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遂に下りてきたことを知らせたのと同様に、その智天使が面会を求めていることを知らせたのも、やはりルーダだった。
狩人同士の間でも、地上天使と下天使の違いで微妙な摩擦や軋轢が生じている今、下天使の代表として地上を統べようと試みたアシェが、天上生まれの下天使を多く身辺に置くようになったのは当然の結果だろう。
下天使であることなど、どうでもいいことと思っていたルーダだったが、それでも下天使に変わりなく、その上、ルーダがアシェの傍近くにいることを、あのシェラが快く思っていないという話を聞いた。それを聞いて、ルーダは敢えて近くに侍るようになっていた。自分の行為がシェラの神経を逆撫でしていると思うと、ゾクゾクする。
(あいつは、怒り狂ってる方がずっと俺好みだしな)
ルーダの報告を、狩人の塔と呼ばれる高層ビルの最上階にある自室で聞いて、アシェはバカにしたように鼻を鳴らした。
「今更、会ってどうするというんだ? こっちの報告は聞いているだろうに。我々の手を借りずとも、智天使様ならたやすく本来の目的を達成できるんじゃないのか?」
自分を無能扱いした下天使たちとそのリーダーである智天使の手並みを、高みの見物といこうかと目論んでいたアシェは、皮肉たっぷりに吐き捨てた。またしても同じようなことを繰り返し聞かれて、改めて無能呼ばわりされるのはゴメンだ。
ルーダは、八つ当たり気味に睨めつけられて、かるく肩を竦めた。
「会ってどうするつもりかは知りませんけど、早急に一度会いたいと言ってるらしいですよ」
「断ったらどうなるかな?」
半ば自分に問いかけるように呟いたアシェに、ルーダはまた少し肩を竦めた。
「それはそれで面白そうですけどね。特にこれといった理由もなく断ったら、後々面倒なことになりませんかね? ま、こっちから出向くんじゃなくて、向こうを呼びつけてみるくらいにしといたらどうです?」
ルーダの言葉に、アシェは一瞬考え込んでから、ゆっくりと頷いた。
「そうだな。それも手だな」
「じゃ、そう伝えておきますよ。日時は向こうでもいいですよね」
アシェが頷くのを見たか見ないかの内に、ルーダはサッと一礼して、その部屋を後にした。
部屋をでると、元は何色だったのか、くすんだ錆色の絨毯が敷かれた廊下がまっすぐに伸びていた。そのまま廊下を進むと、一基だけのエレベーターホールにでる。ルーダはその、一階と最上階を結ぶ直通エレベーターに乗り、軋み唸る箱で地上階へ降りていった。
一階に着き、エレベーターから出ると、広い玄関ホールになっている。
全部で六基あるエレベーターの内、一番左端、最上階直通の専用エレベーターからルーダが降りた途端、ホールにいた狩人の天使達の視線が突き刺さった。好意的なものもあれば、好奇の視線、殺気にさえ近い視線もあった。
ルーダは、殺気の源だけをサッと一瞥すると、あとはなんでもないようにホールを通り抜け、ガラスの扉を押し開けて外へ出た。
外は昼過ぎ。厚い雲に覆われながらも、地上の都市が灰色に浮かびあがっている。
狩人の塔と呼ばれるそのビルは、狩りの時に卵人を狩りたてるのに使う、今は誰も住んでいない廃墟区域の程近くにあり、崩れかけながらも多くが生活する都市の中心からは少し外れていた。
ルーダは、狩り区域の空をチラ、と見やり、あの暗灰色の空に吸い込まれて消えた光の柱を、ふと思い出した。そして、その時に感じていた、腕の中のシェラのぬくもりと重さも。
(あの殺気、あいつのものかと思ったけど、違ったな。あいつだったらよかったのに)
前回、シェラが翼を失ったあの狩りから、未だ別の狩りは行われていない。今、狩り区域の広場では、集められた卵を燃やす、焦げ臭い黒い煙が一日中立ち上ぼっていた。
こんな現状では、近々狩りを開催するのは無理だろうが、今度のことに片がついて、もしまた狩りが行われることがあったら、
(シェラはどうするかな?)
前と同じように、自分を側に置いて狩りをすることを許すだろうか。
あの日からこっち、ずっと避けられているのは知っている。以前も、愛想がいいとはいえなかったし、気軽に触れることさえ拒まれていたが、今はルーダと目を合わせること、姿を見ることさえ避けているようだった。
それが、あのままだったら出血多量で死んでいたところをルーダに救われた、ということに対して負い目を感じるからだとしたら、自分はシェラの弱味になったのかな、と思う。
(だとしたら、賭けは俺の勝ちだよな)
だが、それが嬉しいのかどうかは、なんともいえなかった。
あちこちがヒビ割れ、傾いた歩きにくい道も、慣れてしまえばどうということもない。
ルーダは危なげのない足取りで、都市の中心部へ向かって歩いていた。
正確には、中心部を目指していたわけではない。中心部へ向かう途中にある、円形の広場が目的地だった。
広場の中央には、水晶の柱のような黒いオベリスクとそれを囲む枯れた花壇があった。
花壇の縁石には、まだ歳若い天使が一人、腰を掛けていた。ルーダは当然のように、狩人として上下共黒一色にまとめていたが、その天使は、下は黒っぽいスリムパンツ、上は今にも雨が降り出しそうな空のような灰青色のシャツを着ていた。一般的な地上の天使の、無闇に派手で華美な服装とは明らかに一線を画した地味な色合いは、未だ地上の色彩に馴染んでいないようだった。
真っ赤な皮のジャケットを羽織ったり、紫でパイピングされた白のスーツで身を包んだり、目が痛くなるような虹色のワンピースを着た天使達が、通りすがりに奇異な目を向けていることに、彼は気づいているのか。前方にあるビルの、屋上の黒いフェンスが歪んで骨のようにぶらさがっているのを、ただぼんやりと眺めている。
まだ完成されていないその横顔に、記憶の一部が疼くような気がして、ルーダは内心、首を傾げた。
(どこかで、見たような感じなんだよな。けど、まだあの見た目なら、俺が上にいた頃は、ほんのガキか生まれてもいないしな)
そんなことを考えるともなしに考えながら近づくルーダに気づくと、周囲の天使たちは一様に緊張と不安を浮かべて、少しでも早く彼から遠ざかろうと足早に去っていった。狩人には、近づかないに限る、ということなのだろう。
花壇の縁石に腰掛けていたその天使が、ふと、ルーダの方を振り向いた。
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