だが、背筋はスッと伸び、引き締まった体は均整が取れている。
「今更愚問だな、ファル。天上の秩序だのと、勝手な押し付けは必要ない」
「元々は皆、天上から下りてきたんだよ? 進化の卵が孵化すれば、天上も地上も関係ないでしょう。それがわからないの?」
「管理されるのはゴメンだ。元々など知るか。地上で生まれた者も既に多いんだ。進化の卵だと? そんなもの、本当にあるのかも疑わしい。もし、実際にあったとしても、殺せばいいだけだろう、全部」
「それが可能だという保証はないよ」
「不可能だという確証もな」
「平行線だねぇ」
 ファルは、少し白々しくため息をついた。
「今更だ。ここまできて、和解など有り得ない」
「どうやら、そうみたいだね」
「生き残った方が主張すればいい。それだけだ」
「わかったよ。そうしよう」
 ファルの言葉と同時に、至近距離から、相手集団へと炎の矢が放たれた。
 それと共に、エレベーター近くの二組に向かって、遠くの集団からも、炎の矢が射られる。それを阻止しようとする者、援護する者、あらゆる場所から次々に生みだされては放たれる炎に、ホール内は、あっという間に大混乱となった。


 シェラは、その混乱の中、目指すエレベーターが、最上階から一階へと降りていくことを示す、オレンジ色のランプを明滅させていることに気付いた。
(誰か、降りてくる)
「アイカ」
 傍らで炎の矢を放つアイカに向けて、周囲の喧騒に負けないよう、シェラは少し声を張り上げた。
「なんだい?」
 アイカは、シェラを振り向きもせずに答えた。その手から、風を切って炎の矢が放たれる。
「エレベーターが降りてくるわ」
「なんだって?」
 思わずシェラを振り返り、アイカはすぐに下降中のランプに視線を転じた。
「本当だ。誰だか知らないが、チャンスじゃないか。あれを押さえないとね」
「あたしが行くわ。援護して」
「わかった。頼んだよ」
 アイカが頷くと同時に、シェラは、腰の弓を構え、右手に炎を掴んで、走った。背後で、アイカが早朝の襲撃班の面々に怒鳴りつけるように叫ぶのを聞いた。
「シェラがエレベーターを押さえに行く。全員で援護しな!」
 それから続けざまに、狩人ではない、地上天使達にこう命ずるのを。
「あんたたちは、今すぐ援軍を呼んできな。待機してるはずだろ」
 彼らが援軍を呼べば、この狩人の塔だけでなく、地上の都市全体で下天使と地天使の戦いがはじまるだろう。
 誰にも、止めることのできない戦いが。


 シェラが目指す、左端の最上階直通エレベーターの近辺は、もっとも騒然としていた。
 放たれた炎に射られ、その身を焦がしてのたうち回る天使。薄紅の血だまりをつくって、倒れ伏した天使。最初にいた二つの集団は、周囲からの集中攻撃に、既に殆どが炎の矢に焼かれて、動かなくなっていた。
 だが、言葉を交わした二人の天使は、他の天使に守られる形で、壁際の柱の影にまで下がってきていた。
 その他の場所でも、激しい射ち合いに、次々と天使たちが倒れていっていた。
 シェラは走りながら、目の端で自分を狙う気配を感じれば、相手が矢を放つより早く的確に相手を射抜き、行く手を遮る者があれば、大輪の花のような炎で射抜いた。薄氷の上を駆け抜けるような、このギリギリ感が心地よかった。
 そして今、エレベーター前に、立っている天使は一人もいない。
 オレンジのランプが、一階を示す場所で点灯し、エレベーターのドアが、開いた。





   
         
 
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