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進化の卵  
2章「暗黒の天使」
 
 
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2-7


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 地上には、狩人の塔と呼ばれる、五十九階建ての黒い刃のような高層ビルがあった。
 狩人と呼ばれるのは、地上に暮らす卵人という他種族はおろか、同種族の天使さえも狂気の炎で狩る、黒い天使の集団だ。
 最上階には、狩人の長であるアシェ・紫炎(シエン)が住んでいた。アシェは、切れ長の目に薄い唇、高い鼻梁の、冷酷そうな容貌の天使で、波打つような長い黒髪の持ち主だった。
 赤い革張りのソファに、半ば横たわるようにもたれかかった彼が見ているのは、今はなにも映していない無数のモニタディスプレイを背にして立つ、長身の男天使だった。
 少しクセのある髪を襟足まで伸ばし、狩人特有の黒づくめの格好で、その天使、ルーダ・藍茄(アイカ)は、つい先程入ったばかりの情報を、アシェに報告しているところだった。
「ついに、お出ましのようですよ」
 簡潔極まりない報告だが、それで充分だった。
 アシェは、フンと鼻を鳴らし、
「では、お手並み拝見といこうか?」
 ルーダに皮肉っぽい視線を投げかけた。応えて、ルーダは軽く肩を竦め、口の端を歪めるようにして笑った。
「そうですね、なにしろ相手は智天使様ですから。卓越した頭脳と優れた統率力とやらを見せていただけると思いますよ」

 あの日、進化の卵を肩に乗せた下天使を射ち殺し、天へと昇った光に焼かれた両目が癒えてから後、久しぶりに天上の都市を訪れたアシェは、有力な評議員である一人の天使に面会し、進化の卵についての報告と警告をした。
 評議員の天使は、それなら、と言った。
「地上での卵の管理を、急ぎ徹底しなければな。ここは、集積場以外、生まれる可能性のある卵は、一日と放置されることはない。だが、地上はどうだ? あまりにも無造作、無秩序に過ぎる。確かに、その進化の卵は天上に昇ったのかもしれない。無論、監視の目は更に厳しくするつもりだ。だが、進化の卵が一つ存在し得たということは、今後は続々と生まれ得る可能性が高い。地上の天使たちをまとめ、卵の管理を周知徹底させなければな。聞けば、お前は狩人の長とやらに納まっているという。お前に、できるか? 狩人という連中だけでなく、全ての地上の天使たちを統べることが」
 そう言われては、
「やってみましょう」
 と答えるしかなかった。
 だが、今も地上では、天使たちが好き勝手に交わり、孕み、産み落とし、路地や打ち捨てられた廃屋に多くの卵が転がっている。
 アシェとて、最初から難しいことだとわかってはいたが、それでも怠惰を決め込んでなにもしなかったわけではなかった。
 とはいえ、これまでの奔放で刹那快楽主義的なやり方が、骨の髄まで染み込んだ地上の天使達に、今更、天上のような規律だの階級制度などがそう簡単に受け入れられるはずもない。特に、元々は天上生まれの下天使たちはともかくとして、完全な地上生まれの天使たちの反発は激しかった。
 彼らを従わせるには、快楽か恐怖か。
 恐怖を撒くのなら、狩人と呼ばれる天使たちの得意とするところだが、狩人である天使の中にも、地天使は数多く、彼らの協力を得るのは、長である彼にしても至難の業だった。
 寧ろ、地上にある程度の秩序をもたらそうと画策したことによって、アシェは現在の長の立場さえ、微妙なものにされてしまった。地天使の狩人たちが、彼から離反、彼を長の地位から排斥しようという動きがあるのだ。
 そんな中、痺れを切らしたのか、天上から能天使と権天使の集団が下天し、次いで、智天使さえもが下りてくるという。その智天使が、地上を統括し、天上の秩序で地を統べようというのだ。
 先んじて下りてきた第六、七階級の天使たちの集団に、アシェはあれこれ質問攻めにあい、彼が無能であるといわんばかりの態度に憤った。
 だが、アシェの、彼ら全員、その場で射殺したい、という衝動を押し留めたのは、彼らの背後にいる智天使と、アシェも会ったことのある熾天使の存在だった。
 天上の階級制度の及ばぬ地上に下りてから数十年。既に地上の感覚が身についたと思っていたが、アシェは、決してそうではなかったことをその時に知った。
 思い返せば、進化の卵を肩に乗せた「白頭の」と呼ばれた下天使に名乗ったのも、天上での名前と階位だった。身についた習性というのは、簡単に拭い去れるものではないのだろう。それが証拠に、地上に下りて久しい下天使も、アシェの天上での座天使という階級を聞くと、従わざるを得ない気になるようだった。
 ともかく、生粋の地天使の反発に合い、評議員である熾天使から命じられた任を果たせずにいる今、自分に代わってその任務を遂行しようという智天使の手並みを、少し離れた位置からじっくり見物させてもらおうというつもりだった。
 せいぜい苦労すればいい、というのが本音だ。
(たとえ智天使だろうが、地上生まれの天使たちを完璧に纏め上げることなど不可能に決まっている)
 と、アシェは半ば確信を持っていた。
 アシェに、件の智天使の下天を伝えにきた狩人のルーダといえば、八割九割方、誰が纏めようと、また纏めることができなかろうと、どっちでもいいと思っていた。だが、元々は彼も天上生まれ。一先ずは自分の所属する集団の長でもあり、天上でも自分より高位の天使の指示に従うことにした。
(この先もって保証は、まるっきりないけどな)
 ルーダは声にださずに呟き、地上生まれで、地上の天使に秩序と規律と、そして束縛をもたらそうという動きに強く反発している、一人の女天使の面影を思い浮かべた。
(味方につくのも悪かないけど、敵対して殺し合うのも楽しそうだよな。最後の最後で寝返って、恩を売るってのもいいしな)
 アシェはまだ、ルーダの思惑には気づいていない。
 だが、気づいたとしてもさほど問題ではないのだろう。
 アシェは、ルーダはもちろんのこと、誰のことも信じてはいなかった。
 裏切りはあまりにも当たり前に起こるのだから。





   
         
 
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