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黒い翼を背にした下天使達が三階まで昇りきった時には、進める場所は殆どなくなっていた。
絶えず打ち込まれる炎の矢が、そこかしこで燃えている。いつも少し涼しい地上が、今ばかりは燃える炎でジリリと暑い。
幸い、彼らのいる階段は、十字になった建物の交差する中心に位置しているため、直接炎の矢を射込まれる可能性は殆どない。だが、次々と飛び込んでくる炎の矢に囲まれて、完全に閉じ込められるのも時間の問題だろう。
「くそ、思った以上にマズイな」
ラドキエルが盛大に舌打ちすると、ティファイリエルも周囲を見渡し、飼い主に置いていかれて途方に暮れる子犬のように首を振った。
「バラけるのも難しそうだね。使える窓が殆どないよ。出て行けそうなのは、あの辺だけみたいだけど……」
ティファイリエルの指し示す先には、階段から少し離れた、未だ炎の矢でガラスを割られていない、三メートルほどの空間があった。砂漠の中のオアシスのように、そこだけがぽっかりと開かれた様に、ラミエルは目を眇めて忌々しげに唇を歪めた。
「まぁ、罠、ね。飛びだした途端に狙い撃ちだわ」
「じゃあ、どうしたら?」
シグフェルは、不安を隠しきれずに、辺りを見回した。周囲で燃える炎が、ジリジリと迫ってきている。
「罠でもなんでも、他に道はないんだ。強行突破でしょ」
ハマエルは相変わらず自信たっぷりで、どこか楽しそうだ。それを苦々しく思いながらも、今この時ばかりは、その自信過剰な態度を少しありがたいと感じていたラミエルは、一度、ぎゅっと眉根を寄せ、
「そうね。威嚇射撃の後に一斉に飛びだして、外の奴等を惹きつけてる間に、レリエル様に無事脱出してもらうのが一番いいかもしれないわね。レリエル様、それでいいですよね?」
確かめるようにレリエルの顔を窺った。当然、レリエルの同意を得られると思ってのことだったが、レリエルは針のように真っ直ぐな黒髪を揺らして、静かに首を振った。
「無謀すぎるよ」
「ですが、他に道は……!」
ない、と言いかけたラミエルを、レリエルはのんびりと遮った。
「一つ、あるよ」
「え!? ど、どこです?」
この場から逃れる安全な道が、まだ残されているのかもしれないと知って、シグフェルが勢い込んで尋ねた。
レリエルは、ちょっと微笑んで、指差した。
「上」
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「ホラホラ、早く出てらっしゃいよ、そのままだと焼け死ぬだけよ」
次々と左手に生みだす炎の矢で、建物の三階部分の窓を集中的に射抜きながら、少女の姿をした狩人の天使が歌うように言った。
太股の半ばまでしかない胸元が大きく切れ込んだノースリーブのワンピースに、革の首輪、ガーター付のニーソックス。ぽっこりしたエナメルの靴を履いて、肘まである皮の手袋を嵌めたその天使の名前は、キリカ・朱那(シュナ)。
キリカは、笑いながら、歌いながら、次々と矢を放つ。
その左右に並んだ地上の天使達も懸命に矢を射るが、三階まで到達する前に弱々しく失墜して、無駄に地面を焦がしたり、あるいは狙いを逸れて一階や二階の窓から中に飛びこんだり、壁に跳ね返って火花を散らしたりしている。
キリカの矢は、比較的小さな炎だったが、次から次からへと素早く生みだして解き放つことに関しては、他の狩人達の中でも群を抜いていた。
キリカが矢を放つ度、背中の半ばまで伸ばした髪が一つの生き物のように宙を舞い、窓ガラスが割れる甲高い音が響く。
「そのまま燃えてくだけなの? それだけなの?」
嘲笑いながら、中にいるはずの下天使たちに呼びかける。
その時、
光が─――――
白く輝く光の柱が、暗い空を貫いた。
「なに!?」
常に厚い雲に覆われた地上の天使は、闇を透かし見ることには慣れている。だが、こんなに眩い光は、見たことがない。
視界を灼かれて、キリカは片手で顔を覆いながらよろめいた。途端、足元の石塊に踵がかかって尻餅をつく。
と、地べたに座りこんだ自分にカッとなり、キリカは、眩しさにも構わず、反射的に光の源を睨みつけた。
光は、既に凝視に耐えられるほどに弱まり、キリカは見た。
光の柱が立ち上ったその場所から、黒い影が幾つも飛びだし、螺旋を描くように旋回して空へと向かうのを。
そして、回りながら空を目指す黒い影から、赤い炎が降り注ぐのを。
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「あれは……!」
咄嗟に目を眇め、アイカは光の柱を見た。
焼け焦げた臭いを撒き散らして燃える黒い建物の中心から、白い光。 そして、飛びだす黒い影達。
「奴等だ。遂に出たよ……!」
振り返って地上の天使達を見やると、全員が顔を覆ったり、その場にへたりこんだりしたまま、アイカの言葉など耳に入らないようだ。
(本当に役立たずだね)
腹立たしく諦めのため息をついて、隣に視線を転じれば、ナスラまでもが呆然とその光景に見入っている。
「ぼーっとしてる場合じゃないだろ! 奴等が逃げるよ!」
アイカの叱責にハッとして振り向き、ナスラは一瞬、そんな自分に驚いたような顔をしたものの、再び光の柱とそこから現れた幾つもの影に目を向け、なにも言わずに左手に炎を生んだ。そしてアイカもまた、左に炎を点す。
ナスラとアイカが弓矢を引き絞り、高みを目指す黒い影、下天使達に狙いを定めた時、旋回する下天使達から降り注いだ炎に、瞬間、動きが止まった。
が、それが矢として放たれたものではなく、ただ徒に、炎を上から投げつけているだけと気付くと、小馬鹿にするように唇を歪め、その手の矢を放った。
ヒュン、
風を切り裂いて、炎の矢が伸びる。 あと少し、のところで、下天使の一人を掠めて、暗い空に消えた。だが、まだ次がある。
(!?)
その時、アイカは気付いた。
螺旋を描く黒い天使たちの中心。暗灰色の雲の天蓋を目がけ、まっしぐらに昇る人影。
更に目を凝らせば、その背には、小さめではあるものの、大きな主翼の他に副翼がもう一対。合わせて四枚の羽がある。
(あいつだ!)
アイカは、下天使達が描く螺旋の中心に、狙いを定めた。
周囲を飛び交う下天使の盾を擦り抜け、その中心を射抜くチャンスは、おそらく一度きり。天空を目指すあの早さなら、次には自分の弓の射程距離を逃れてしまうだろう。ナスラのような長弓ならば、もう少し遠くまで届くだろうが、目の前で最大の獲物を奪われるのはゴメンだ。今日は既に、射抜くべき相手を一人、横取りされているのだ。そんなのは一度きりでいい。
アイカはタイミングを計り、引き絞った弓に全てを注ぎこむ。
その間にも、一度はその光景に動きを止められていた地上からの攻撃が再開され、建物を取り囲んだ狩人達が放つ炎の矢が、旋回する下天使の群れへと伸びていった。
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