卵人狩  
1章「薄闇の都市」
 
 
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「でも、お前、サキ、このまま、こんなとこでじっとしてたら……」
「どこにいても同じよ。この世界に、安全な場所なんてないもの」
 ひそかな怒りと絶望をこめた言葉に、ノーナはゴクリと喉を鳴らし、テーブルの上で自分の両手をぎゅっと握り合わせた。
「だけど、お前……」
「じゃあ叔母さんはどうしたいの? どこに隠れてるつもりなの?」
「それは……考えちゃなかったけど……でも、どこかさ。とりあえず、こんな、いっぺんに大勢がいる場所は危険だよ。まとめて連れてかれる恐れがあるからね。だから……そうだね、アパートの中が、一番かもしれないよ。そうだよサキ、アパートに帰ろうよ」
 ノーナの顔色は、時間が経つにつれてどんどん青ざめてきていた。湧き上がる不安と焦燥を抑えきれなくなってきているのだろう。
 サキは、フッと息をついて、
「わかった。帰りましょう」
 と、すり減ってキズだらけのテーブルに手をついて立ち上がった。
(それで叔母さんが納得するなら、どこだっていいもの)
 ワンピースのポケットから、汚れたコインを数枚取りだして、テーブルに置く。
 そしてサキは、自分よりずっと大きいノーナを支えて、椅子から立ち上がらせてやった。
 ノーナの右足は、昔、天使に切り落とされた。その時に、程度の悪い義足を足の付根につけたが、最近ではそれも傷みがひどく、一人ではうまく歩くこともできなかった。アパートの狭い部屋の中をうろつきまわることぐらいはできるが、どこかに出かけるようなことはできない。サキの両親は、数年前、天使の気紛れで殺されていたから、肉親と言えるのは、今はノーナ一人だけだった。 古びたアパートに二人で暮らし、時々、気分転換に、こうして外に食事に連れだしたりもする。そんな時はいつも、サキの小さくて細い身体が、ノーナの失った足の代わりになるのだった。
 ノーナの右肩の下に身体を潜りこませ、巨大な腰を支えながら、サキはゆっくりした足取りで歩きだした。
 そんな二人を、大して関心もなさそうに、幾つかの目が見送った。この付近じゃ、手足のない人間なんて珍しくもない。知り合いに、天使に殺されたり怪我をさせられたりした者がいない卵人など、おそらく一人もいないだろう。

 薄暗い店を出て、外に出てみても、あまり変わりはない。
 空はいつものように重くたれこめ、陰鬱な灰色。崩れかけのビルの影が、ひび割れたアスファルトの道を、黒っぽく染めあげている。
 ノーナを支えてアパートへの道を歩きながら、サキはふと、空を見上げた。
(あの空の向こう……雲の上の天使達の国よりも、もっと高いところ。そこなら、あたし達も自由に暮らせるのかなぁ)
 そんなことを思い、すぐに視線を暗い地上へと戻した。あまり長い間、上を見上げていると首が痛くなる。特に今は、ノーナの腕が肩の上にあるのだし。
 と、その時、ノーナが、ビクン、と痙攣するようにふるえた。
「叔母さん……?」
 訝しげに首を傾げたサキは、行く手のビルの影に佇む者の姿に、思わず立ち竦んだ。
 信じたくない。
 だが、それは、
(天使……!)

  そこに、光が生まれいでたようだった。
 燃えあがるような赤。卵人達の血の色が染みこんだような赤を身にまとい、二人の天使がそこにいた。背中を向けて佇む姿も絵画のようだ。
 そして血の色は、捕獲者の証。
 ゴクリ、と鳴った喉は、サキのものかノーナのものか。
 その音が聞こえたのだろうか。いや、おそらく恐怖の匂いを嗅ぎとったのだろう。天使達は、一瞬顔を見合わせ、ひどくゆっくりと振り返った。
 心臓が跳ね上がる。
 と、少女とも少年ともつかない、淡く繊細な容貌の少年体の天使が、ひどく嬉しそうに笑った。



 

   
         
 
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