真の夜の闇の純粋さはそこにはなく、積み重ねられた穢れの暗さだけがあった。
狩人、そう呼ばれるのは、闇の色を纏い、漆黒の弓を携え、その手より出ずる赤い炎を獲物を貫く矢と化して、狂気を宿した影のように、地上を駆ける天使達の集団。
狩人の塔と呼ばれる、五十九階建ての高層ビルが彼等の居城だった。黒い刃のように暗灰色の空を貫く、それは近隣で最も高いビルだった。
脆いもの、古いもの、高いものと、次々に崩れて使い物にならなくなった建物の多い中、それは、高層でありながら未だ居住可能という、稀有な建物だった。
広い出窓の枠に腰掛け、真っ直ぐな黒髪を前下がりに切り揃え、整って、少しキツイ顔立ちの女天使、シェラ・真久(シンク)は、夜に染まる都市を見下ろした。
新しいものを生みだす力のなくなった都市は、灯りを失えば失ったままで、夜の色は、日毎に暗さを増している。地下にある巨大な発電機からの電力を、今もなんとか供給できている場所だけが、色鮮やかな光を振りまいていた。そのエネルギーを惜しむことなく、刹那のために垂れ流していた。
左手に、狩人の証である磨き上げられた黒壇の弓を抱え、窓に映る自分の姿を見るともなしに眺めながら、シェラは、銀の弦を指先で弾いた。キュン、と耳の奥を、細い針のような弦の音が通り過ぎていった。
夜は更け、厚い雲に覆われた地上の都市は、まばらな人工灯火に、ぼんやりと滲むように浮かびあがっている。
と、外の闇に、室内とシェラ自身の姿を映しだしていた窓ガラスに、一人の天使が姿を現わした。
腰のホルダーに収められた黒い弓が、彼もまた狩人と呼ばれる天使であることを示している。
スラリと背が高く、襟足が長めの黒い髪。天使特有の整った容貌は、シェラの姿を見つけ、嬉しそうに微笑んでいた。そして、ルーダ・藍茄(アイカ)という名を持つ天使は、ガラス越しにシェラに手を振りながら近づいてくると、
「暗い顔だな、シェラ?」
気が付いているのかいないのか、まるで無反応なシェラの肩に手をかけ、顔を覗きこんだ。
「ルーダ」
シェラは緩慢な動きでルーダを振り仰ぎ、面倒臭そうに肩の手を払い除けた。
「気安く触らないで。あんたに許した憶えはないわ」
「冷たいなぁ、シェ―ラ。俺とお前の仲じゃないか」
「気安くあたしに触れることを許すような仲じゃないでしょ。なにか用?」
「ひどいな。胸に刺さったよ」
ルーダは大袈裟に胸を押さえてよろめき、
「でも、ま、わかってるさ」
肩を竦めて笑った。全てを知り尽くしたかのような心得顔のルーダに、シェラは尖った声で、ルーダを睨みつけた。
「なにがよ」
「狩りの前はいつもそうだもんな。ピリピリすんなよ、眠れないんだろ」
「それが、あんたになにか関係ある?」
「大ありだよ、シェラシン」
大きく両手を広げてルーダが言う。
視界を覆われた圧迫感に、シェラは不愉快そうに顔をしかめた。
「寝不足の身体じゃ気持ち良くないだろ。今度こそ俺の卵を産んでもらうんだからな」
「まだ諦めてなかったの、あんた」
シェラは形のいい眉をあげた。
いつだったろう。
やはり卵人狩りの日に、ルーダは、
「賭をしよう」
と言った。
狙った獲物は逃がさない凄腕の狩人として、狩人達の中でもその名を知らぬ者はいないシェラに、ルーダは、
「もしも、今日の獲物と狙いを定めた相手を仕留めることができなかったら、俺の卵を産んでくれないか?」
世間話でもするような、カルい口調でそう言った。
女性の姿をしていても、シェラはただの一度たりとも、卵を産んだことも、孕んだこともない。彼女の相手はいつも、同じ女性体の天使だけだったから。
その彼女に卵を産めと彼は言った。
相手の天使に卵を産ませ、その卵のように相手を捨てるので有名なルーダに、シェラは蔑むように嘲笑って言った。
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