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この、魂の器  

 
 
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 まだ、研究室にいるだろうか。
 在室ランプを目で確認しながら、柚己はホワンの研究室のインターフォンを押した。
 中から応えたのは、若い男の声。ホワンの助手のメリクに似ていた。
「はい、なにか?」
「あ、有坂です。ホワン教授はいらっしゃいますか?」
「ちょっとお待ちください」
 と、研究室のドアがスライドして、予想どおり、メリクが小太りの姿を表した。
「あの、教授は留守……」
 と言いかけた柚己を遮ったのは、他でもない、ホワン自身の声だった。
「ユズキ! 今までどこ行ってたのよ。もう、首尾はどうだったの……って、あら」
 研究室の中から騒々しく現われたホワンは、柚己の背中に隠れるようにして立つファイを見つけ、慌てて口に手をあてた。
「今、いいか?」
「ええ、いいわよ。どうぞ」
 ちょっと気まずそうに笑って、ホワンは柚己とファイを招き入れた。
 そして、ファイの姿にぽかん、と口を開けて見とれていたメリクに言った。
「メリク少し外に……あ、いえ、今日はもういいわ。特にお願いすることもないし」
「あ、はい。それじゃ、し、失礼します」
「お疲れ様」
 真っ赤な顔をして、何度もぎこちなく頭を下げながらメリクが出ていき、ホワンはかすかにため息をついた。
「これは、明日の研究室は大騒ぎになりそうね。えーっと、はじめまして。春蘭・黄よ」
 小声で呟いてからファイに向き直り、ホワンは手をさしだした。ファイは、おずおずとその手を握り返し、囁くように名乗った。
「ファイ、です」
「よろしくね、ファイ」
「あのさ、教授。頼みが、あるんだけど」
「ここに来る時はいつもそうね。で? 今度はなに? 彼氏を匿ってほしいの?」
「そうじゃなくて……」
 と、柚己は、ファイの正体、ファウンテインとの会話、ファイの体内の発信機のこと、これから逃げようと思っていることなどを手短に話した。
 それが終わると、ホワンは、
「今度のお願いは、また、面倒ね」
 と、腕組みをして、微苦笑をうかべた。
「無理は承知なんだ。けど」
「まぁとりあえず、やってみるわ。専門分野じゃないし、どこまでやれるかわからないけどね」
「ありがとう、教授」
 ホワンは、ここ最近の感謝の頻度は相当なものね、と笑って、ファイをスキャナーなどが置いてある作業室の方に連れて行った。
 柚己は、手伝いを申し出たが断られ、仕方なく、得体の知れない模型の近くで椅子に座って待つことにした。


 そして、一時間ほど経った頃、ホワンがひどく深刻そうな表情で戻ってきた。
(失敗、したのか?)
 不安のあまり、そう訊くこともできなかった柚己に、ホワンが申し訳なさそうに言った。
「ごめん、ユズキ。私じゃ、無理みたい」
「無理って?」
「ファイに埋めこまれてた発信機、見つけたんだけど……かなりエグイ代物だったの。ヘタに取り外したり、配線を変えようものなら、この研究室ごと吹きとぶような、ね」
「爆弾!?」
「ま、そんなものね。あと、方法としては、ファイの記憶箱をそっくり別のAIに移して、あのボディは諦めるってのもあるけど。どうする?」
「……人間が」
 柚己はぽつりと呟き、ひどく真剣な顔でホワンを見た。
「人間が、完全に電脳化して、その記憶だけを移したとして、その機械は、まだ人間だって言えるのか? 前と同じ人間なのか?」
「それは、果たして魂というものがあるのか、あるならそれはどこに宿るのか、って問題ね。実際に、そうした実例がないわけじゃないけど。そうね、少なくともその例で言えば、『よく似た別のなにか』になったように思ったわ」
 よく似た別のなにか。
 柚己は、静かに息を吐いて、
「ファイと、話せるか?」
 暗い目つきでホワンを見た。ホワンは、敢えてカルい調子で頷いた。
「結局なにもできずに、元どおりにしただけだけど。ちゃんと、起きてるわ」
「俺達だけにしてくれるか?」
「いくらでも。鍵があるから帰ってはあげられないけど、あたしのことは気にしなくていいわ」
「サンキュー、教授」
「どういたしまして、よ」


 ファイは、様々な機械や工具類で溢れ返ったその部屋に、ひっそりと佇んでいた。
 その背中が泣いているように見えて、柚己は胸の痛みを覚えながら、近付き、そっと肩を抱いた。
「ファイ」
「ツェータ……駄目だった、みたい」
 掠れたりはしないけれど、やっぱりその声は、失意に沈んで聞こえた。柚己は、この部屋に入った瞬間に頭にうかんだ、まだうまくまとまらない決意を、心が押しだそうとするまま、ファイに告げた。
「ファイ、俺、勉強する。勉強して、きっとロボット工学の学者になる。お前の中の、そのふざけた発信機なんか、簡単に取りだせるような学者になって、必ず、お前に会いに行くから。それで、もし、お前が俺のことを忘れずにいて、まだ俺と出て行きたいと思ってくれたら、その時は絶対……」
 思い余って声を無くす柚己に、ファイは静かに微笑んだ。
「うん。ツェータ、ぼく、待ってるよ。絶対忘れない」
 信頼と決意。
「絶対、約束するよ」
「うん……」
 と、ファイは柚己の肩に頭をもたせかける。
 柚己は、そのファイの肩を抱いて、二度とこない静寂と幸福な一時を、最後の一瞬まで味わおうと、言葉もなく、ただ寄り添った。

 そこに流れだす静かな音楽。
 激しさはない。
 静かな旋律。
 言葉も身体も交わさずに、生まれるリンクもあるのだと、柚己は知った。
 それは、身体の中で高らかに鳴り響く音楽とは違うけれど、とても心地好い音色だった。
 この音楽がある限り、きっと忘れない。
 どんな願いでも叶えられる。
 そして、夜が明けてゆく。


 この、魂の器に、音楽は流れる。



 <了>

   
         
 
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