日光浴
 
余暇の過ごし方  
   
line decor
  HOME
line decor
   
 
2


 個人用のキャビンは、メインキャビンの先にある。
 幅1.5メートル、高さ2メートルの通路の両側に、同じ大きさの個室が三つずつ並び、メインキャビン側から見て、一番手前右が青のキャビン。最奥右側を瑪瑙が、真ん中左側を翡翠が使っていた。
 翡翠のキャビンの前につき、青はアンバーに声をかけた。船内のどこにいても、アンバーはすぐに応えてくれる。
「アンバー、翡翠いるよな? 呼んでくれるか?」
『はい。少々お待ちください』
 と、翡翠に確認をとっているらしい少しの間を置いた後、翡翠のキャビンのドアが、スライドして開いた。
  そして青が声をかけようとしたその時、突然、中から飛び出してきた小さな影に、青は咄嗟に跳び退った。
「うゎ!?」
  すぐに、キャビンの中から翡翠の緊張感のない声がかかる。
「あー……ごめん、それ捕まえてー」
「捕まえて……?」
 言われて、飛び出した影を目で追った青は、通路の床から側壁に飛びつくようにしてしがみつき、更に天井に向かって這い登る緑色の生き物を見た。
  床も壁も天井も、無重力状態になってしまえば単なる平らな板材なのだが、据え付けられた椅子や機材の向きから、便宜的にそれぞれ呼び分けることにしていた。わかりやすいように、床はブルーグレイ、壁は床に近い三分の一がオフホワイト、天井側の三分の二は床と同じブルーグレイに染め分けられている。天井は、壁の三分の一と同じオフホワイトだ。
  ブルーグレイに塗られた壁の上では、深い緑色の姿は目立たないが、床や天井の色にはその輪郭さえもハッキリと鮮やかに見えた。
 それは、くの字に折り曲げられた長い六本の肢を使って、垂直な壁をいともたやすく登っていた。おそらく、あまり鉤爪の目立たない指先は、平らな面にも貼り付けるような吸盤か、細かい繊毛が生えているのだろう。肢と同じように、胴体と尻尾も細くて長い。ただ、頭部だけが楕円形で、側頭部にある三角の耳をペタリと倒すと、かなり丸い。黄色い瞳の大きな両目も、まんまるだ。頭と胴体、尻尾には5センチほどの深緑の体毛が生え、耳と尻尾の先だけが黄色かった。だが、六本ある肢には毛はなく、爬虫類のような鱗が生えているようだった。
 動植物にはあまり詳しくはないとはいえ、こんな生き物を、青は今まで見たことも聞いたこともなかった。
「な、なんだよ、あれっ」
「『草トカゲモドキ』だよー。でも、草を食べるわけじゃないみたい」
「……」
  にこやかに答えられて、一瞬言葉を失う。瑪瑙でさえ、ちょっと呆れ顔だ。
  まるで悪びれた様子のない翡翠に、青は、
(俺が、おかしいのか?)
 と、ちょっと不安になった。
 だが、少し冷静になって考えてみても、どこのなんていう生き物だか知らないけれど、社用船内に生き物を連れ込むという行動は絶対おかしい。
 おかしいのは自分じゃない。絶対、翡翠の行動の方が非常識なはず。
(違うよな。おかしいのはこいつだよな。こんなのが当たり前のこっちゃねェよな。違う、絶対!)
  確信。
  青は自信を持って、翡翠を怒鳴りつけた。
「お前な! 船に生き物持ち込むんじゃねェよっ!」
「そうなの?」
 不思議そうに問い返されて、わずかに自信が揺らぎそうになった。
 だが、
「まぁ、確かに非常識ではあるね」
 どこか面白がる口調で答えた瑪瑙の言葉に、青はここぞとばかりに言い募った。
「そうだ! 非常識だ! 大体、なんであんな生き物なんか買ってくる必要があるんだよ。それを船に持ち込んでどうするつもりだったんだよ。この船は仕事をするためのモンだぜ? そりゃ、船で生活する時間のが多いかもしんねェけど、個人のものじゃねェんだよ。ペットなんか飼えるわきゃねェだろっ! 生き物なんか飼って、もし積んである品物になんかあったらどうすんだよっ」
「そうなの?」
「だ・か・らっ! そうなの? じゃ、ねェよ! 決まってんだろ! もう、あんなのさっさと返品してこいよっ」
「えー? でもあれ、すごく珍しいんだよ? せっかく買ったのに」
「どんだけ珍しかろーと、船で生き物を飼うなっ!」
「まぁ、ペットを飼うな、という規則はないけどね」
 ぽつりと洩らした瑪瑙の言葉に、悲しそうだった翡翠の表情がパッと明るくなる。
「じゃ、やっぱりいいの?」
「よくねェっ!」
  速攻否定して、青は横目で瑪瑙を睨みつけた。
「つーか、なんでお前は今、そんな余計なこと言うんだよっ」
「一応事実を述べただけだけど?」
