卵人狩  
1章「薄闇の都市」
 
 
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〈青い船ってあの空にうかんでるの? よくわかんない。でも、皆が言ってるから〉  
「!」
 自分は、決して声にはしなかったはずだ。それに、皆とはどういうことだろう。少なくとも、ルーァの耳に届くほどの声で、あの飛行船の話をしている者はいなかった。
(心の声を、聞けるのか?)
 それが答えなのだろうか。だが、そんな能力を持つ天使など、いないはず。
(天使じゃないのか? それとも……)
 ルーァは、それ以上の考えを頭の中から締めだし、ザワザワと広がる胸騒ぎを押し殺した。
 これは、夢のような現実だから。なにがあってもいい。それがどんな不可思議なことでも、多良太を否定するようなことはしたくない。
 ルーァは、さも当たり前のように多良太の言葉を受け流し、尋ねた。
「なんと?」  
〈いよいよ? また? 卵人狩かって。でもね、喜んでる人とね、怖がってる人がいるの。言ってることが違うんだよ、どうして? 卵人狩ってなぁに? ルーァは……哀しい、の?〉  
「私は……よく、わからない」  
 ルーァは再び、天空の暗い海の魚へと視線を転じた。  
「卵人狩というのがあるとは聞いている。それは、卵人と呼ばれる者達を、天使と呼ばれる者達が狩りたて、殺すことらしい。卵人達にとっては遊戯なんかじゃ済まされないことだが、天使達にとっては、退屈しのぎの、いつもより少しだけ刺激的な遊戯らしい」  
〈卵人って? ルーァは天使なのでしょう? ルーァも殺すの?〉  
 澄んだ声の問いかけに、ルーァは苦悩を宿した瞳で多良太を見下ろした。  
「私は、確かに天使と呼ばれている。だが、なぜ天使が卵人を殺すのかわからない。なぜ、殺してもいいと思えるのかわからない。私はずっと天上にいて、彼等を直接知らないからかもしれない。だがそれでも、無差別になんの罪悪感もなく彼等を殺せるほど、天使が卵人よりも優れた種族だとは思えない」  
 まるで、天使である自分を恥じるように語るルーァを、  
「サフィリエル!?」  
 驚きにひっくり返ったような声が、ハッと振り向かせた。  

『よくそんな姿で歩けるものだな、サフィリエル』  
『サフィリエル、天使の髪は黒いんだよ』  
『卵? 産んだら捨てときゃいいじゃない。サフィリエル、あなたは随分、おかしなこと言うね。その髪のせい? 完全体じゃないと、普通とは違うことが気になるもの?』  
『染めてしまいなさい、サフィリエル。そうすれば、昇級だって可能なのですよ』  

 振り返る刹那、脳裏に雲上の黒い都市の景観と、繰り返された言葉が浮かびあがった。  
 黒に染められた光。闇と影をまとう天使。繰り返し繰り返し、誰もが口にする言葉。何度も聞かされた台詞。  
 だが、すぐにそれも弾け、目に映るのは地上の風景。影と埃に埋もれた都市。青い魚の影は小さくなり、今はその声も聞こえない。  
 ルーァは、斜め後ろの薄汚れたビルの脇道から出てきたばかりの一人の天使が、目を見開いて自分を見ているのに目を止めた。  
 真っ直ぐな黒髪を高く結いあげ、黒のキャットスーツにフェイクファーの黄緑のハーフコート、膝下までのブーツを身につけている。少し焼けた肌と濡れたような黒い瞳の天使。  
 地上に下ってからもう随分と経っていそうなその天使は、凍りついたように身動ぎしないルーァのもとに走りより、嬉しそうに白い歯を見せて笑った。  
「やっぱりサフィリエルだ。久し振り、元気だった?」  
 だが、この天使はサフィリエルと呼ぶ。天上での名。もう、呼ばれずにいたいその名前。蘇ってくる憂鬱。  
「……ラディケル?」  
 ルーァは、忘れていたい灰色の記憶の中から、目の前の天使によく似た面影を辿り、ためらいながら一つの名前を口にした。その名を持つ天使に、この天使は確かによく似ていたが、どこが違うような気もした。  
 だが、その天使は手を打ち合わせ、笑いながらそれを肯定した。  
「当たり! 覚えててくれたんだ」  
 それから、ふと首を傾げ、  
「どしたの? いつ地上に? その格好、びっくりしたぁ。最初、狩人かと思っちゃったよ。誰にもなにも言われなかった?」  
「誰に……なにを言われるって?」  
「その服だってば。地上でそんな黒づくめの格好してるのなんて、狩人達だけだもの。髪の色が白くなかったら、絶対、そう思われちゃうよ」  
「そう、か」  
 天上にいた時は、それほど親しくはなかった。親しい相手などいなかった。それでもたぶん、よく話をした方だろう。彼の忌み嫌われた髪の色を、あまり気にしない珍しい存在だった。  
 だがルーァは、透明な壁を自分の周りに張り巡らし、感情のこもらない声で相槌を打つだけだった。天でラディケルと呼ばれた天使は、それを気にしてもいないようだった。  
「そうそう。もうちょっと明るい色とかさ、上じゃあ着られなかったようなの、この際着てみるといいよ。で、それはそうと、もう住む場所とか決まった? その様子じゃ最近下りてきたばっかりみたいだし、全然決まってないんじゃない?」  
「ああ、まぁ」  
「ならさ、いいトコあるんだ。来ない?」  
 そう言ってウィンク。  
「いいとこ?」  
 ルーァが無表情に問い返す。さほど興味は沸かなかったが、すぐに断るのはためらわれた。
 天上でラディケルと呼ばれた天使は、こくん、と妙に大きく頷く。こんな大袈裟な動作をするような奴だったろうかと、また少し違和感を覚えた。  
 控え目な仕草ではなかった。だが、こんなに芝居がかった仕草ではなかったような気がする。 そこはかとなしに漂う違和感に、ルーァはわずかに緊張した。




 

   
         
 
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