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レリエルを、狩人の塔と呼ばれる高層ビルへ招じる、案内人兼護衛として現れたのは、肩や腰に黒檀の弓を携えた三人の黒い狩人達だった。その中にルーダの姿を認めたティファイリエルは、なんとなく最初からわかっていたような気がして、胸の内でひっそりと、
(ああ、やっぱり)
と呟いていた。
天上のゆったりとした黒い衣装とは違う、肌に張り付くような、露出の多い黒い服装に身を包んだ三人の狩人の真ん中で、半歩前に立ったルーダは、廃屋といってもいい古びた建物の門前で、外に出てきたレリエル、ティファイリエル、そしてラミエルを愛想のいい笑顔で迎えた。
「お会いできて光栄です、レリエル様」
レリエルに会うのは初めてだったが、レリエルと他の天使を見間違えるはずがなかった。レリエルの背中には、ティファイリエルの忠告に従ってか、黒々とした翼がある。その二対の翼は、紛れもなく高位天使の証。ラミエルとティファイリエルの背中には、共に一対の翼があった。
「おいでいただけることになって、なによりです。長の許まで、我々が責任をもって無事にご案内しますから、どうぞご心配なく」
「あー……うん」
レリエルは、どうでもよさそうに頷き、ティファイリエル達をちょっと振り返った。
「ここで待っててもらっていいよ?」
「とんでもない! お供します」
今は普段通り、長い黒髪を花のような複雑な形に結い上げたラミエルが強くかぶりを振り、ティファイリエルもその横で彼女に同意するように頷いた。
「そう? じゃあ、まぁ、行こうか」
気の無い様子でレリエルが促し、ルーダも他の二人を目だけで促した。
「では、ついてきてください。あまり離れないように」
そう言って、ルーダが先頭に立って歩きだす後を、まずレリエルが、次にラミエル、ティファイリエルの順についていった。列の後方を狩人の一人が歩き、もう一人は、レリエルの左隣を、少し離れて歩きだす。
それから、狩人の塔と呼ばれる高層ビルに辿り着くまで、口を開く者はなかった。
「ここです」
ルーダにそう告げられた時、ティファイリエルは胸の内でほっと息をついた。
ここに着くまでの間、狩人の黒い姿を避けながらも、容赦なく突き刺さる地上の天使達の視線に、神経がささくれだっていた。いつどこで襲われるかわからない緊張感に、いつの間にか握り締めていた拳を緩め、ティファイリエルは少しだけ肩の力を抜いたが、正面の黒ずんだガラスの扉を抜けて玄関ホールに入った時、緊張を解くのは少し早すぎたことを知った。
ホールに彼らが足を踏み入れた途端、シン、と水を打ったような静寂が耳を打ち、細く冷たい氷のような緊張の糸が、一気に張り詰めたのを肌で感じた。
その場にいたのはわずか数人程度だったが、射るような視線と、おそらくは怒りや苛立ちといった強い感情が、空間を陽炎のようにゆらめかせるのが目に見えるようだった。
ティファイリエルは、不安に立ち竦みそうになるのを堪え、先を行くレリエル達に目をやった。
すぐ目の前を歩くラミエルの背中は、自分と似たような緊張で、チリついているような気がしたが、その先を行くレリエルは、周囲の空気などまったく気づいていないように、いつも通りに見えた。そして、更に先のルーダもまた、気を抜いてはいないが、臆した様子など微塵もないようだった。
ティファイリエルは、二人のその様子に少しだけ緊張を解き、なんとか自然な様子を装って、いくつかあるエレベーターの内、一番左端のエレベーターのボタンを押して、すぐに開いたその中にルーダが全員を招き入れるのに従うことができた。
エレベーターの扉が閉まった時、思わず洩れたため息は、ティファイリエル一人だけのものではなかった。ルーダは目に見えて緊張していた様子のティファイリエルとラミエルに、チラっと笑みを浮かべ、
「ここまでくれば一先ずは大丈夫ですよ。長がレリエル様と二人きりの面談を望んでいるので、お二人には降りた先の別室でお待ちいただくことになりますけど」
二人の意向を窺うように言った。
ティファイリエルは、とにかくあの緊張感から解放された安堵でいっぱいになっていたので、特に考えることもなく、
「わかりました」
と頷いていた。いつもなら文句の一つもつけそうなラミエルさえ、ただ頷いただけで、後になってティファイリエルは、あのタイミングでその話をしたのは、最初からルーダの策略だったのかもしれないと思った。
狩人の長であるアシェとレリエルの話し合いは、およそ二時間に及んだ。
その間、ティファイリエルとラミエルは、以前は使われない客間、今は作戦指示室として使われている長方形の部屋で、ルーダと他二名の天使たちと共に待った。
その部屋は、作戦指示室として使われることが決まった時に、邪魔な家具は全て片付けられ、ロの字形に並べた安っぽい長机と座るとギシギシ音のする錆びたパイプ椅子、それから、扉の真正面にある壁一面に吊り下げられた染みだらけの白っぽいスクリーンだけが場所を占める、ひどく殺風景な場所に変えられていた。
長机の外側にぐるりと並んだ椅子を二人の狩人が扉の両脇に、ルーダが入って右側の壁際まで運び、そこに腰を下ろすと、ティファイリエルとラミエルも、少し離れた椅子に、ぎこちなく腰をかけた。
少し動いただけで軋む椅子に、ラミエルはひどく不愉快そうに、ティファイリエルもなんだか居心地悪そうに黙って座っていたが、十五分ほどの沈黙の後、重苦しい静寂に耐えかねたように、ティファイリエルが口を開いた。
「あの……」
囁くような声が静まりかえった室内に響き、一斉に視線が集まる。
ティファイリエルは、その視線に身を強張らせ、それでも意を決したように、ルーダに向かって言った。
「あなたは……いえ、あなた方は」
と、とってつけたように他の二人にもチラリと目をやり、またルーダに目をやった。
「地上に下りて、長いんですか?」
「まぁ……長いんでしょうね」
ルーダは扉脇を固める二人に目をやり、二人が軽く頷くと、ティファイリエルに向かって、少し笑った。
「俺なんか、自分が下天使だってことも、最近まで忘れてたくらいですしね」
「じゃあ、天上のことは、殆ど憶えていないんですか?」
「大して」
「そうですか」
呟いて、ティファイリエルはふと目を伏せ、それからまた、ふいに思い出したように尋ねた。
「あの、じゃあ、今から羽をまただしてってことは、無理なんでしょうか」
「無理だと思いますよ」
軽く答えたルーダは、次の瞬間脳裏を過ぎった光景に、意味深長に薄く笑った。
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