「じゃあ、お前はこの船にあんな妙な生き物がウロつくのに、賛成なのかよっ」
「そうだね、賛成はできないかな。ちょっとうっとおしいしね、あれ」
 と、今も船内の天井やら壁やらを這い回っている緑色の生き物を一瞥する。
「えー? そうかなぁ」
「いや、もう、うっとしーとかそーゆー問題じゃねェよ! とにかく、俺は船で生き物を飼うのは反対だ! 管理だって難しいし、あんな風に好き勝手にウロつかれたくねェよ」
「どうしても、ダメなの?」
  今にも泣きだしそうな顔で尋ねられて、青は思わず動揺した。
「だっ、ダメに決まってんだろっ」
(な。なんなんだ、こいつはっ! 俺よか年上のハズじゃねェのかよっ! なんでこんなガキみてェな顔すんだよ!)
  少なくとも、今まで青が知り合った人々の中に、こんな歳で、こんな顔で、こんな言動をする者は一人もいなかった。
どう扱っていいのかわからなくて、青は無意識の内に、じり、とわずかに後退っていた。
「……そっか。じゃあ、実家にでも送っておくよ。それならいい?」
「え、う、ああ、まぁ、そうしてくれんなら、それでいいけど」
  意外とあっさり諦めたようで、青はかすかな罪悪感と共に、ホッ胸を撫でおろした。もう一揉めしなくちゃいけないんじゃないかと思っていた分、余計に助かった、という気持ちが強い。
 だがその安堵感も罪悪感も、瑪瑙の次の言葉で、あっという間に霧散した。
「どこに送るにしろ、まずはあれを捕まえることが先決なんじゃないか?」
  確かに、まずは縦横無尽に我が物顔で船内を這い回っているあの生き物を捕まえないことには、どうすることもできない。せっかく翡翠が船内で飼うことを諦めてくれても、捕まえてどこかにやらないことには始まらない。
「そう、だよな。けど、どうやって捕まえるんだ?」
「うーん……どうしようっか?」
「どうしようって、お前のモンだろ!? なんとかしろよ」
「なんとか?」
 と、暫く首を傾げていた翡翠は、おもむろに天井に張付いている緑色の生き物に近づき、手を差し伸べた。
「ほら、おいでー」
 のんびりとした口調で声をかける。
 身長百八十一センチと、割と長身の翡翠なら、楽々天井に手が届くし、捕まえることもできるはずなのに、なぜか呼びかけるだけで直接捕まえようとしない。呼べば素直にやってくるとでも思っているのだろうか。たぶん、思っているのだろうが。
  そして、当然というかなんというか、緑色のその生き物は、翡翠の気配に一瞬振り返ったかと思うと、ガサガサと更に遠くの方へ這っていってしまった。
「ダメみたい」
 緊張感のない様子で青にそう言うと、翡翠はもう諦めてしまったのか、青と瑪瑙の場所まで戻ってくる。
 青は、思わず頭を抱えた。
「ダメみたいって、あのなぁ」
 なんだかこめかみがズキズキ痛む。青は、指先でこめかみを揉みほぐしながら、思いっきり呆れ果てた声で言った。
「お前なら、ちゃんと手を伸ばせば届くだろ? 呼んでないで捕まえろよ」
「うん、わかった」
 頷き、翡翠は青に言われた通り、またしても天井にへばりついている草トカゲモドキの下まで行って、のんびりと手を伸ばした。
 だが、そんなのんびりとした動作で捕まえようとしたところで、捕まるはずもない。草トカゲモドキは、スルリと翡翠の手をすり抜けて、一メートルほど離れた先まで逃げていった。素直は素直なのかもしれないが、本気で捕まえようとしてるようには到底見えない。
 「……」
 暫く黙って眺めていたが、青はとうとう我慢できなくなった。
「ああ、もう、くそっ! そんなんで捕まえられるわきゃねェだろっ」
 もういっそのこと、自分の手で捕まえてやる。
 そう決意して、青は、草トカゲモドキの真下に走りこんだ。草トカゲモドキは今丁度、キャビンの扉の斜め上に張り付いている。そのくらいなら、青でもジャンプすれば手が届く。
「よ……っと」
 軽く膝を曲げて跳び上がる。
 青の両手は、草トカゲモドキのいる場所を正確に捉えた。
 はず、だったのだが、草トカゲモドキは敏捷にその手をすり抜け、ガサガサとはるか先に逃げていってしまった。
「あ、くそっ」
 青は一旦着地すると、もう一度その真下に回り込もうとダッシュした。だが、青の足音や気配に気づいたのだろう。青がその下に辿りつく前に、草トカゲモドキはUターンして、青の頭上を越えて逃げる。
「待て! 逃げんな、こいつっ」
 と、追いかけつつ跳び上がるものの、やっぱり青の手が伸びる前にガサガサとあらぬ方へと這っていく。走り、跳び、手を伸ばす青を、からかうようにかわして逃げる草トカゲモドキ。
