今まで、誰にも話したことはなかったし、話すこともないと思っていたあの頃の話を、気がつくと僕は延々と語り続けてしまったらしい。バーントも、イルクも、退屈したそぶりも見せず、黙って話を聞いていてくれた。
それから、夜明けまで少し眠ることにしようと、草地に薄い銀色のシートにくるまって横たわった時、イルクが言った。
「俺さ、もし俺の願いが叶ったとしても、ずっとあんたらといたいな。この宇宙をあんたらとあちこち旅して回れたら、きっと楽しいよな」
僕は、その言葉に、ハッと息を呑んだ。バーントの反応を窺うと、バーントは、一度ゴクリと息を呑み、それから、少し掠れた声で呟いた。
「あたしも、そう思うよ」
嬉しさと安堵感がどっと押し寄せてきて、僕を飲み込み、僕はただ、目の奥の熱さをまばたきで追い払いながら、小さな声で応えるのがやっとだった。
「僕も」
まばらな木立のカーテンを抜けると、白い光が、少し眩しいくらい辺りを照らし、光の中心に、それがあった。
それは、一重咲きの蓮の花によく似ていた。わずかに黄色がかった白い花弁の縁に、紫紅色の帯状の紋が不規則に入っている。宇宙のように黒い池の中からまっすぐに伸び、花弁全体から白々と光を放っていた。蓮につきものの大きな緑の葉はなく、一輪の花だけが、黒く丸い池の中に咲いていた。
宇宙の中に浮かぶ、たった一つの奇跡のように。
暫くの間、僕らは黙って見つめていた。最初に口を開いたのは、バーントだった。
「それじゃ、さっさと願いをかけてよ」
自分はいいから、と言ったバーントに、僕とイルクは目を見張った。
「どうして? 無くしちゃった記憶を取り戻したいんでしょ?」
「そうだよ。他に望みはないって言ってただろ」
口々に言う僕らに、バーントは肩を竦め、少しぶっきらぼうに言った。
「いいじゃない。あたしはいいって言ってるんだから」
「よくないよ。僕らに遠慮してるんだったら……」
「遠慮なんかしてないよ。ただ、うん。あたしはもう、空っぽじゃないってだけ。だから、昔の記憶なんて、もういらないってこと」
バーントの言葉に、イルクはわけがわからないと首を傾げたけど、僕には、その言葉の意味が痛いほどよくわかった。
僕は、そう、僕だって、
「わかったよ」
同じだ。
「ちょ、ちょ、アモル? なにがわかったんだよ。俺には全然、さっぱりわかんないよ」
僕は、戸惑い顔のイルクを見下ろして言った。
「僕も、もういらない。イルク、きみが願うといいよ」
「なんだよ、それ。もう少し、俺にもわかるように説明してくれよ。そうじゃなきゃ、いくら譲るって言われても、納得できないよ」
「僕の願いは、もう叶ったから。だから、いいんだ」
「そういうこと。あたしが記憶を望んだのは、空っぽの自分が嫌だったから。でも、あたしはこの星で、きみたちと一緒にここまで歩いてきて、本当に楽しかった。あたしが空っぽだなんて、その間は全然感じなかった。それに昨日、きみが言ってくれたじゃない。この先もずっと一緒にいたいって。それならあたし、これからも空っぽにはならない。記憶なんかより、ずっと大事な思い出と、これからの希望を貰ったもの。だから、あたしの願いは、もう叶ったってわけ」
バーントは照れ臭そうに笑いながら言った。僕も、少し恥ずかしかったけど、勇気をだして、二人に言った。
「僕は、ずっと一人だったよ。でも、二人がいてくれるなら、僕はもう、一人じゃないってことだよね。僕の願いは、もう一人でいなくても済むように、本当の友達が、欲しいってことだから。二人は……僕の友達、だよね?」
「もちろん」
バーントが、にこやかに微笑みながら間髪いれずに頷き、イルクはやっと戸惑い顔を消して、晴れ晴れとした顔で頷いた。
「当たり前だろ。これからもずっと、友達に決まってる!」
「そういうわけだから。イルク、きみが願いを叶えてもらってよ。グズグズしてると、後からきた連中に横合いから持ってかれちゃうよ」
イルクは、僕らを交互に見上げ、
「わかった。それじゃ、俺の願いが叶うかどうか、試してみるよ」
と言った。
そしてイルクは、宇宙に咲いた一輪の奇跡の花に、自分の願いを告げる。と、蓮の花に似たその花は、火花を散らして爆発するように、パッと閃光を放った。
僕は、思わず目を瞑って片手で目を覆った。閉じた瞼の裏越しに、眩い閃光が霞んでいくのを感じると、そっと目を開いた。
黒い池の中にあの白い花はなく、池の前、僕とバーントの足元には、一匹の、猫がいた。
白地に茶と黒の毛並みは、それほど長くない。細長い尾。レグルス人だった時の毛並みによく似た、銀色の目。くしゃくしゃに丸まった黒いジャンプスーツの塊の上に、その猫はちょこんと座って、僕らを不思議そうに見上げていた。
「ふふっ、ちょっと小さくなっちゃったね。でも、かわいいよ」
バーントが笑い、しゃがみこんで、なめらかな毛並みを片手でそっと撫でた。
僕は、今は光を失って、十年後までは、単なる暗い池となった場所を一瞥すると、二人……一人と一匹に向かって言った。
「じゃあ、行こうか」
「そうだね」
頷いてバーントが立ち上がり、願いを叶えた猫のイルクは、それに答えるかのように、目を細めて、ニャオーンと一声、啼いた。
<了>
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