卵人狩  
3章「卵人達の朝闇」
 
 
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 朽ち果てた廃墟の都市。
 朝闇が大気にとけていっても、雲は厚く、薄暗い都市は永遠の灰色に沈んでいた。
 今にも崩れおちそうなビルの群れの中、ぽっかりと開いた口のような広場が見えた。広場の真ん中には、薄汚れて枯れ果てた噴水があり、その傍らには……

(どうして、応えてくれないの? 駄目なの? やっぱり、どうしたって駄目なの? あたしの声なんか聞こえやしないの? あたしはやっぱり、天使達に永遠の呪いをかけて、世界を恨みながら死んでいくしかないの?)
 天高く、内なる叫びをあげ続けていた少女は、いくら呼んでも応えることのない、重苦しい空の無慈悲な沈黙に、唇を噛みしめ、両手の拳を握りしめて顔を伏せた。足首の痛みは痺れるような鈍痛に変わっていた。
 その時、絶望にうなだれた少女の耳に、幻のように遠く、風にはためくシーツのような音が聞こえた。
(なに……?)
 かすかな予感。疼きはじめた心臓に手をあてて、少女は音の源に目を向けた。
 すなわち、空に。
 暗灰色の雲は、今にも世界を押し潰そうとしているようだ。あの雲の彼方、雲の先にあったのはどんな色だったろう。
 そして少女は、のしかかる雲を背に、鈍色の天より下り来たる、闇色の翼有る者を見た。
「……」
 声を失い、少女はただその瞳で天からの使いを見つめた。
(……なんて大きな翼。なんて、真っ黒な……白い、髪……なんて白くて……なんて、なんて……きれいなんだろう……)
 あの音は、彼の翼が風をはらんでたてる羽音。
 ゆっくりと、その翼有る人は体勢を変え、少女から少し離れた、ひび割れた敷石の上に爪先から下り立った。
(鳥じゃない。あれは鳥なんかじゃなかった。本当に? 本当に古の伝説人、有翼人……なの…?)


〈……あの人だ。呼んでいたのはあの人だよ、ルーァ〉
 朽ちかけた噴水の傍らには、白い服を着た小さな子供が座り込んでいた。がっくりとうなだれて、すべての希望を失い、生ける屍と化したかのように動かない。
「本当に?」
〈ほんとだよ。今は聞こえないけど、でもきっとそう。だって、ぼくはこんなにドキドキしてる。ねぇルーァ、降りて〉
「お前がそう言うのなら……」
 更に羽ばたき、ルーァは頭から下降を始めた。
 と、その気配に気がついたのか、小さなその姿がゆっくりと顔をあげるのが見えた。そしてルーァは、俯いていた子供が……小柄な少女が顔をあげた瞬間、
 その、すべてを刺し貫くような翠緑の瞳に、目を奪われた。
(なんて、色だ。あんなに鮮やかな瞳の色は見たことがない)
 見る者を切り裂く硬質な輝石のようで、なぜか今にも砕けてしまいそうなほど儚げに見える。
 吸い込まれてしまいそうだと、思った。
(吸い込まれて、弾かれて、私自身が砕けてしまいそうだ)
 眩暈すら覚える少女の瞳に魅了されたルーァは、その翼の起こす風圧に、少女の小柄な身体が飛ばされないように、身体を起こし、爪先から、少し離れた場所に下り立った。
 それでも巻き起こる風を受けて、少女の栗色の髪がゆれている。広めのまるい額があらわになり、その瞳のきらめきが更に強まったようだった。額の真ん中に描かれた赤い輪は、もうひとつの目のようだ。
 今すぐ傍にいきたいほど惹かれるが、なんと声をかければいいのかわからず、ルーァはためらい、肩の上の白い卵に視線を落とした。小さな卵は、彼を励ますようにほのかにまたたき、ルーァは、座りこんだままの、翠の瞳の少女へと、ゆっくりとした足取りで歩みだした。

 その闇色の翼が起こす風の音は、サキの耳には聞こえなかった。すべての音は失われ、静寂がグルグルと渦を巻いている。
 黒いブーツの爪先が片足ずつ、噴水を中心にして波紋のように広がる、色褪せた煉瓦の敷石を踏む。それでもまだ、その足がほんのわずか、宙に浮いているようにサキには思えた。あまりにも現実とはかけ離れた光景に、都市の見せた夢の続きを見ているような気がした。
 白髪の黒い御使いは、その身体がたやすく収まりそうな大きな翼を二つに折りたたみ、音もなく、ゆるやかな微風のように歩み寄ってくる。そしてサキにあと一歩の場所に立ち止まり、戸惑いがちに首を傾げた。
「呼んでいたのは、あなたか?」
 いつもなにかを憂えているような静かな瞳がサキを捉え、サキはゴクリと喉を鳴らした。
〈きみは、誰? どうしてぼくらを呼ぶの? どうして、あんな大きな声で叫んでいたの?〉
「え」
 ふいに、目の前の相手にはまるでそぐわない、高く澄んだ子供の声がした。サキは目をしばたたかせ、探るように周囲を見回した。
 廃墟の都市。触れれば砂のように崩れ去りそうな灰色の都市。あんな声をした子供なんて、この世界に残っているはずがない。あれは幻。都市の見る夢。
(あたしは今も夢を見ているの? それともあたしは、音もなく忍び寄る狂気に犯されて、あるはずのない幻覚を見て、聞こえるはずのない幻聴を耳にしているの?)
「これは……夢?」
 思わず声にだして自らに問いかけるサキに、白い髪の有翼人は……白髪の天使ルーァは、ちょっと眉をあげ、
「夢かもしれないな。すべて。私は地上に下った夢を見ているのかもしれないと、私も時々そう思う。多良太に出会ったことも、こんな場所であなたに会うのも、みんな私の夢かもしれない」
 言いながら、噴水の縁石に腰をおろした。


 

 

   
         
 
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