卵人狩  
3章「卵人達の朝闇」
 
 
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 カーン、カーン、カーン

 高く響くのは、その手に、足に、打ち込まれる楔の音。
 銀色の楔。流れだす血の色。
 白髪の男が、木製の十字架に両手足を縛りつけられて、低くたれこめた天空を見上げている。 軋みながら肉を、骨を貫く銀色の楔。燃えあがるような痛みに、一刹那意識が遠のき、その直後に鮮明な痛みが脳髄を打ちつける。 
 鈍色の雲の切れ間から、光の束。
 カーン
 ひときわ鋭い激痛に、男は掠れた悲鳴をあげた。

 そして夢の痛みに、ルーァはハッと目を醒ました。
 反射的に半身を起こし、少し汗ばんでいる首筋を手で拭う。夢から醒め切らない頭で、夢に傷ついた手の平を薄闇にすかした。傷ひとつないなめらかな手が、ぼんやりとうかんで見えた。
(馬鹿々々しい、夢だ)
 自らを嘲るような苦笑を少し。だがまだ、夢で受けた痛みが、その手に残っているような気がしていた。耳には、打ち下ろされる槌に、悲鳴をあげて食い込む楔の音が、耳鳴りのように響いている。
〈ルーァ〉
「多良太? 起きたのか?」
 囁くような呼び声に、ルーァは傍らの卵に目を遣った。ナイトテーブルの上の白い卵が、淡くゆらめいて問いかける。
〈ルーァ、今の音はなぁに?〉
「音?」
 夢の中の音を、多良太は聞いたのだろうか。心の声を聞く卵は、夢の声もまた聞くことができるのだろうか。
〈外から聞こえてきたよ。カーン、カーンって。なにかの合図みたい〉
「外、から?」
〈うん。外だよ〉
 ルーァはベッドからすべりおり、細く開いていた灰色のカーテンを開き、鍵の壊れた窓を押し開いた。軋みながら開かれた窓は、今にも崩れ落ちそうだ。
 外は朝闇。
 東の空、雲の彼方から昇りはじめた太陽の光が、厚い雲をとおして、それでも確かに朝が来たことを告げようとしている。
 朝に眠る多くの天使達。その寝息が聞こえるような静けさ。だが、なにかがいつもと違うような気がした。目には見えないざわめきが、どこかで息づいているような。
〈ねぇ、ルーァ? なんだったんだろうね、あれ〉
「さぁ? 私にはよく聞こえなかったが。起きた時には止んでいたらしいな」
〈確かめに行ってみない?〉
 確かめに? と、ルーァは多良太を振り返った。
「どの辺から聞こえてきたのか、わかったのか?」
〈えーっと……たぶんねぇ、あっち〉
 指し示す指もないのに。ルーァは思わず困惑の声をもらした。
「……あっちと言われてもな」
〈あ、そっか。じゃあ、ねぇ、ルーァ? 飛んでよ。そしたら、ぼくが教えるから〉
「それが目的じゃないだろうな?」
 探るような微笑みを瞳にうかべ、ルーァが問う。多良太は悪戯を見つかった子供のような声で光を散らした。
〈それもちょっとある、かな〉
 それから、ふいに真剣な口調で、ルーァに懇願する。
〈でも、なんか気になるよ。見に行こう?〉
 断ることのできない自分を意識して、ルーァは頷いた。多良太の、ちょっとしたわがままなんかを、仕方ないと言いながらも叶えることを、嬉しいと思う自分がいる。どうしてそうなのか、わからないけれど。
「わかった、行こうか」
〈やったぁ! だからルーァ、大好きだよ〉
 胸が痛い。胸の痛みに気が遠くなる。
 本当は、わかっているのかもしれない。
 痛む胸を抑えて、ルーァは背中へ意識を集中する。地上に降りてからも何度か翼をだしたが、その激痛は薄らぐことはないのだろうか。ただ、ほんの少しずつ、翼を解放する時間は短くなったような気がする。 身体の内から溢れでるものが、風となり、真珠のような彼の髪を靡かせる。
 ルーァは形のいい顎をあげ、天井を見上げた。そのはるか彼方を見上げた。
 夜に光る雲。幾重にも重なる雲海。天使の欲望でとろけ落ちそうな天上の都市。
 それでも太陽は、まばゆい輝きを放っていた。


 

 

   
         
 
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