  何度ジャンプして何度逃げられたことだろう。さすがに息があがってきた。
  追いかけて逃げられる内に、だんだんなんのために捕まえようとしてるのかさえ忘れて、ただあるのは、「逃げる敵」と「追う自分」だけになっていった。
(ぜってェ捕まえてやるっ!)
 強い決意で疲労をねじ伏せて、跳躍し続ける青の耳に、ふと聞こえてきた言葉。
「どうやら、タマには捕まえられそうにないな」
 通路脇で腕組みして見物していた、瑪瑙の言葉だった。他の言葉だったら、耳に届きさえしなかったかもしれない。
だが、たった一つの言葉が、青の注意を一気に引きつけた。
「だからタマって言うなよ!」
 と、反射的に怒鳴りつけてから、ふと思いついたように言う。
「つーか、眺めてるだけじゃなくてお前も手伝えよ」
「私も? どうして?」
 心外だ、と聞き返す瑪瑙に、青はどうしても捕まえられない苛立ちをぶつけた。
「お前だってあれ追い出すことに賛成したんだろ!? だったら協力したっていいじゃねェかっ」
 上目遣いに睨みつける青に、瑪瑙は白々しく軽いため息をついて、言った。
「仕方ないな。アンバー?」
 瑪瑙の呼びかけに、すぐさま応えがある。
『はい、瑪瑙』
「ガスは使える?」
『はい。一応すぐに使えるようにはなっていますが』
「ガス?」
 瑪瑙とアンバーの会話は、青には唐突すぎてついていけなかった。
 ただ、気になるキーワードを捕らえて繰り返すが、瑪瑙もアンバーもそれには応えてくれなかった。
「じゃあ、それで」
『わかりました。それでは、そちらの区画から退避してください』
「退避?」
「わかった。お前らも早く出ろ」
「出ろ?」
 困惑している内に、なんだかよくわからない展開になっている。
「翡翠、メインキャビンに行くんだ」
 と、指先で翡翠を招き、瑪瑙はさっさと歩きだした。
「え? あ、うん」
 なにが起こるのかわからないまま、素直に従う翡翠に対し、青は瑪瑙に追い縋りながら問い詰めた。
「お、おい、なにする気なのか説明しろよ」
「あれを捕まえるんだろ? そう言ったじゃないか。バカだね、タマ」
「だ、から、タマって言うなって何度も言ってんだろっ」
  バカと言われたことにはツッコミもせず、本当に、これでもう何度目になるのかさえわからないほど繰り返した言葉を投げつけながら、瑪瑙の後を追って、青もまたメインキャビンへと続くルーバードアを抜けた。
  そして三人がメインキャビンに入り、各キャビンへと通じる扉が閉まると、アンバーが穏やかに告げる。
『それでは、催眠ガスを使用します。よろしいですか?』
「いいよ」
『ガスをキャビン通路内に流入しました。……対象生物は眠ったようです』
「ガスが抜けるのにはどのくらいかかる?」
『15分ほどで完全に排出できます。それまで対象生物を捕獲しておきますか?』
「そうだね、頼むよ」
  そこまで、またしても瑪瑙とアンバーのやり取りについていけずに呆然と見守っていた青は、ハッと我に返った。
 瑪瑙がなにを指示して今なにが起こったのか、やっとわかった。
「ちょっと待て」
「なんだ?」
 と、振り返った瑪瑙は、青に声をかけられるのを待ちかねていたかのようだ。黒い瞳が楽しげにきらめいて見える。
 青は一瞬、言葉を形作るために息を詰め、それから強く斬りつけるように言った。
「そんなことができんなら、最初っからそう言えよっ」
  瑪瑙はわざとらしく驚いた顔をしてみせた。
「ああ、悪いね。てっきり追いかけっこを楽しんでるのかと思ってたよ。違ったのか?」
「んなわけねェだろっ」
「ああ、そう。楽しそうに跳ね回ってたから、てっきり」
「跳ね回ってたんじゃなくて、捕まえようと必死だったんだっ」
「ああ、それは気づかなかったよ、失礼」
 そう、目を細めて微笑む様は、明らかにわかっててやった、という感じだ。
「こ、こいつ……」
 青はガックリと肩を落とした。これ以上なにか言う気力もない。
 本当に、どうしてこう、瑪瑙は自分を怒らせたり困らせたり脱力させたりすることばっかり得意なのだろう。そしてかすかな希望を抱いていた新メンバー翡翠は、単なるぼーっとした天然キャラだけならまだしも、妙な買い物志向がある上に、自覚のない非常識キャラだったなんて。
 これから先、この二人とずっと一緒にいなくちゃいけないのかと思うと、青は、ただもう途方に暮れるしかなかった。
(誰か、こいつらをなんとかしてくれ……!)
 だが、青のその願いを聞き届ける者は、とりあえず近くにはいないようだった。



 おしまい


 
    << BACK    NEXT >>