卵人狩  
3章「卵人達の朝闇」
 
 
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3-1


 その日、薄暗い都市の朝闇を裂いて、遠く、はるかな鐘の音が、狩人の塔より響き渡った。
 鐘の音は、朽ちかけたビルをふるわせ、まだ明け切らぬ黎明の都市に鳴り響く。
 ようやく眠りにつこうとしていた多くの天使達は、その鐘の音を夢の狭間に聞いた。この日が来るのを、いまかいまかと待ち詫びていた天使達は、悦びに身をふるわせて聞いた。
 卵人狩の始まりを告げる鐘の音だった。
「さぁ、出番だよ!」
 鐘の音を合図に、音をたてて牢獄の鍵が外され、世界から彼等を隔てていた扉が開け放たれる。
「三日と三晩、逃げ切れるなら逃げてみな」
 看守の女天使が嘲るように笑い、牢の中に押しこめられていた卵人達に出口を指し示す。
 女天使が指し示す出口は、牢の右手にある階段だった。その先の扉も開け放たれ、朝の薄闇が、サーチライトのように暗い牢獄に差し込んできていた。それだけ見れば、白い希望の光にも見えた。
 だがそれは、偽りの自由への道。
 その先にあるのは狩り場。一旦外へ出たなら、彼等は追いたてられ、狩られる獲物。仮初の逃亡。そこには狩人と獲物である自分達しかいない。その額と心臓の位置には、昨夜の内に赤く丸い印が描かれた。特殊なインクで描かれたその的を目がけて、狩人達が矢を放つのだ。
 外に待つのは死だけだ。覚悟はしていたつもりだった。諦めたつもりだった。獲物として選ばれた時から、死は免れないとわかっていた、つもりだった。
 それでも、急激なリアリティで襲いかかってきた恐怖に身を竦ませ、外へでることを尻込みする卵人達に向かって、看守の女天使は冷酷に言い放つ。
「さぁ、行きな! それとも、今すぐここで殺されたいのかい!? 逃げれば、少なくとも生き延びるチャンスはあるよ!」
 三日三晩、狩人達の手から逃れ、逃げ切ることができたなら。その額と胸に印された獲物の証は消え、獲物の立場から解放されると言われていた。
 だが、卵人達の誰一人として、そんなチャンスを信じていなかった。
 何度も繰り返された卵人狩。今まで、ただの一度も、狩りを逃げ延びた者などいなかったのだから。
 それでも、一縷の望みを捨て切れず、有り得ないと思いながらも、もしかしたらという最後の望みを捨て切れず、彼等は立ち上がった。
 最初はのろのろと緩慢な動きで、だが、一歩外の空気を肺に吸いこんだ途端、彼等は一斉に、夜明けの闇のわだかまる都市へと駆けだした。まるで、今にもその首筋に、狩人の死の吐息がかかるような気がして、彼等は死に物狂いで逃げだした。
「逃げろ、逃げろ!」
 笑いながら卵人達を追いたてる女天使に、獲物の中で一番若い、翠緑の瞳をした少女は、牢の扉をくぐり抜け、外へと駆けだす間際に、チラリと視線を走らせた。拭い去れない憎しみが瞳に瞬く。

(あたしがもしも生まれ変われるなら、あたしはきっと、天使を殺すわ)
 
 その額と心臓に明滅する赤い獲物の印。
 少女は、うっすらと白みはじめた都市の影を追いながら、空を見上げた。

(だけど翼があったら。天使なんか殺さなくてもいい。あたしはどこか、遠いところに行きたい)

 打ち捨てられた都市の郊外。ほとんどのビルは今にも崩れおちそうだ。
 牢獄のあったビルの横手には、前面の壁が完全に剥がれ落ちたビルがある。地震か、爆発か、理由はわからない。まるで、巨大な剣で壁だけを斬り落とされたかのようだ。
 走り抜ける足元から、灰色の塵が煙のように立ち上った。

(死を呼ぶ告死鳥。天使に見つかる前に、あたしを連れて行ってよ)

 昼間でも決して陽の差さないビルの谷間を駆け抜けながら、少女は、祈るような想いで、いつか見た黒い鳥を求めていた。


 

 

   
         
 
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