卵人狩  
3章「卵人達の朝闇」
 
 
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3-9


 ふと、少し近づいた彼の肩に、遠目ではその白髪に同化してわからなかった、白い小さな卵を見つけ、サキの瞳はそれに吸いよせられた。
 ひどく不釣合な肩の上の卵。淡い色に光を宿し、まるでそういう生き物のようなぬくもりを感じた。
〈あんまり、そんな、じっと見られたら恥ずかしいよ〉
 照れくさそうな子供の声に合わせ、白い卵がまたたく。
 サキは一瞬、ビクッと身を引き、やがておそるおそる顔を近付けた。
「……たまご、なの? あなた、卵なの?」
〈ぼくは、多良太。卵みたいだけど〉
「喋れるの? あたし、卵が喋るなんて知らなかった」
〈うん、なんか珍しいみたい〉
「あなただけ、なの?」
〈わかんない。ね、多良太。多良太って呼んでよ、せっかくルーァがつけてくれた、ぼくの名前なんだから〉
「ルーァ?」
〈うん。ぼくは多良太。それから、ぼくを乗せているのがルーァ。ねぇ、きみは?〉
 サキは一瞬言い淀み、それから呟くように答えた。
「あたしは、サキ」
〈サキ? はじめまして、サキ〉
 光を散らして微笑む子供の幻覚を、見たような気がした。
 そしてサキは、
「やっぱり、これは夢かも……」
 口の中でポツリと呟き、思いだしたようにその卵の持ち主に目を遣った。黙ってサキと多良太のやりとりを眺めていたルーァは、彼女の視線に促されたように、少しだけ微笑んだ。
「ルーァ、あなたは……有翼人、なの? あたしは伝説を聞いたわ。昔、死んだ母さんが……天使に殺されて死んだあたしの母さんが、うんと小さな頃に話してくれたのを覚えてる。他のことは、小さすぎてよく覚えてないんだけど、その話だけは覚えてたの。空の上には、有翼人達が住んでいて、悪いことをしたら彼等に連れて行かれるよって。でも、いい子にしてたら、彼等はあたしのお友達になって、いつでも好きな時に空の散歩に連れて行ってくれるからねって。あたし、その話が大好きだった」
「私は……天上の都市に住んでいた」
「じゃあ、やっぱり有翼人なのね!」 
 歓喜と驚愕に目を見張ったサキの瞳が、ルーァの心臓を貫くように輝く。一瞬、息が止まった。そしてルーァは、少し間を置いて、ひどく言いにくそうに告げた。
「だが、地上にあっては、私は天使と呼ばれる者だ」
 天使達が彼らをどう思い、どう扱っているかは、既に伝え聞いている。それなら、彼らが天使の存在を好いてはいないだろうということは、容易に想像できた。天使であるということが、今まで以上に恥ずべきものに感じられて、ルーァはサキの目を見ることができなかった。
「天使!!」
 案の定、天使と告げた途端に、サキの声に恐怖と憎悪が滲む。サキは、痛む足を忘れて立ちあがろうとしたが、灼けつくような痛みに、呻き声をあげて再びへたりこんだ。顔をしかめて、反射的に溢れだしそうになった涙を押し殺す。
〈怪我をしてるの? 急に立ち上がったら、危ないよ?〉
「大丈夫か?」
「触らないで! 天使なんでしょう!?」
 ルーァが咄嗟に差し伸べた手を、サキは身を捩るようにして逃れ、吐き捨てるように言った。その言葉に込められた強い憎悪に、ルーァは声を失った。宙に浮いたままの手のやり場がなくて、力なく拳を握り、その手を戻す。
 睨みつけるサキの瞳は強く、それがあまりもきれいで、ルーァはこんな時でも見とれてしまう自分に、少し不安になった。止められない腐敗と狂気に、全てのものから目を背け、全ての声に耳を塞いできたのに。
 あの日、薄暗い都市の、更に暗い影の中で見つけた白い光に出会ってから、そんな自分が少しずつ崩れてきたような気がする。
 いつか。
 このままだったらきっといつか、脆い自分自身をさらけだして、全てを見つめて、全ての声を聞いて、それで自らの命を縮めることになるような気がする。
『後悔するから、お前、きっと後悔するからな!』
 泣きだすような声で叫んだ天使。それでも後悔なんてしないと誓ったはず。信じたはず。
〈天使だけど、天使じゃいけないの? 天使なら、それだけでダメなの?〉
 不思議そうに問うあどけない子供の声が、張り詰めた空気をゆらし、あまりにも無邪気な響きに、サキは声を張り上げた。穢れてしまった自分に対する怒りと悲しみと、清らかな相手に対する引け目と妬み。そんなものを全部振り払うように、サキは声をあげた。
「だって! あたしは卵人よ! 天使はみんなあたし達を嫌っているじゃない。面白半分にあたし達を殺すじゃない。 あなたも、狩人なの? あたしを、殺しに来たの!?」
 その台詞を吐きだした途端、ルーァの顔に浮かんだ苦痛の色に、サキは胸に刺さる棘の痛みを覚えた。
(どうして天使が、たかが卵人の言う事でそんな顔をするの? だって天使なら、笑いながら「そうだ」と言って殺すでしょう? 天使なのに、天使なんでしょ?)
〈ちがうよ。ちがうよ、サキ。ちがうよ〉
「どうして、そんなことを? 私が?」
「どうして? 違うってなにが!? わかんない、わかんないわ! だって、だって……あなたは天使なんでしょう? 天使ならあたしを殺すはずだもの!」
「私は、天使と呼ばれる種族だ。だがそれでも、私はあなたを殺すつもりなどない」
〈だって、きみが呼んだんだよ、サキ〉
「呼んだのは、あたしをここから連れ去って、あたしを殺してくれる天使以外のものよ。あたしは天使なんか呼んでない。天使に殺されるのはイヤよ!」
 内なる声が届いた事実を不審に思う間もなく、サキは赤く染めあげられた胸の印を、布地ごと掴んで叫んだ。


 

 

   
         
 
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