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暗灰色の雲に覆われ、昼尚暗い灰色の都市。
十字架を模った、朽ちかけて汚れたコンクリートの建物の中。
ティファイリエルは、レリエルが最初に通された部屋で、ラミエルの苛立った視線を受けて、困ったように小首を傾げた。
「どうなってるのって言われても、ぼくはただ、レリエル様の言葉をそのまま伝えただけだよ」
「だけど直接会って言われたのはあなたでしょう!? こんな大事な時に、丸一日姿を消すなんてどういうつもりか、なぜ問い質さなかったの!?」
朝早く、ティファイリエルの個室を訪れたレリエルは、少し青ざめた顔をしていた。なにかあったのかと尋ねたティファイリエルに、
「ちょっと寝不足なだけだよ」
と答え、レリエルは続けて言った。
「悪いんだけど、今日は一日一人にしてくれない? なにがあっても絶対に、扉を開けることも、ノックもしないでもらえないかな」
「どういうことです?」
ラミエルが言ったように、無論、ティファイリエルもレリエルの真意を測りかね、理由を尋ねた。問い質す、とまではいかなかったが、それでも聞かなかったわけではない。
だが、レリエルはティファイリエルの問いなど聞こえなかったかのように、
「頼んだよ、ティファイリエル」
ひどく真剣な眼差しでティファイリエルを見つめ、見たことのないその強い視線に思わずティファイリエルが声を失っていると、更に初めて見るような光を瞳に湛え、静かに念を押した。
「もし、誰かが邪魔をしたら、それが誰であろうとも許さないからね。天上はおろか、地上でも二度と目覚めないと思って」
明らかな脅しに怯えたわけではないが、いつも眠たげで物憂げで投げやりなレリエルとも思えない言動に、ティファイリエルは半ば呆然と頷くことしかできなかった。
ティファイリエルが頷いたのにホッとしたのか、レリエルは表情を緩め、
「じゃ、頼んだからね」
最後にもう一度繰り返し、自分の影を引き摺るようにして立ち去った。
そうして、一度承知してしまったからには、最早全面的にレリエルの意向を叶えることしかできないと、ティファイリエルは思っていた。元々、レリエルとラミエルの意見、どちらに味方するかといえば、それは当然レリエルの方なのだが。
「姿を消すって、別にこの建物の中にはいるんだし」
大袈裟に考えすぎだと、ティファイリエルは微苦笑を浮かべた。だが、ラミエルの苛立ちは、そんなことでは到底治まりようもなかった。
「立て篭もって出てこないなら、姿を消したも同然でしょう!?」
「でも、本当に行方がわからないわけじゃないんだもの。こんな大事な時だからこそ、一人になってじっくり計画を練る必要があるのかもしれないよ」
「一人で計画を立てるからって、そう言ったの!?」
「や、実際に言ったわけじゃないけど……」
「適当なことを!」
ラミエルは顔を顰めて、大きく首を振った。高く複雑な形に結い上げた黒髪が、そんな激しい動きにもまるで乱れないのを、ティファイリエルは思わず感心したように眺めたが、すぐに我に返り、ラミエルをなんとか宥める方法はないものかと頭を巡らせた。
他の下天使たちのことはいい。自分達より下の階級なのだから、ただそう命じればいいだけのことだ。だが、自分と同じ階級にあるラミエルをなんとか納得させないことには、レリエルにあれほど念押しされたにも関わらず、ラミエルが強引にレリエルの部屋の扉を開け放ってしまいかねない。それでラミエルが殺されたとしても、別に胸が痛むわけではないが、今この時、この状況で主要メンバーをたとえ一人でも失うのは避けたい。そしてレリエルの命令を守らせることのできなかった自分が、その後レリエルからどんな目で見られるかと考えると、なんとしてでもラミエルに今日一日を大人しくしていてもらわなければ、と思った。
とはいえ、なんと言って説得すればいいものか。
昨日の狩人の長との会談後、戻って全員を前に語られた内容は、ラミエルにとって喜ばしいものではなかった。一応、折れはしたものの、今の腹立たしげな様子も、昨日の決定への不満も少なからず関係しているに違いない。そのこともあって、ただでさえ気が強く、意固地なところのあるラミエルを説得するのは至難の業に思える。
いっそ、殴りつけて縛りつけてでもレリエルの邪魔をしないようにしようか。
とまで考えたが、自分がラミエルを殴り倒すのもまた、説得するのと同じくらい難しいだろう。身長差のハンデもあるが、一発で失神させでもしない限り、猛り狂った獣のように反撃してくるだろうラミエルの気質が、ティファイリエルには手に負えそうも無い。
(困ったなぁ……)
ため息をつくのを堪えて、胸の内で呟いた。ラミエルはティファイリエルがそんなことをあれこれ考えている間にも、苛立ちを隠そうともせず、なにやら文句を並べたてている。いつの間にかそれは、レリエルの行動だけでなく、ティファイリエルやラグエルなど他の下天使、更には自分を下した天上の上級天使、そして狩人と呼ばれる天使とその他の地天使、下天使全てへの不満や怒りの声に変わっていた。
「聞いているの!?」
ラミエルが、黙ったままのティファイリエルを睨みつける。ティファイリエルは、
「聞いてるよ、もちろん」
と頷き、ラミエルの不満に同意するように眉をひそめた。
一瞬、疑いのまなざしを向けたものの、ラミエルはまたあらゆるものへの不満をティファイリエルにぶつけだし、ティファイリエルはそれに何度か相槌を打ちながら、
(言うだけ言わせて、少し発散させてやった方がいいのかもね。全部言い尽くしたら、少しは落ち着くかもしれないし、その間はレリエル様の邪魔をすることもないだろうしね)
覚悟を決めて、ラミエルが満足するまで付き合ってやることにした。
それにはまだ少し、時間がかかりそうだった。
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