卵人狩  
1章「薄闇の都市」
 
 
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「……多良太(タラタ)」
 頭の中で考えたわけじゃなく、咄嗟に口をついてでたその名前は、まるで、自分以外の誰かの意志が、その名を告げたようだった。以前からその名を知っていたような、気が、した。
〈多良太? うん、そうだね。ありがとう〉
 満足そうな卵の、多良太の声は、やはりその名を知っていたようだった。それが正しいのだと、気がついたような声だった。
 それでも、まだ少し半信半疑、本当にこれでよかったのだろうかと、どこか不安で、ルーァは念を押すように問う。
「いや……いいの、か?」
〈うん。ぼくはそれでいいと思うよ。なんかね、そう呼ばれるのを待ってた気がする。で、ね。だからルーァ、いつまでもここで立っているだけなんてつまんないよ。ねぇ、どこかに行こう? あ、どこって、考えなくてもいいよ? そのうちどこかにつくよ。行った先がついた先だから〉
 漠然とどこかへ行こうと言っただけでは、ルーァはまた沈黙してしまうかもしれない。そう思ったのか、多良太は慌てて付け加えた。どことなく、媚びた口調にも聞こえる。
 ルーァは軽く肩を竦め、
「わかった。そうしよう」
 卵の入っていた箱に背を向け、足が動くのに任せて、歩きだすことにした。
 いずれにしろ、ここへ来たのに、なにか目的があったわけでもない。少し前に、暗い雲の上から薄汚れた地上に下り立ち、なんの気なしに歩いてきて、なんとなく卵の前で立ち止まったのだから。理由もなく、自分でもわからないままに歩みを止めたのだから。
 それならきっと、この卵の言う通りだろう。多良太の言うように、なるようになるものだ、ルーァはそう思い、薄暗い都市を歩きだした。
 行き過ぎる天使達の幾人かが、肩の上に卵を乗せて歩く彼を、チラチラと奇異な目で見もしたが、それほど注視する者もなく、彼もまた気にはしなかった。
 空は暗く、重い。
 荒廃した薄暗い都市は、天使と下層民達の暗い想いに満ちている。


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 ここ最近、なんだか嫌な感じだ。
 苛々する。落ち着かない。気分が悪い。少し落ち込んでいる。
 原因は、わかっている。
 自分の想う相手が、別の相手を追いかけまわしているから。
 自分以外の相手を追いかけまわすことは、今までにもしょっちゅうあった。別に、それ自体は、ほとんど諦めている。
 だけど、今度は少し違う。
 今までは、次から次へと、花を渡り歩くミツバチのように、新しい相手を見つけては簡単に自分のものにし、自分のものになったとなれば、すぐに次の相手を探すことの繰り返しだった。
 だけど今回は、もう随分と前から同じ相手を追いまわしている。
 物にするチャンスがまるでないわけじゃないのに、自分からそのチャンスを放棄しているように見える。
 そしていつまでも同じ相手に、ただつきまとって、そうしているだけで楽しい、とでも言うみたいに。
 それが、すごく嫌だった。
 今までとは違うことに、ひどく不安になる。
 だからここ最近、フィム・緑守(ロクシュ) は、ずっと気分がすぐれなかった。
 折れそうに細い手足。少女とも少年ともつかない、淡い容貌。どこか、誘うような色香を薄くまとって、繊細な眉をひそめたまま、フィムは灰色の街をさまよい歩いていた。
 なんでもいい。なにか気晴らしになるようなこと、どこかに落ちていないだろうか。



 

   
         
 
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