毎日毎日毎日まいにち……
「課長、先日のレアメタル配達の件ですが、先方から連絡がありまして」
まいにちまいにちまいにちっ!
「もう、いやあっ!」
バンッ!
灰色のスチール製デスクに両手を叩きつけ、瑠璃(ルリ)は立ち上がった。
「か、かちょお?」
報告にきていた不運な男性社員は、プチ切れた瑠璃に、ギロリと睨みつけられ、思わず後退った。
「毎日毎日、机にかじりついて部屋の中にこもって、もう嫌なのっ」
「は、あ、あの?」
「嫌なのっ!」
斬りつけるように言い捨てると、呆然と立ち竦む黒髪の男性社員を置いて、瑠璃は、オパールグリーンのパーテーションで区切られた、業務課長のブースから飛びだした。
飛びだした瑠璃は、そのまま業務課のフロアを駆け抜ける。丁度、入口から入ってきた社員のお陰で、ガラスの自動ドアには激突しなかったが、そうでなければ、勢いよくぶつかって大怪我していたかもしれない。前後の見境もなにもあったもんじゃない。
業務課内にいた数人の社員は、制止することも忘れ、それをただ見送った。後に残ったのは、一陣の風。
やがて、最初に我に返った若い女性社員が、ぎこちなく首を回して、フロア中央で眼鏡をかけた男性社員と話していた、恰幅のいい中年の男を仰ぎ見た。
「あの、飛びだしてっちゃいましたけど……」
縦にも横にも貫禄充分の業務部長は、深々と溜息をついた。
「その辺走りまわったら戻ってくるだろう。あれは運動不足のストレスだからな」
「はぁ。でも、確か前回は、その間に被害があったと思うんですけど」
社内を走り回って、蹴り倒した植木が五、叩き壊した机が二、折れた椅子が三、巻き添えを食って軽傷を負った社員が四。備品の弁償をしたのは瑠璃本人だが、怪我をした社員は労災、部長自身も社員管理不行き届きを問われて、社長に注意を受けた。
部長は頷き、栗色の髪の女性社員に言った。
「そうだったな。すまんが、ちょっと様子を見てきてくれるか。走るだけじゃなく、暴れそうになったら、すぐに警備に言って、取り押さえてくれ」
「わかりました」
女性社員は、作業中だったパソコンのデータを保存すると、ファイルを閉じて立ち上がった。
「すまんな」
「いえ」
口の端で微笑み、女性社員は瑠璃の後を足早に追った。
その姿がガラスのドアの向こうに消えると、部長は傍の社員に命じた。
「すまんが、きみは他のフロアへの連絡を頼む」
「わかりました」
部長が命じた五分後には、社内全域に警戒態勢が敷かれた。警戒をよびかけるメッセージは、無関係の者が聞けばなんのことかわからないが、関係者にはすぐにそれとわかるものだった。
『暴れん坊将軍、ご乱心』
その連絡を受けて、各フロアでは、壊れやすいものを片づけたり、予想進路から避けたりと大わらわだった。
「技術課より報告、次の予想進路は当部署方面です」
「急げ! 壊れものを通路に置くなよ」
「既に入口付近に姿を確認!」
「なにっ!? 速いな」
「アルブレヒト主任が蹴り飛ばされました」
「進路に入るからだ、馬鹿め。全員、すぐに避けろ! 邪魔をすると危険だっ」
「きゃあぁっ」
「うわ、危ねェっ」
「次の予想進路部署にすぐに連絡しろ。経理と総務だ」
「はいっ」
そんな、瑠璃の進路上にあった部署のパニックを秘書室のモニターで観察していた社長秘書の真珠(シンジュ)は、満足そうな笑みを浮かべ、静かに立ち上がった。
そのまま、隣の社長室へと続く扉をノックすると、中から、
「入れ」
と、感情の篭らない応えがあった。
「失礼します」
いつも絶やさぬ微笑みと共に、真珠はドアを開け、社長室に入った。
中に入ると、正面奥にある重厚なマホガニー製デスクの向こうに座る、漆黒の髪の主、銀河ぴよぴよ運輸社長その人と目が合った。
あまり感情を表すことのない社長の黒曜(コクヨウ)だったが、入ってきた真珠の、輝くような微笑みに、いつもとは違うなにかを感じ取ったのだろうか。形のいい眉をわずかにひそめ、訝しんでいるようだ。
「どうした」
「社長、瑠璃さんがまた暴れているようですよ」
真珠がひどく嬉しそうに告げる。黒曜は、机上のコンピューターモニターを見やり、指先に嵌めた銀色の指輪のようなインターフェイスを閃かせてその画面を閉じると、ニコニコ顔の真珠を静かに見やった。
「それは、いい報せなのか?」
「そうとは言い難いかもしれませんね。また人的被害もあったようですし」
「その割には楽しそうだが?」
「え? そうですか?」
片手を頬に添え、恍けてみせるが、相変わらずの笑顔ではまるで説得力がない。
「暇潰しになると思って喜んでいるのだろうが、怪我人は困ると言っただろう?」
「勿論承知していますよ。困ったものですよね」
真珠は、まったく困ったように見えない顔で同意すると、実は、と、心に秘めた打ち明け話をするように、ほんの少し、声を潜めた。ここに、二人以外の誰がいるわけでもないのだが。
「もう一つ、ご報告があるんです」
「なんだ?」
「瑠璃さんの暴走の数分前に、「琥珀(コハク)」が船体整備のために入港したそうです。久しぶりに、彼らも本社にきていますよ」
彼ら、というのは、会社所有の貨物船「琥珀」に乗船する三人のことだ。その全員が、社長自らが改名した宝石名を名乗っていることからもわかるように、黒曜が最も注目するチームでもある。
だが、黒曜は、並々ならぬ興味を抱いていることなどおくびにもださずに、あくまで平静に尋ねた。
「それは、さっきの報告となにか関係があるのか?」
「関係ができるかどうかは、社長のご判断次第ですよ。瑠璃さんは、体を動かせなくて暴れているんですから、そのストレスを発散する相手がいればいいわけです。彼らの内の一人は、奇しくも瑠璃さんには因縁の相手ですから」
「なるほど。では、手配を頼む」
全てを理解し、思わず微笑んだ黒曜に、真珠は恭しく一礼した。
「かしこまりました」
それから、つと、悪戯っぽく目を輝かせ、黒曜に尋ねる。
「その様子をモニターしますか?」
「……社員の動向を把握するのも、社長の責務だ」
「おっしゃる通りです」
慇懃に応えて、真珠は黒曜と言葉にならない目配せを交わした。その様子は、古から伝わる、悪代官と悪徳商人の伝統儀礼を思わせる。
お主も悪よのぅ。いえいえ、お代官様のお仕込みで。
そんな声が、どこからか聞こえるようだった。
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