卵人狩  
1章「薄闇の都市」
 
 
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「そっ、割とキレイなとこだよ。電気もまだ点くし、下層民の立ち入り禁止区域にあるんだ。その方がいいでしょ?」  
 人差し指を立てて小首を傾げる。こんな時、以前の彼ならどんな仕草をしただろうか。たぶん、似たようなことをしただろう。  
(……動き自体が大袈裟になったわけじゃない。もっと違う、なにか)  
 曖昧な違和感を押し隠し、ルーァは淡々と答えた。  
「彼等にはまだ会っていないから、それがいいのかどうかはわからないが」  
 下層民とは卵人のことだ。全ての天使は、女の腹から血まみれになって生まれてくる彼等を、快く思っていないことは知っている。卵人と呼ぶのも汚らわしい、と思う時は、下層民という遠回しな言い方で彼等を呼ぶことも知っていた。
 だが、ルーァはまだ彼等を知らない。それに、ルーァは、天使である自分自身も好きではなかった。  
 天使達は、自分達とは違う生き物を蔑むことができるほど立派な種族なのか。とてもそうだと思えない。ルーァはいつもそう感じていたし、先程の多良太の問いにもそう答えた。だが、大概の天使は、ラディケルと同じように答えるだろう。  
「そんなの、いいに決まってるじゃないさ。あんなブッサイクな連中、見ずに済むならそれにこしたことないし。ホント、あいつらが側にいるだけで吐き気がするんだから。あ~気持ち悪ぅ」  
 うえっと、胸を押さえて舌をだす。その様に、ルーァは、なんとはなしに感じていた違和感の答えとでもいうものに思い当たった。  
 彼は以前より女じみている。つまり、それは……  
「お前、卵持ちか?」  
 ルーァの唐突な問いかけに、ラディケルは一瞬なんのことかと首を傾げ、すぐに照れたような笑いを浮かべた。  
「あ、わかっちゃった? そうなんだよねぇ、できちゃったんだ。今の相手、男型の傾向が強くってさ。仕方ないでしょ、俺が女型やらなきゃ。卵孕んじゃうからヤだったんだけどさぁ」  
 もともと、天使達に男女の性別差はない。彼らにあるのは男と女の精神。二つが互いに均衡を保つ形で存在しているなら、彼らは無性だった。
 だが、もう随分と前から……天上にも地上にも天使達が溢れ、無数の卵が孵されることなく眠るようになった頃から、天使達の殆どは無性であることを止めた。男なり女なり、どちらかの性に身体の組織構造を変え、交じり合う天使達。女を選んだ天使はその身に卵を宿し、男を選んだ天使が、卵から孵った天使を育てる。  
 とはいえ、同じようにかなり前から、卵は孵されることなく捨てられるようになっていた。  
 街角にころがる卵。ころがっていた卵。  
「でも、できちゃったもんは仕方ないよねェ。途中で消えて無くなるわけじゃないし、まぁ、たまにはこんなんも面白いよ。卵を産むときって、実は結構気持ちいいらしいしね」  
「そうか」  
 照れ隠しのつもりか、やたらと早口にまくしたてるラディケルに、気圧されたように頷き、ルーァはわずかに後退った。それは、その後に続く言葉を予感していたのだろうか。  
「けど、サフィリエル。今気づいたんだけどさ、お前ってば結構セクシーだったんだねェ。今まで、女系と付き合ってる時にしか会ったことなかったから、気づかなかったけどさ。ね、男性体になってみる気ない? 今よりずっとよくなりそう」  
 どこか、媚びたような目付き。天上の都市で知っていた頃とは違う、ラディケルの変容に、ルーァは困惑した。どう応えていいのかわからず、話を逸らそうと試みる。こんな会話は得意じゃない。  
「彼氏と約束があるんじゃないのか?」  
「ぃやーねー、そんな予防線張っちゃってぇ。ま、そうなんだけど、別に気にしなくていいよ。あ、それでさ、さっきの話どうする? その気があんなら紹介したげるよ。なにを隠そう、俺もそこに住んでるんだ」  
 ケラケラと明るく笑うその様に、ルーァは昔の面影を見た。  
(いまだに、自分のことは俺と呼ぶのか)  
 なんとなく不自然なような、ホッとするような、複雑な気分だった。それでも、彼の申し出を受ける気にはどうしてもなれず、ルーァは軽く首を振り、ぎこちない微笑を浮かべた。




 

   
         
 
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