進化の卵  
2章「暗黒の天使」
 
 
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2-10


「なるほどね」
 自分を見下ろす一人一人に目を向けたレリエルは、かすかに疲れた笑みを浮かべた。
「現況はよくわかったよ。それで? 皆の意見は? なにか打開策はあると思う?」
 レリエルの問いかけに最初に反応したのは、レリエルから見て一番右端に立っていたハマエルだった。
「戦争しかないでしょ」
 陽気な口調で口にされた言葉に、ラミエルの顔に苛立ちが、クシフェルの顔に緊張が、ティファイリエルの顔に面白がるような表情が浮かぶ。
「それは極論に過ぎると言ったでしょう」
 ラミエルが腹立たしげに叱責する。レリエルが下天する前にも一度、ハマエルは皆の前で「残された道は戦争しかない」という意見を呈したことがあったが、その時もラミエルに強く退けられてた。ラミエルは確かに自分より上位の天使。だが、それよりも上位の天使であるレリエルが意見を求めたのだ。ハマエルは今度こそ、自分の意見をあっさりと引っ込める気はなかった。
「話し合いで、なんて、これ以上なにをどう話し合えばいいって言うんです? 話し合えることは全部話してきたでしょ。いくら話しても埒があかないんですから、あとは力で抑えつけるしかないでしょ」
「我々だけで地上の天使全部を相手どる戦いに、どんな勝ち目があるっていうの? 私は、自傷も自殺願望も持ち合わせてないわ」
「全部じゃないですよ、こっちにも味方はいるでしょ」
「たかが知れてるわ。数的有利は、向こうにあるのよ!」
 ラミエルは語気鋭く言って、もうこの話はおしまいだと言わんばかりに手を振った。
「でも、時間がないことは確かなんだよね。話し合いを続けても、平行線を辿りそうだし」
「ティファイリエル! あなたまでそんなことを言うの!?」
 ラミエルは呟くように口を挟んだティファイリエルを振り返り、キッと睨みつけた。ティファイリエルはちょっと肩を竦めて、ラミエルの強い視線を困ったように見返した。
「だって、それは事実だよ。ハマエルの意見に賛成か反対かってこと以前に、時間が限られているってことは避けようのない事実だもの。 そうですよね? レリエル様?」
 振られて、レリエルは、再び一斉に自分を見つめる天使たちを見やった。
「そう、時間がないことは確かだね。こうしている間にも、進化の種はどこかで芽吹いているのかもしれない」
「ですが、わずかな戦力で無謀な戦いを挑んだところで、事態を解決するどころか、破滅するだけです!」
 必死な口調で言い募るラミエルに異を唱えたのは、今度もやっぱりハマエルだった。
「無謀と決め付けることもないでしょ。今まで観察したところ、あの狩人と称する連中以外、ロクに戦い方も知らないみたいだし」
「それは、我々だって大差ないでしょう!」
「でも、俺達は飛べますよ。上空から炎の雨でも降らせてやればいいじゃないですか」
「地上から狙い撃ちされるわ。身を隠す場所もないのに、いい標的よ」
 飽くことなく言い争うラミエルとハマエルを、レリエルは面倒臭そうに遮った。
「まぁ、二人とも落ち着いてよ。二人の意見はわかったからさ」
「それで、レリエル様のご意見は?」
 反射的に口を噤んだ二人を置いて、レリエルに尋ねたのはティファイリエルだった。
「さっきも言った通り、時間は限られてるよ。話し合いも戦いも、事と次第によっては、手遅れになるほど長引く可能性は同じくらいあるんじゃない? 地上の天使と揉めている間に、新種の天使に地上も天上も全て滅ぼされることになるかもね」
「では、どうすればいいと?」
「どうして、地上天使たちに、この危険性がうまく伝わらないのかな。話したんだよね? 進化の卵のこと」
「勿論です」
 ラミエルが素早く頷き、その後を継いで、ティファイリエルが言った。
「天上の御伽噺くらいにしか感じていないんですよ。自分達には関わりのないことだって思ってるんですよね。それに、もしそれが本当なら、生まれたのを片っ端から殺せばいいっていうのが、とある狩人の意見でしたよ」
「なるほどねぇ」
 レリエルは少し考え込むように目を伏せ、それから、冗談とも本気ともつかぬ口調で言った。
「じゃあ、一つ孵してみようか。自分達とは違う新種の天使を目の当たりにすれば、信じてなかった連中も信じざるを得ないんじゃないの」
「レリエル様!?」
「なにをおっしゃるんです!」
 レリエルの言葉に、さすがに全員が驚愕の声をあげる。レリエルはどうでもよさそうに肩を竦め、
「まぁ、少し考えさせてよ」
 結局、今のが冗談なのかどうか定かにしないまま、ティファイリエルに向けて言った。
「それから、その狩人の長とかいうの、一度呼んでくれる? 会って話をしてみたいからって」
「わかりました。すぐに手配します」
「ありがと。じゃあ、ともかく今日はこの辺にしよう」
 いい加減疲れちゃったから、と、声にならなかったレリエルの言葉を、その場の誰もが聞いたような気がした。
「では、次はいつ話し合いを?」
「その長っていうのと話して、それからこの場にいない二人にも意見を聞いたらね」
 ラミエルの問いに投げやりに答え、レリエル肘掛に手をついて、やけに大儀そうに立ち上がった。
 そのまま、全員を置いて立ち去ろうとするレリエルの背中に、ティファイリエルが慌てて追いすがった。
「あ、待ってください」
「……なに?」
 一刻も早く立ち去って、どこかゆっくりできる場所で一休みしたい。レリエルは渋々立ち止まって、ティファイリエルを振り返った。
「あの、羽、だせる時はだしておいた方がいいですよ」
「どういうこと?」
 確かに、自分を除く全員は羽をだしている。特に空を飛ぶ用事も時間もなかっただろうに。最初に見た時、疑問に思いはしたが、億劫がって訊こうとはしなかった。だが、わざわざ呼び止めてまで羽をだすことを勧めるとは、どういうことだろう。
 さすがに気になって聞き返したレリエルに、ティファイリエルは、痛みにたじぐような表情を閃かせて、言った。
「痛いんです。地上で羽をだすの。ださずにいればいるほど、痛みが増すみたいなんですよ。だから、地上に下りた天使は羽を忘れてしまうんでしょうね」
「忘れちゃいけない理由でもある?」
 事が済めば、天上に戻れるとでも?
 天使で溢れかえった天上の国。今更戻る場所などあると思うの?
 暗に問いかけて、言葉を失ったティファイリエルの凍りついたような表情に、レリエルはかるく手を振って、かすかに微笑んだ。
「そうだね、いつまた必要になるかわからないからね。なるべくだしておくようにするよ」
 ティファイリエルは、レリエルの言葉に気を取り直し、斜め右を指差した。
「はい、あの、レリエル様のお部屋は、部屋を出て、右、突き当たりを右に折れて、一つ目に用意させていただきましたから」
「そう、ありがと」
 かるく答えて、レリエルは出て行った。
 その足音がかすかに、やがて聞こえなくなる頃、残された天使達も、バラバラとその部屋を後にした。




   
         
 
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