卵人狩  
終章「天空の暗闇」
 
 
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4-1


 大きな羽音と風を切る音に、遠く耳鳴りがする。
 胸の辺りだけが燃えるように熱くて、手足の先は感覚がない。
〈サキ、サキ、しっかりして。 サキ、大丈夫、ぼくがいるから、サキ。サキ、大丈夫だよ〉
 誰かが自分の名前を呼び続けていた。透明な水のような子供の声。
(誰?)
「多良、太……?」
「喋らない方がいい。今、どこか手当てのできる場所に行くから」
 耳元で囁くやわらかな声。
「ルーァ……いいよ、わかるから。あたし、死ぬんだね」
 自分で予想していたよりも落ち着いた声に、サキは絶望の中にも満足感を覚えた。みっともなくうろたえて、多良太とルーァに心配をかけるのは嫌だ。
〈サキ〉
「多良太……残念だな、あたし。せっかく会えたのにね。もっといっぱい、話したかったな。もう……会えないなんて、ね」
 今度は失敗。ふるえてとぎれがちの声は、恐怖と不安に怯える子供みたいだった。目の奥が熱くて、熱を冷ますための水分があふれだしてくる。
 白い卵が淡くまたたき、多良太は囁く。
〈大丈夫だよ。ぼくらはまた会えるよ〉
 その声音に、慰めだけの響きはなく、多良太は本気でそう言っているようだった。いつか再び出会うことを、心底信じているようだった。その時のことを、知っているかのようだった。
 
 もしも、それが本当なら。
 もしも再び、出会えることがあるのなら。

「ほんとう?」
〈大丈夫、会えるよ〉
「それなら、あたし……」
 サキが言いかけた時、忽然と現われた漆黒の闇が、彼等の行く手を遮った。
「!?」
 ルーァは反射的に翼をゆるめ、宙空でとどまるように風を掴む。
「探したよ。さぁ、渡してもらおうか」
 にこやかに笑いかけているのは、ゆるやかに波打つ豊かな黒髪を首の後ろで無造作に束ね、漆黒の長衣に身を包んだ一人の天使。その背には、ルーァのものより一回りは小さいが、それでも確かな黒い翼。
 そして、手には、伸長と同じくらいの巨大な黒い弓。
「渡す?」
 警戒するように眉をひそめ、腕の中のサキにチラリと視線を落としたルーァに、その天使は軽く手を振った。
「ああ、違う、そんな死に損ないの卵人なんかじゃない。『進化の卵』だ」
「!」
 どうして、と思う間もなく、巨大な弓を手にした天使は、弓を持たない右の手を差しだし、
「さ、渡してもらおう。その肩の上の卵がそうなのだろう?」
 翼をはばたかせてルーァへと近づく。
 反射的に遠ざかりながら、ルーァは極力冷静な声で問うた。自分が動揺して、多良太に不用意に声をだしてほしくなかった。
「突然、そんなことを言われてもな。あなたは一体なんだ?」
「自己紹介が遅れたってワケか、失礼したな」
 そう言って翼ある天使は、空中で器用に一礼してみせた。
「私はアシェ・紫炎、狩人の長とも呼ばれてる」
「狩人の長。私は……」
「知っているよ。白頭のサフィリエルだろう?  そう、お察しのとおり。私も天上生まれだ」
 一瞬、ピクリと眉をあげ、ルーァは天上での話題を避けるように、まるで関係のないことを口にした。
「鐘を鳴らしたのはあなたか」
「鐘? ああ、狩りを告げる鐘を鳴らすのは、常に長の仕事だ。 さて、そんなことよりも」
「卵なら渡せない」
「あまり面白くない冗談だ」
 ニコリともせずに巨大な弓を軽々と掲げ、アシェは弓を構えた。その手の内に、狂気の炎はまだ宿っていない。
〈ルーァ。サキが……〉
「ほう! 今のが例の卵の声か。子供のような声をしているな」
 アシェが感心したように眉をあげる。だが、ルーァにはそんなことに関わっている余裕はなかった。
「悪いが、狩人の長。私は少し急いでいる。失礼させてもらう」
 多良太の切迫した囁きに、ルーァは慌しく告げて、その場を立ち去ろうとした。だが、アシェの言葉の響きに、思わず動きを止めた。
「急いでいるのは私も同じだ。『進化の卵』が解放される前に、やらねばならないことがあるのでな」
 訝るように目を細めたルーァの肩で、白い卵はチラチラと不安げに明滅し、
〈……ぼくを……殺す、の?〉


 

 

   
         
 
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